カリスマ、 予想屋の
勝ち抜き戦の情報は、どっかにないものか?
勝ち馬につけ、という。
競馬と違い、思いが同じの人が多いと、
分け前が増えるゲームだ。
理屈に酔うのでなく、結果に酔いたい。
メディアなんか、関係ない。
オレの闘い、だ。
ボンビーの闘い。なのだ。
参考(^^)
日本のメディアが「当たらない予測を垂れ流すエコノミスト」の意見を好む理由 「わかりやすい経済解説」に潜むワナ
村上尚己
日本の経済メディアには、繰り返し繰り返し「過剰な悲観論」が登場するが、振り返ってみると、その経済予測が当たったためしはほとんどない。にもかかわらず、メディアは「予測を外した人物」のオピニオンを取り上げることを止めようとしない。
「トランプ相場」の到来を的中させた外資系金融マーケット・ストラテジストの村上尚己氏は、国内
アナリストたちとメディアとの間にある種の「共犯関係」
が成立しているのだと指摘する。同氏の注目の最新刊『日本経済はなぜ最高の時代を迎えるのか?』から一部をご紹介しよう。
メディアと専門家の「共犯関係」
前回までの内容からもわかるとおり、じつは日本のメディアに登場するアナリストの言説を鵜呑みにしていると、損をすることはあっても、投資リターンを高めることにはあまり役立たない。今回のトランプ相場の到来だけでなく、2012年末からのアベノミクス相場への大転換すら指摘できなかったアナリストがほとんどである。予測を何度外しても、相変わらず珍説を披露するのをやめない人も散見される。
それでもなお、大新聞やテレビは彼らに意見を聞くのをやめようとしない。常識的に考えれば、ここまで精度の低い予測を垂れ流す人間には誰も耳を貸さなくなりそうなものであるが、なぜかそうはならない。これが日本の経済アナリストと経済メディアに見られる、独自の奇妙な構造である。そこで今回は、下記の通説を検討してみることにしよう。
[通説]「著名人の経済解説なら、わかりやすくて信頼できる」
私が知る限り、米大統領選でドル安・円高に動くシナリオをメインに据えていたプロフェッショナルの海外投資家はほとんどいなかった。彼らは基本的な経済理論を踏まえたうえで、それが金融市場の価格形成にどう影響するかを考えている。トランプ相場が「教科書どおりの値動きでしかない」と私が語る理由もここにある。彼らが突飛な予測をすることはほとんどないのだ。
なぜ日本では、経済にまつわる分析や報道が正常に機能しないのだろうか? 以前の連載で触れた「円高シンドローム」のような歴史的経緯も軽視できないが、もう一つ考えられるのが、彼らが所属している組織の構造的要因である。
※参考
トランプ「円安批判」に戦慄する日本人の「歴史的トラウマ」とは?
―「円高シンドローム患者」の過剰反応に踊らされてはならない
http://diamond.jp/articles/-/116539
アナリストが重視するのは、
予測レポートの「質」より「量」
端的に言ってしまえば、日本のアナリストたちが繰り返し「当たらない予測」をし続けるのは、彼らが会社から「投資リターンを高めること」をそもそも期待されていないからである。
これは多少言い過ぎの面があるかもしれないし、なかには顧客の利益になる情報を真剣に伝えようと努力している人ももちろんいるだろう。しかし、アナリストがどれだけ多数のレポートを出し、どれだけ頻繁にメディアに露出していようとも、その人の予測精度の高さとはまったく相関がない(あるいは逆相関している)のが実情だ。
私自身もかつては国内外の証券会社やシンクタンクで勤務し、エコノミストやアナリストの仕事を務めてきた。
エコノミストやアナリストの主な仕事は、マクロ経済や当局の政策動向を予測・分析し、投資家のための「レポート」にまとめること
である。当然ながら、株価・金利・為替など金融市場の具体的見通しにまで踏み込むことになるので、時間が経てば予測が当たったかどうかははっきりと答えが出る。
しかし、金融機関やシンクタンクに勤めるサラリーマン・アナリストたちは、予測の精度を高めることにはさほどモチベーションを感じづらい。むしろ、社内的な評価を考えれば、重要なのは、レポートの本数を増やして顧客満足度を高めることである。
いまだから言うが、私自身もアナリストとして駆け出しの頃には、レポートの品質を高めることよりも、まずレポートの数を増やすことに注力せざるを得なかった時期があった。証券会社のアナリストにとって、予測の精度が人事評価にとって大きなウエイトを占めることは少ないし、そもそも予測が正確だったかどうかを検証する仕組みも整っていないのだ。したがって、サラリーマンとして一定の評価を得ようとするのなら、やはり目に見える形でレポートを(質は低くても)大量にアウトプットするのが最も合理的なのである。
