真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

広島で原爆被爆、長崎に帰郷したらまたも被爆した「二重被爆者」、山口さんが晩年に世界に訴えた思い

2010-01-14 | 読書-歴史
『生かされている命―広島・長崎「二重被爆者」、90歳からの証言』
山口 彊【著】
講談社
(2007/07/25 出版)

先日93歳でなくなった山口 彊(つとむ)さんの2007年の著書を読む。
「歌人 山口雀陵」の93年の壮絶な生涯は、ざっとこんな感じでしょうか?

・海運業を営む祖父のおかげで裕福な暮らし
(兄=長男は乳児の時に事故死。過失を責められ続けた母が著者8歳の時に自殺)
・小学校ではいつも級長(文武両道に優れる)。ガキ大将体質
14歳:世界恐慌で父の事業が破綻、一転苦学生の境遇に。
・新聞配達しながら旧制中学を卒業
 ~在学中は英語に興味を持ち熱心に学習。英国仕込の教師から綺麗な発音を伝授さる。
・英語教員の免状取得(試験官が発音に驚く)

・長崎三菱造船所に製図工として就職
 ~緻密さが必要な仕事は向いていないと感じるも、生活のためと割り切る
 反骨精神横溢に係るエピソードあり(会社は官僚的で職格による身分差別激しい)
 3年で技師に登用される
 徴兵は(軍需産業の)技術者につき免除
 戦時標準船(片っ端から沈められる)の設計に注力

1945年:戦争激化で長崎造船所で建造すべき船なくなり、同僚2名とともに広島造船所に長期出張を命じられる
 ~船舶の設計に従事。宿泊は会社の寮。
8/6:3ヶ月の任期が明ける最終日前日の朝、寮からの出勤途上に被爆。
 ~左耳聴力を失うとともに左腕等に大火傷を負う
 同僚(佐藤氏、岩永氏)とともに汽車で長崎に帰郷(途中、佐藤氏とはぐれる)
 会社の病院の眼科医に応急手当を受ける。
8/9:包帯でぐるぐる巻きされた異様な姿で造船所に出社。
 ~「広島に新型爆弾」の噂を聞いていた同僚らからの質問攻めに対応
 課長「爆弾ひとつで市全域が壊滅だなんて、あるわけないだろ。お前、大火傷で頭がおかしくなったんじゃないのか?」
 本人「いや、ほんとうなんです!」
 などと言っている中、被爆。
 包帯等吹っ飛ぶ。建物から辛くも脱出。
 自宅の妻子は無事(次男生後6ヶ月。長男は医療事情悪い中、以前に生後150日で病死していた)
 ~市内に買出し等でしばしば滞在のため妻子ともに残留放射能も被爆

敗戦:人員整理で造船所を解雇される
 ~「君を原爆にあわせたのは僕だから、解雇はさせない」と守ってくれた課長自身が解雇され、続いて著者も

・英会話力を見出され、進駐軍(テキサス出身者で構成される海兵隊部隊)で通訳として働く
 ~字の書けない兵士に頼まれて母親宛の手紙の代筆などもする

・中学校で英語教員として働く(7年間)

・(高度成長で人手不足になった)造船所から勧誘され、設計部門に再就職
 ~推されて組合活動で活躍。会社側からは目の敵にされる。
・定年まで船舶設計に従事。その後も小規模造船所で設計業務に従事
 ~外国の船舶発注主から工程監督のために来日し滞在する担当者に対応する中、二重被爆の経験を話す機会あり。
 それが監督者の帰国後に当該国プレスの興味を引き、取材を受けることもあった。
(通訳不要でインタビュー可能なため、外国プレスに人気?)

・次男(60歳)を癌で失う
・以後、二重被爆の経験を後世に伝える使命感に目覚め、内外のプレスに積極対応。
 著書を出版。映画にも出演。海外講演も。

2010年1月:93歳で逝去

(速読協会もびっくりの斜め読みしたので、違っていたらごめんなさい!)

なお、米国の記者の場合、「(本土上陸作戦が避けられたために)自国の兵士多数が助かったので・・・」という原爆肯定論との関係が微妙かも*。
(*歴史的評価は以前に記載したことあり。修正の必要を認めず)

ゆえに、広島・長崎原爆の話題に関しては、米国以外の見方も参照することを薦める南面堂、英国プレスの記述を見つける。
英国仕込の先生から英語を習ったことで、名を残すことになった山口さんにふさわしく?

英紙の記者ブログ。Richard Lloyd Parry氏:
The Luckiest or Unluckiest Man in the World? Tsutomu Yamaguchi, double A-bomb victim
March 25, 2009
長崎市により二重被爆の認定がなされたとのニュース(2009年3月)をきっかけとして、4年前の2005年に終戦60周年を前にして実施した現地取材の時の模様を記載したものらしい。

生前の紹介記事や訃報記事等を一通り見た(リンク集を後日UP予定)中で、これがもっとも詳細と思われたので。
8月6日の出勤時、ハンコを忘れたのに気付いて寮に取りに戻って・・・等、著書の記載と同じ詳細な記述あり。
それにしても英国人らしいタイトルだな・・という気がしないかい?

記者に同行して撮影したカメラマンJeremy Sutton-Hibbert氏のアルバム(写真38枚):
2005 Japan, Double Atomic Bomb survivors/Jeremy Sutton-Hibbert
長崎三菱造船所の二重被爆トリオ(!)、山口、岩永、佐藤の三氏に取材。

なに?こういう話があるのか:
http://ameblo.jp/nijyuu-hibaku/
そりゃ見なきゃ。

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