黒田和夫 - Wikipedia
黒田 和夫(くろだ かずお、1917年4月1日 - 2001年4月16日)はアメリカ合衆国の地球化学者。
頭脳流出のはしり、と。
戦後すぐの時期に日本で核宇宙化学研究といってもどうしようもないわけで、、渡米して永住する決断は当然だろう。
外国籍の研究者に「核」関係の研究費や情報は回せないだろうし、帰化も当然の帰結だったのだろうな。
帰化定着しても、日本出身者はあくまでも日本の利益を代表しているとみてしまう?
カバー折り返し(というのかな)に記された著者略歴中で、「プルトニウム二四四仮説」とする筈が「プルトニウム四四仮説」になっていた残念ぶり!
プルト「二」ウムと紛れて見逃したのかな?
事情があってぜひ本書を確認したくて、図書館の保存庫から借り出してもらった(←「借り出してもらったものを貸し出してもらった」ので誤記ではないよ)。
昭和63年2月初版だけど、35年前にしてはずいぶんと紙が劣化していて、崩壊目前の儚さ。
こういうカバー絵だった。
17億年前の原子炉-居酒屋ガレージ日記
第1章 ふたたび、三四郎の時代へ
第2章 客星の出現
第3章 プルトニウム244物語
第4章 17億年前の原子炉
第5章 だれにも解けないゼノンの謎
Xe:今ではキセノンとよぶXenonは、当時は英語読みでゼノンだったのね。
その場合、力士の愛称はどうなっていたかな。
(しこ名の方がゼノン里だったりは・・・しない!)
天然原子炉の話は第4章なのだが、版元の要請により書名自体を(インパクトがある)「17億年前の原子炉」としたものだと。
全体の内容を表しているのはサブタイトルの「核宇宙化学の最前線」が適当だと~アピールしないよね、それでは。
大学生時代の愉快エピソード(ノーベル賞受賞者大先生来日講演の際に著書にサインをもらった経緯)から、田舎の大学(アーカンソー大)を核宇宙化学研究の一大拠点(弟子多数)にしながら学界の勢力争いに敗れて(?)、英米の学会誌に論文が採択してもらえず、政府の研究費も配分して貰えず、配下の研究者の給与を打ち切られて解雇される等の憂き目にあうなどの生々しい話も、研究室主宰の立場から引退した日々(執筆時70歳かな)に回顧するなども。
大規模研究室を率いていくには、政治家的資質と行動が必須であることよなぁ・・・。
教授だけがそうであっても駄目で、高弟たちもそのように動けないとね。
弟子は、命じられてそうするのではなく、そうすることが自分自身のためになるからであることが必要だろうし。
あてにしていたらいざというときにすッと逃げちゃったりするケースとかもあるのかな。
同業者たちとの同盟作りと維持とかも・・・。
各地に散った弟子たちが支えてくれないと?
なんのこっちゃ。
黒田博士の場合は、個人の努力ではどうしようもない事情であったらしく、「その当時の日本の科学技術の急速な向上からくる、日本人に対するアメリカの科学者の警戒心」ゆえに、1977年に四面楚歌になったと分析している。
帝大学生時代、「日伊交換留学生募集」の掲示を見て、ローマ大のエンリコ・フェルミ - Wikipedia教授のところへ留学したいと考えた黒田青年は、学内選考試験に備えてイタリア語入門書で猛勉強したが、選考試験の外国語はフランス語で実施という追加掲示を見て断念した、と。
フェルミはその後アメリカに移住(1938年のノーベル賞授賞式に出席した足で)したので、もしイタリア留学していても弟子になることはかなわなかった・・。
戦後、黒田氏が天然原子炉の可能性を計算から証明(そういうことがあり得るとの指摘自体は以前にも出ていたが、計算してきちんと説明したのは黒田が初)した際、「世界初の原子炉を作った」誇り高きシカゴ学派(フェルミの弟子筋)から猛反発を受けたが、フランスがオクロで実物を発見して1972年に発表したので、ドーダ!となった。
「人工の原子炉はシカゴ・パイル1が最初だが、神様(自然)はずっと昔に地球上に作っていた」~究極の「ドーダ」であることよ。
愉快エピソード
①フランシス・アストン - Wikipedia(1922年ノーベル化学賞)が昭和11年6月に来日し東京帝大で特別講演。
英語の講義を聞くのが初めてだった1年生の黒田青年は、丸善で大枚12円60銭で博士の著書を買い求め予習。
講義当日の翌土曜、開始まで間があったので化学教室の屋上で読み残し部分を読んでいたところ、教授が当該大先生らしき外国人を案内して登場したので、お願いして著書にサイン&握手してもらう。
~旧制大学1年生は6月に英語の専門大著を1泊2日でほぼ読めてしまったということ?
学者として大成する人は違うわ!