「アナリストの評価」は
メディア露出に依存している
レポートの「本数」のほかに、アナリストが重視するのが、メディアへの露出である。経済紙やビジネス誌、ウェブメディアやテレビ番組に出演して、コメントをする機会が増えれば、当然ながらそのアナリストの影響度は高まるし、所属企業のブランド認知も進む。さらに、組織に所属するサラリーマンとして、その後のキャリアステップを考える際にも、メディアへの露出を高めて、「顔」を売っていくほうがプラスの影響が大きいのだ。
こうした「著名アナリスト」になるうえで重要なのは、的確な予測をできるかどうかではない。投資家だけでなく購読者や視聴者に「わかりやすいと感じてもらえる筋書き」をつくれるか、さらにメディア側の意向に沿った発言ができるかがモノを言う世界である。
だからこそ、アナリストたちは予測にしっかりとした理論的背景があるかどうかはさほど重視せず、「リスクオフによって安全通貨・円が買われて円高になる」などといった、マスコミ好みの「もっともらしいストーリー」をつくることに注力するのである。
私は、現在、外資系運用会社のマーケット・ストラテジストという立場にあり、同僚らと議論を繰り返しながら、最終投資家がいかに儲けられるかをサポートする投資戦略を立案する立場にある(難しいがやりがいがある仕事だ)。
つまり、現在の私は投資家側のポジションにもあり、さまざまなアナリスト/エコノミストたちのレポートの「ユーザー」でもあるわけだ。日頃から膨大な数のレポートに目を通していると、アナリストたちの間にもかなりのレベル差があることに気づかざるを得ない。まさに玉石混交といった感じだが、大半を占めるのは「石」であるし、時間的余裕も限られているので、すべてをじっくり読んでいるわけにはいかない。そうなると、どうしてもメディア露出が多い人のレポートから優先的に目を通すことになることも少なくないのだ。
もちろん、プロの投資家たちは特定のレポートだけを鵜呑みにすることはなく、多数のシナリオ・分析を収集したうえで、自分なりの投資判断を下していく。そうだとしても、やはりメディアに露出しているアナリストのほうが、レポートを参照してもらえる機会は多いだろう。アナリストとしての影響度を高めるうえでも、メディアに出ることは重要なのである。
私はこれまで約20年間にわたって金融業界に身を置き、米・欧・日の証券会社を含めた複数の会社を渡り歩いてきた。だからこそ、アナリストという人種がどういう考え方をしながら仕事をしているのかはよく理解しているつもりだ。
さらにいまは、さまざまなレポートを横断的に参照して、それぞれの経済分析・予測の価値を見極めていくマーケット・ストラテジストの仕事をしているので、そうした観察材料にも事欠かない。そうなると、社内政治やメディア露出に注力し、経済分析・予測の精度を高めようとしない「なんちゃってアナリストたち」の存在は否が応でも目に入ってくるのである。
社内的な評価制度やメディアとのもたれ合いの構造を考えると、彼らの行動に合理的な側面があるのも事実だ。彼らも一人の経済人として、自分の利益を最大化する振る舞いをしているという意味では、一方的に批判するのはフェアではないのかもしれない。
しかし、誤った経済観を広めることは、投資家たちの不利益となるだけでなく、長期的には日本経済の正常化を遅らせる要因にもなる。彼ら個人の社会的な成功のために、日本の人々の生活が犠牲になるのはやはりどう考えてもおかしいし、許しておくわけにはいかないというのが私の率直な思いである。
メディア側も「使いやすい専門家」に殺到
アナリストばかりを批判してきたが、一方でそんな彼らを「起用」するメディアもメディアだろう。メディアが誤った情報を発信する専門家に取材し、結果的にデマを拡散してしまうのには大きく2つの理由がある。
一つはまったくシンプルに、メディアの人間はアナリストの品質を見定める目を持っていないからだ。ここで言う「品質」とは、しっかりとした経済学の枠組みに沿ったまともな予測をする能力のことだ。しかし、テレビマンや新聞記者がそこまでの知識を持っていることはまずないし、その能力の有無を判断するのは難しい。そこで結局、大手金融機関・有名シンクタンクなどの立派な肩書きがあるアナリスト、あるいは、視聴者にわかりやすくて面白いストーリーを提供できる「先生」が指名されることになる。
もう一つは、アナリストと同様に、メディアという組織そのものが抱える問題である。たとえば新聞記者に、「相場の動きを言い当てる記事を書こう」というインセンティブが働いているケースはまずないだろう。メディアの役割は、投資リターンを高める材料を提供することではないので、それはやむを得ない。
もしもそういう記事を書いたとしても、それは予測を提供したアナリストの手柄として認識されるだろうし、そのことによって記者の社内的評価が上がるかというと、そんなことはないだろう。アナリストと同様、短期的には一定量の仕事をこなすことが求められるという意味では、記事などの「本数」を稼ぐことが重要になる。
また、営利企業でもあるメディアは、市場や経済の動きを「広く伝えること」、つまり、視聴率・購読者数を高めようとすることからは逃れられない。そのためには、些細な事象についてセンセーショナルに記事を書いたり、危機を煽るような番組演出をしたりすることが必要になる。
ランキング上位に入る
人気アナリストの「正体」とは?
そうなると、「メディアに選ばれるアナリスト」というのは、2種類に分かれる。一つはいつでも取材にスムーズに応じてくれて、わかりやすい話をすぐできる人。メディアの人たちは厳しい時間的制約のなかで、一定量のニュースを次から次へと「生産」しなくてはならない。メディア側でストーリーの筋道をつくってしまっている場合には、スピーディに事実確認をして、臨場感の味付けや権威づけを手伝ってくれる専門家が重宝される。
なお、経済メディアが伝える「アナリストランキング」などがあるが、これに投票するのは投資家であり、普段からサービスしてくれているアナリストへの「対価」としての意味合いが大きい。経済予測の精度はほとんど勘案されず、アナリストの所属する証券会社の営業サービスがものを言う、一種の人気投票である。
そして、著名アナリストになるためのもう一つの要素が、センセーショナルで面白いシナリオを語れることである。これは経済書のマーケットなどでもよく見られるパターンだ。こういう人たちは定期的に書籍を刊行するが、経済の状況がどれだけ変化しようとも、「国債が暴落し、日本経済が破綻する!」「未曾有の円高がやってくる!」など、ネガティブな見通しをいつも繰り返し語る点で共通している。前回の(大ハズレだった)予測については「なかったこと」になっているケースがほとんどだ。
これらは経済分析や投資判断の材料としての価値はゼロだが、一定数のファンが絶えないことを考えると、一種の「伝統芸能」ないし「エンターテインメント」として消費されており、間接的には日本経済に貢献していると言うべきかもしれない。むしろ、おなじみの「日本が危ない!」論が聞こえているあいだは安心だ。彼らが万が一、「日本がよくなる!」などと言いはじめれば、逆に、私は景気の行き過ぎを疑うだろう。
いずれにしろ、日本の経済メディアは、世界の投資のプロたちからすれば考えられないようなデマ情報を流しているというのが実情である。だが、最後につけ加えておけば、アナリストのなかにも良心のあるプロフェッショナルはいるし、しかるべき専門家の声を報じるメディアも存在している。それを見分ける目を養っていただくうえでも、最新刊『日本経済はなぜ最高の時代を迎えるのか?』を参考にしていただければ幸いである。
[通説]「著名人の経済解説なら、わかりやすくて信頼できる」
【真相】否。メディアが流す「経済予測」は外れて当然。
村上尚己(むらかみ・なおき)
アライアンス・バーンスタイン株式会社 マーケット・ストラテジスト。1971年生まれ、仙台市で育つ。1994年、東京大学経済学部を卒業後、第一生命保険に入社。その後、日本経済研究センターに出向し、エコノミストとしてのキャリアを歩みはじめる。第一生命経済研究所、BNPパリバ証券を経て、2003年よりゴールドマン・サックス証券シニア・エコノミスト。2008年よりマネックス証券チーフ・エコノミストとして活躍したのち、2014年より現職。独自の計量モデルを駆使した経済予測分析に基づき、投資家の視点で財政金融政策・金融市場の分析を行っている。
著書に『 日本人はなぜ貧乏になったか?』(KADOKAWA)、『 「円安大転換」後の日本経済』(光文社新書)などがあるほか、共著に『 アベノミクスは進化する―金融岩石理論を問う』(中央経済社)がある。
「トランポノミクス」は、私たちの生活をどう変えるのか?