②2年生の黒田青年、こんどはニールス・ボーア - Wikipedia(1922年にノーベル物理学賞)が来日した昭和12年4月、特別連続講義をするというので、また丸善で6円30銭で著書を贖い予習に励み、また屋上で待ち構えたが現れず、講義ではやはり最前列に陣取って謹聴したが、デンマーク訛りが強いせいかよくわからないし話も面白くない。
せっかく買った本には是非サインしてもらおうとしたが、講義終了後に物理学徒大勢が取り囲む中で仁科芳雄博士(招聘者、ボーアの弟子)と数式を書きながら長談義して終わらないため、話に割って入って強引にサインを頂く。
仁科芳雄 - Wikipedia博士は苦笑い(「なんだこいつ」と思って見ていた)。
翌日(連続講義なので翌日も続き開催)「講義の前後にみだりに講演者に近付いたり話しかけたりするべからず」との大掲示を出されてしまう。
その後、理研の仁科研と東京帝大木村健二郎 - Wikipedia研が共同研究した際には、仁科先生のお目にとまらないように行動=気配を消すよう努めた!
~また屋上で待機したというのは、話を面白くするためのナニかとも思わなくもないが、愉快千万。
「これだ!」と思った時の瞬発力・突破力は学者さんも大切なんでしょうなぁ。
天然原子炉成立の条件を試算
Kuroda, Paul Kazuo (1956). “On the Nuclear Physical Stability of the Uranium Minerals”. Journal of Chemical Physics 25: 781-782; 1295-1296.
Kuroda_p781.pdf
www.radiochemistry.org
これは1956年であり、本書でもその中の表(ご本人の計算結果)を引用。
なんだけど、別資料では1954年の米物理学会で発表したのが最初だとの記述あり。
~その発表が(フェルミの弟子らに)攻撃されたので、「こういう前提(水とウランの比を一定ではなく変数として扱うべき)で計算していくと、ほぉーら、成り立つじゃん」と示して見せたのが1956年の Journal of Chemical Physics投稿、ってことなのかな。
第2章 客星の出現
もいいね。
小見出しを紹介しておくね~だいたいイメージできるだろう。
大宮人も見た元素合成の現場
アメリカ・インディアンもそれを見た
新しい超新星
これから大爆発する星
奇想天外!
SN1054について紹介し、さらに最新のSN1987Aについて、「この昭和62年の超新星は、星の中における元素の合成に関する研究分野に、莫大な新しいデータを提供するものと期待されている。」と結んでいる。
そのころ、岐阜の山中の地下深くでは・・・というわけなのね。
その2に続く
黒田 和夫(くろだ かずお、1917年4月1日 - 2001年4月16日)はアメリカ合衆国の地球化学者。
頭脳流出のはしり、と。
戦後すぐの時期に日本で核宇宙化学研究といってもどうしようもないわけで、、渡米して永住する決断は当然だろう。
外国籍の研究者に「核」関係の研究費や情報は回せないだろうし、帰化も当然の帰結だったのだろうな。
帰化定着しても、日本出身者はあくまでも日本の利益を代表しているとみてしまう?
カバー折り返し(というのかな)に記された著者略歴中で、「プルトニウム二四四仮説」とする筈が「プルトニウム四四仮説」になっていた残念ぶり!
プルト「二」ウムと紛れて見逃したのかな?
事情があってぜひ本書を確認したくて、図書館の保存庫から借り出してもらった(←「借り出してもらったものを貸し出してもらった」ので誤記ではないよ)。
昭和63年2月初版だけど、35年前にしてはずいぶんと紙が劣化していて、崩壊目前の儚さ。
こういうカバー絵だった。
17億年前の原子炉-居酒屋ガレージ日記
第1章 ふたたび、三四郎の時代へ
第2章 客星の出現
第3章 プルトニウム244物語
第4章 17億年前の原子炉
第5章 だれにも解けないゼノンの謎
Xe:今ではキセノンとよぶXenonは、当時は英語読みでゼノンだったのね。
その場合、力士の愛称はどうなっていたかな。
(しこ名の方がゼノン里だったりは・・・しない!)
天然原子炉の話は第4章なのだが、版元の要請により書名自体を(インパクトがある)「17億年前の原子炉」としたものだと。
全体の内容を表しているのはサブタイトルの「核宇宙化学の最前線」が適当だと~アピールしないよね、それでは。
大学生時代の愉快エピソード(ノーベル賞受賞者大先生来日講演の際に著書にサインをもらった経緯)から、田舎の大学(アーカンソー大)を核宇宙化学研究の一大拠点(弟子多数)にしながら学界の勢力争いに敗れて(?)、英米の学会誌に論文が採択してもらえず、政府の研究費も配分して貰えず、配下の研究者の給与を打ち切られて解雇される等の憂き目にあうなどの生々しい話も、研究室主宰の立場から引退した日々(執筆時70歳かな)に回顧するなども。
大規模研究室を率いていくには、政治家的資質と行動が必須であることよなぁ・・・。
教授だけがそうであっても駄目で、高弟たちもそのように動けないとね。
弟子は、命じられてそうするのではなく、そうすることが自分自身のためになるからであることが必要だろうし。
あてにしていたらいざというときにすッと逃げちゃったりするケースとかもあるのかな。
同業者たちとの同盟作りと維持とかも・・・。
各地に散った弟子たちが支えてくれないと?