「トランプ相場」を的中させた外資系金融マンが「ニュースのウソ」を斬る!
『日本経済はなぜ最高の時代を迎えるのか?―大新聞・テレビが明かさないマネーの真実19』
なぜ日本経済に「最高の時代」が訪れると言えるのか? 大新聞・テレビで語られる「19の通説」のウソを暴き、シンプルな、あまりにシンプルな「真相」を突きつける「最高の経済入門書」! !
◎第1章 トランプなのになぜ株高・円安なのか?
◎第2章 「悲観シナリオ」が日本から消えない理由
◎第3章 経済ニュースが日本人を貧乏にしている
◎第4章 日本経済を復活させるトランポノミクス
◎第5章 自分の頭で考え、自分の資産を守る時代へ
ご購入はこちら!
>>>[Amazon.co.jp] [紀伊國屋書店BookWeb] [楽天ブックス]
勝ち抜き戦の情報は、どっかにないものか?
勝ち馬につけ、という。
競馬と違い、思いが同じの人が多いと、
分け前が増えるゲームだ。
理屈に酔うのでなく、結果に酔いたい。
メディアなんか、関係ない。
オレの闘い、だ。
ボンビーの闘い。なのだ。
参考(^^)
日本のメディアが「当たらない予測を垂れ流すエコノミスト」の意見を好む理由 「わかりやすい経済解説」に潜むワナ
村上尚己
日本の経済メディアには、繰り返し繰り返し「過剰な悲観論」が登場するが、振り返ってみると、その経済予測が当たったためしはほとんどない。にもかかわらず、メディアは「予測を外した人物」のオピニオンを取り上げることを止めようとしない。
「トランプ相場」の到来を的中させた外資系金融マーケット・ストラテジストの村上尚己氏は、国内
アナリストたちとメディアとの間にある種の「共犯関係」
が成立しているのだと指摘する。同氏の注目の最新刊『日本経済はなぜ最高の時代を迎えるのか?』から一部をご紹介しよう。
メディアと専門家の「共犯関係」
前回までの内容からもわかるとおり、じつは日本のメディアに登場するアナリストの言説を鵜呑みにしていると、損をすることはあっても、投資リターンを高めることにはあまり役立たない。今回のトランプ相場の到来だけでなく、2012年末からのアベノミクス相場への大転換すら指摘できなかったアナリストがほとんどである。予測を何度外しても、相変わらず珍説を披露するのをやめない人も散見される。
それでもなお、大新聞やテレビは彼らに意見を聞くのをやめようとしない。常識的に考えれば、ここまで精度の低い予測を垂れ流す人間には誰も耳を貸さなくなりそうなものであるが、なぜかそうはならない。これが日本の経済アナリストと経済メディアに見られる、独自の奇妙な構造である。そこで今回は、下記の通説を検討してみることにしよう。
[通説]「著名人の経済解説なら、わかりやすくて信頼できる」
私が知る限り、米大統領選でドル安・円高に動くシナリオをメインに据えていたプロフェッショナルの海外投資家はほとんどいなかった。彼らは基本的な経済理論を踏まえたうえで、それが金融市場の価格形成にどう影響するかを考えている。トランプ相場が「教科書どおりの値動きでしかない」と私が語る理由もここにある。彼らが突飛な予測をすることはほとんどないのだ。
なぜ日本では、経済にまつわる分析や報道が正常に機能しないのだろうか? 以前の連載で触れた「円高シンドローム」のような歴史的経緯も軽視できないが、もう一つ考えられるのが、彼らが所属している組織の構造的要因である。
※参考
トランプ「円安批判」に戦慄する日本人の「歴史的トラウマ」とは?