なんのこっちゃ。
黒田博士の場合は、個人の努力ではどうしようもない事情であったらしく、「その当時の日本の科学技術の急速な向上からくる、日本人に対するアメリカの科学者の警戒心」ゆえに、1977年に四面楚歌になったと分析している。
帝大学生時代、「日伊交換留学生募集」の掲示を見て、ローマ大のエンリコ・フェルミ - Wikipedia教授のところへ留学したいと考えた黒田青年は、学内選考試験に備えてイタリア語入門書で猛勉強したが、選考試験の外国語はフランス語で実施という追加掲示を見て断念した、と。
フェルミはその後アメリカに移住(1938年のノーベル賞授賞式に出席した足で)したので、もしイタリア留学していても弟子になることはかなわなかった・・。
戦後、黒田氏が天然原子炉の可能性を計算から証明(そういうことがあり得るとの指摘自体は以前にも出ていたが、計算してきちんと説明したのは黒田が初)した際、「世界初の原子炉を作った」誇り高きシカゴ学派(フェルミの弟子筋)から猛反発を受けたが、フランスがオクロで実物を発見して1972年に発表したので、ドーダ!となった。
「人工の原子炉はシカゴ・パイル1が最初だが、神様(自然)はずっと昔に地球上に作っていた」~究極の「ドーダ」であることよ。
愉快エピソード
①フランシス・アストン - Wikipedia(1922年ノーベル化学賞)が昭和11年6月に来日し東京帝大で特別講演。
英語の講義を聞くのが初めてだった1年生の黒田青年は、丸善で大枚12円60銭で博士の著書を買い求め予習。
講義当日の翌土曜、開始まで間があったので化学教室の屋上で読み残し部分を読んでいたところ、教授が当該大先生らしき外国人を案内して登場したので、お願いして著書にサイン&握手してもらう。
~旧制大学1年生は6月に英語の専門大著を1泊2日でほぼ読めてしまったということ?
学者として大成する人は違うわ!
②2年生の黒田青年、こんどはニールス・ボーア - Wikipedia(1922年にノーベル物理学賞)が来日した昭和12年4月、特別連続講義をするというので、また丸善で6円30銭で著書を贖い予習に励み、また屋上で待ち構えたが現れず、講義ではやはり最前列に陣取って謹聴したが、デンマーク訛りが強いせいかよくわからないし話も面白くない。
せっかく買った本には是非サインしてもらおうとしたが、講義終了後に物理学徒大勢が取り囲む中で仁科芳雄博士(招聘者、ボーアの弟子)と数式を書きながら長談義して終わらないため、話に割って入って強引にサインを頂く。
仁科芳雄 - Wikipedia博士は苦笑い(「なんだこいつ」と思って見ていた)。
翌日(連続講義なので翌日も続き開催)「講義の前後にみだりに講演者に近付いたり話しかけたりするべからず」との大掲示を出されてしまう。
その後、理研の仁科研と東京帝大木村健二郎 - Wikipedia研が共同研究した際には、仁科先生のお目にとまらないように行動=気配を消すよう努めた!
~また屋上で待機したというのは、話を面白くするためのナニかとも思わなくもないが、愉快千万。
「これだ!」と思った時の瞬発力・突破力は学者さんも大切なんでしょうなぁ。
天然原子炉成立の条件を試算
Kuroda, Paul Kazuo (1956). “On the Nuclear Physical Stability of the Uranium Minerals”. Journal of Chemical Physics 25: 781-782; 1295-1296.
Kuroda_p781.pdf
www.radiochemistry.org
これは1956年であり、本書でもその中の表(ご本人の計算結果)を引用。
なんだけど、別資料では1954年の米物理学会で発表したのが最初だとの記述あり。
~その発表が(フェルミの弟子らに)攻撃されたので、「こういう前提(水とウランの比を一定ではなく変数として扱うべき)で計算していくと、ほぉーら、成り立つじゃん」と示して見せたのが1956年の Journal of Chemical Physics投稿、ってことなのかな。
第2章 客星の出現
もいいね。
小見出しを紹介しておくね~だいたいイメージできるだろう。
大宮人も見た元素合成の現場
アメリカ・インディアンもそれを見た
新しい超新星
これから大爆発する星
奇想天外!
SN1054について紹介し、さらに最新のSN1987Aについて、「この昭和62年の超新星は、星の中における元素の合成に関する研究分野に、莫大な新しいデータを提供するものと期待されている。」と結んでいる。
そのころ、岐阜の山中の地下深くでは・・・というわけなのね。
その2に続く