―「円高シンドローム患者」の過剰反応に踊らされてはならない
http://diamond.jp/articles/-/116539
アナリストが重視するのは、
予測レポートの「質」より「量」
端的に言ってしまえば、日本のアナリストたちが繰り返し「当たらない予測」をし続けるのは、彼らが会社から「投資リターンを高めること」をそもそも期待されていないからである。
これは多少言い過ぎの面があるかもしれないし、なかには顧客の利益になる情報を真剣に伝えようと努力している人ももちろんいるだろう。しかし、アナリストがどれだけ多数のレポートを出し、どれだけ頻繁にメディアに露出していようとも、その人の予測精度の高さとはまったく相関がない(あるいは逆相関している)のが実情だ。
私自身もかつては国内外の証券会社やシンクタンクで勤務し、エコノミストやアナリストの仕事を務めてきた。
エコノミストやアナリストの主な仕事は、マクロ経済や当局の政策動向を予測・分析し、投資家のための「レポート」にまとめること
である。当然ながら、株価・金利・為替など金融市場の具体的見通しにまで踏み込むことになるので、時間が経てば予測が当たったかどうかははっきりと答えが出る。
しかし、金融機関やシンクタンクに勤めるサラリーマン・アナリストたちは、予測の精度を高めることにはさほどモチベーションを感じづらい。むしろ、社内的な評価を考えれば、重要なのは、レポートの本数を増やして顧客満足度を高めることである。
いまだから言うが、私自身もアナリストとして駆け出しの頃には、レポートの品質を高めることよりも、まずレポートの数を増やすことに注力せざるを得なかった時期があった。証券会社のアナリストにとって、予測の精度が人事評価にとって大きなウエイトを占めることは少ないし、そもそも予測が正確だったかどうかを検証する仕組みも整っていないのだ。したがって、サラリーマンとして一定の評価を得ようとするのなら、やはり目に見える形でレポートを(質は低くても)大量にアウトプットするのが最も合理的なのである。
「アナリストの評価」は
メディア露出に依存している
レポートの「本数」のほかに、アナリストが重視するのが、メディアへの露出である。経済紙やビジネス誌、ウェブメディアやテレビ番組に出演して、コメントをする機会が増えれば、当然ながらそのアナリストの影響度は高まるし、所属企業のブランド認知も進む。さらに、組織に所属するサラリーマンとして、その後のキャリアステップを考える際にも、メディアへの露出を高めて、「顔」を売っていくほうがプラスの影響が大きいのだ。
こうした「著名アナリスト」になるうえで重要なのは、的確な予測をできるかどうかではない。投資家だけでなく購読者や視聴者に「わかりやすいと感じてもらえる筋書き」をつくれるか、さらにメディア側の意向に沿った発言ができるかがモノを言う世界である。
だからこそ、アナリストたちは予測にしっかりとした理論的背景があるかどうかはさほど重視せず、「リスクオフによって安全通貨・円が買われて円高になる」などといった、マスコミ好みの「もっともらしいストーリー」をつくることに注力するのである。
私は、現在、外資系運用会社のマーケット・ストラテジストという立場にあり、同僚らと議論を繰り返しながら、最終投資家がいかに儲けられるかをサポートする投資戦略を立案する立場にある(難しいがやりがいがある仕事だ)。
つまり、現在の私は投資家側のポジションにもあり、さまざまなアナリスト/エコノミストたちのレポートの「ユーザー」でもあるわけだ。日頃から膨大な数のレポートに目を通していると、アナリストたちの間にもかなりのレベル差があることに気づかざるを得ない。まさに玉石混交といった感じだが、大半を占めるのは「石」であるし、時間的余裕も限られているので、すべてをじっくり読んでいるわけにはいかない。そうなると、どうしてもメディア露出が多い人のレポートから優先的に目を通すことになることも少なくないのだ。
もちろん、プロの投資家たちは特定のレポートだけを鵜呑みにすることはなく、多数のシナリオ・分析を収集したうえで、自分なりの投資判断を下していく。そうだとしても、やはりメディアに露出しているアナリストのほうが、レポートを参照してもらえる機会は多いだろう。アナリストとしての影響度を高めるうえでも、メディアに出ることは重要なのである。
私はこれまで約20年間にわたって金融業界に身を置き、米・欧・日の証券会社を含めた複数の会社を渡り歩いてきた。だからこそ、アナリストという人種がどういう考え方をしながら仕事をしているのかはよく理解しているつもりだ。
さらにいまは、さまざまなレポートを横断的に参照して、それぞれの経済分析・予測の価値を見極めていくマーケット・ストラテジストの仕事をしているので、そうした観察材料にも事欠かない。そうなると、社内政治やメディア露出に注力し、経済分析・予測の精度を高めようとしない「なんちゃってアナリストたち」の存在は否が応でも目に入ってくるのである。
社内的な評価制度やメディアとのもたれ合いの構造を考えると、彼らの行動に合理的な側面があるのも事実だ。彼らも一人の経済人として、自分の利益を最大化する振る舞いをしているという意味では、一方的に批判するのはフェアではないのかもしれない。
しかし、誤った経済観を広めることは、投資家たちの不利益となるだけでなく、長期的には日本経済の正常化を遅らせる要因にもなる。彼ら個人の社会的な成功のために、日本の人々の生活が犠牲になるのはやはりどう考えてもおかしいし、許しておくわけにはいかないというのが私の率直な思いである。
メディア側も「使いやすい専門家」に殺到
アナリストばかりを批判してきたが、一方でそんな彼らを「起用」するメディアもメディアだろう。メディアが誤った情報を発信する専門家に取材し、結果的にデマを拡散してしまうのには大きく2つの理由がある。
一つはまったくシンプルに、メディアの人間はアナリストの品質を見定める目を持っていないからだ。ここで言う「品質」とは、しっかりとした経済学の枠組みに沿ったまともな予測をする能力のことだ。しかし、テレビマンや新聞記者がそこまでの知識を持っていることはまずないし、その能力の有無を判断するのは難しい。そこで結局、大手金融機関・有名シンクタンクなどの立派な肩書きがあるアナリスト、あるいは、視聴者にわかりやすくて面白いストーリーを提供できる「先生」が指名されることになる。
もう一つは、アナリストと同様に、メディアという組織そのものが抱える問題である。たとえば新聞記者に、「相場の動きを言い当てる記事を書こう」というインセンティブが働いているケースはまずないだろう。メディアの役割は、投資リターンを高める材料を提供することではないので、それはやむを得ない。
もしもそういう記事を書いたとしても、それは予測を提供したアナリストの手柄として認識されるだろうし、そのことによって記者の社内的評価が上がるかというと、そんなことはないだろう。アナリストと同様、短期的には一定量の仕事をこなすことが求められるという意味では、記事などの「本数」を稼ぐことが重要になる。
また、営利企業でもあるメディアは、市場や経済の動きを「広く伝えること」、つまり、視聴率・購読者数を高めようとすることからは逃れられない。そのためには、些細な事象についてセンセーショナルに記事を書いたり、危機を煽るような番組演出をしたりすることが必要になる。
ランキング上位に入る
人気アナリストの「正体」とは?
そうなると、「メディアに選ばれるアナリスト」というのは、2種類に分かれる。一つはいつでも取材にスムーズに応じてくれて、わかりやすい話をすぐできる人。メディアの人たちは厳しい時間的制約のなかで、一定量のニュースを次から次へと「生産」しなくてはならない。メディア側でストーリーの筋道をつくってしまっている場合には、スピーディに事実確認をして、臨場感の味付けや権威づけを手伝ってくれる専門家が重宝される。
なお、経済メディアが伝える「アナリストランキング」などがあるが、これに投票するのは投資家であり、普段からサービスしてくれているアナリストへの「対価」としての意味合いが大きい。経済予測の精度はほとんど勘案されず、アナリストの所属する証券会社の営業サービスがものを言う、一種の人気投票である。
そして、著名アナリストになるためのもう一つの要素が、センセーショナルで面白いシナリオを語れることである。これは経済書のマーケットなどでもよく見られるパターンだ。こういう人たちは定期的に書籍を刊行するが、経済の状況がどれだけ変化しようとも、「国債が暴落し、日本経済が破綻する!」「未曾有の円高がやってくる!」など、ネガティブな見通しをいつも繰り返し語る点で共通している。前回の(大ハズレだった)予測については「なかったこと」になっているケースがほとんどだ。
これらは経済分析や投資判断の材料としての価値はゼロだが、一定数のファンが絶えないことを考えると、一種の「伝統芸能」ないし「エンターテインメント」として消費されており、間接的には日本経済に貢献していると言うべきかもしれない。むしろ、おなじみの「日本が危ない!」論が聞こえているあいだは安心だ。彼らが万が一、「日本がよくなる!」などと言いはじめれば、逆に、私は景気の行き過ぎを疑うだろう。
いずれにしろ、日本の経済メディアは、世界の投資のプロたちからすれば考えられないようなデマ情報を流しているというのが実情である。だが、最後につけ加えておけば、アナリストのなかにも良心のあるプロフェッショナルはいるし、しかるべき専門家の声を報じるメディアも存在している。それを見分ける目を養っていただくうえでも、最新刊『日本経済はなぜ最高の時代を迎えるのか?』を参考にしていただければ幸いである。
[通説]「著名人の経済解説なら、わかりやすくて信頼できる」
【真相】否。メディアが流す「経済予測」は外れて当然。
村上尚己(むらかみ・なおき)
アライアンス・バーンスタイン株式会社 マーケット・ストラテジスト。1971年生まれ、仙台市で育つ。1994年、東京大学経済学部を卒業後、第一生命保険に入社。その後、日本経済研究センターに出向し、エコノミストとしてのキャリアを歩みはじめる。第一生命経済研究所、BNPパリバ証券を経て、2003年よりゴールドマン・サックス証券シニア・エコノミスト。2008年よりマネックス証券チーフ・エコノミストとして活躍したのち、2014年より現職。独自の計量モデルを駆使した経済予測分析に基づき、投資家の視点で財政金融政策・金融市場の分析を行っている。
著書に『 日本人はなぜ貧乏になったか?』(KADOKAWA)、『 「円安大転換」後の日本経済』(光文社新書)などがあるほか、共著に『 アベノミクスは進化する―金融岩石理論を問う』(中央経済社)がある。
「トランポノミクス」は、私たちの生活をどう変えるのか?
「トランプ相場」を的中させた外資系金融マンが「ニュースのウソ」を斬る!
『日本経済はなぜ最高の時代を迎えるのか?―大新聞・テレビが明かさないマネーの真実19』
なぜ日本経済に「最高の時代」が訪れると言えるのか? 大新聞・テレビで語られる「19の通説」のウソを暴き、シンプルな、あまりにシンプルな「真相」を突きつける「最高の経済入門書」! !
◎第1章 トランプなのになぜ株高・円安なのか?
◎第2章 「悲観シナリオ」が日本から消えない理由
◎第3章 経済ニュースが日本人を貧乏にしている
◎第4章 日本経済を復活させるトランポノミクス
◎第5章 自分の頭で考え、自分の資産を守る時代へ
ご購入はこちら!
>>>[Amazon.co.jp] [紀伊國屋書店BookWeb] [楽天ブックス]