真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

国際派一代―あるリベラリストの回顧、反省と苦言 松山 幸雄 2013/07

2024-12-11 | 読書-エッセイ/小説etc

国際派一代―あるリベラリストの回顧、反省と苦言

元朝日新聞論説主幹だった著者が、長年にわたるワシントン、ニューヨーク、ハーバードでの体験、見聞を基にし、論じた日米政治、文化比較論。少年時代以来のユーモラスなエ...

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第1章 少年期と学生時代
第2章 朝日新聞長野支局、政治部時代
第3章 ワシントン特派員時代
第4章 アジア旅行、再び政治部へ
第5章 北海道報道部、外報部デスク時代
第6章 ニューヨーク支局長時代
第7章 アメリカ総局長時代
第8章 編集委員、論説委員時代
第9章 ハーバード大、共立女子大時代
第10章 これからの日本と日本人

松山幸雄 - Wikipedia(1930年4月3日 - 2021年10月30日)

世界における日本、説き続け 故松山幸雄・朝日新聞社元論説主幹:朝日新聞デジタル

 10月30日に91歳で亡くなった朝日新聞元論説主幹の松山幸雄さんは、知性とユーモアを兼ね備えた筆致で、世界における日本と日本人のあり方を説き続けた。戦後を代表...

朝日新聞デジタル

 


元朝日新聞論説主幹の松山幸雄さん死去 著書に「『勉縮』のすすめ」:朝日新聞デジタル
「一方、米国体験をもとに、日本人の国際化の必要性を唱える執筆活動を精力的に展開した。日米の教育文化の比較を試みた78年の「『勉縮』のすすめ」はベストセラーに。「日本診断」「しっかりせよ、自由主義」「自由と節度」など、柔らかく達意の文章でつづった著書は多くの読者に迎えられた。」
と紹介されている著作の数々も興味深くて、初期のエッセイなども含めて文庫化されている。
読んでみたいと思ったものの、地元図書館網にはデータさえないという惨状。
「戦後を代表する国際派ジャーナリスト」といっても、そんなもんなのかい。

骨太でユーモアあふれた国際ジャーナリスト松山幸雄さんへ“惜別の辞” | CBC MAGAZINE(CBCマガジン)

第4章 アジア旅行、再び政治部へ
p121 「人生、金に感ず」の自民党—「社会主義国性善説」の社会党
丸山真男が「日本の政治部記者は政界部記者」と慨嘆したが、残念ながら、ある程度有能な「政界部記者」にならないと政治記者として認知、評価されない、という面がある。アメリカの政治ジャーナリストは、情報収集力と同時に、見識と筆力の勝負。これに対して日本の政治家と政治記者の関係を支配するのは、「身内意識」「親近感」に基づいた「食い込み」。だいぶ違います。
~30年(丸山は1996年没)たっても全く変わっていないわね。
「政治ジャーナリスト」の肩書で新聞社・通信社元幹部などがTVの討論番組などに出てくるが、政局解説に終始しているし、司会者もテーマが政局の日はテンションが一段高かったりするね。

第5章 北海道報道部、外報部デスク時代
p130 「中国報道」での苦労-問題のあった角の「自主規制」
朝日の中国べったりスタンスが、外報部時代の嫌な思い出だった、と。
「日中友好に反する報道はしない』と表立って指示されていたわけではないにもかかわらず、社内の空気が形成されていた、と。
~ふむ

p144 日本中を仰天させたニクソンン・ショックー重大な約束違反
ベトナムのゴ・ジン・ジェムも、フィリピンのマルコスも、おだてておいて役立たずとなれば、あっさり切り捨てる、日本人に国際政治の冷厳さを知らせる、という意味ではよい教訓になりました。
~ははは、まったく。

第6章 ニューヨーク支局長時代
p158 中国の国連加盟前、新華社の記者には親切にしてやったのだが、中国の国連加盟が決まったら途端に、朝日も共同も、よその社と同じレベルに下げられた。よく「中国は、井戸を掘った友人は忘れない」と言うが、新華社のためにずいぶん井戸を掘った自分は、むしろ「中国は役に立つ人が好き」との印象だ。これはどこの国もそうなのだが。中国の現実主義は、日本の義理人情、情緒主義と対称的。
~まったく。
(エライ人が義理人情、情緒主義にこだわってしまうと、下は困るねぇ・・・)

p164 コロンビア大で知日派と知り合う―脱「ゴールキーパー症候群」を
国力が伸びたわりにアメリカにおける日本人のイメージがあまりよくないのは、日本を代表する人、とくに政財界の代表に魅力、迫力がないからだ、ということを、アメリカの親日家たちの発言を通して知らされた。対外援助や国連分担金をいかに増やしてもだめだ。それよりも教育を根本的に改革して、もっと魅力と迫力に富んだ日本人を出すようにすることが、大袈裟に言えば国家の安全保障に係わるのだ。
日本のえらい人に国際戦闘能力がないのは何故か、というと、結局、学校教育のありかた、それと忠誠心と協調性をテコに出世の階段を上がっていく、という日本的システムのせい。
「ゴールキーパー症候群」(松山造語)=本部にしがみついていて、冒険をしないタイプがえらくなる。社長秘書になったのが出世のきっかけ、労務・総務・企画部門にいるのがエリートー山一証券などもみんなそうだった。
~バブル崩壊を経て21世紀が進むと、そうでもないのですよ、というのだろうけれど、どーでしょーか・・・

p185 「戦艦ウシバ」奮戦す-基本的価値観が一致していれば論戦やるべし
それまでの駐米日本大使は主として国務省を相手にしていたのだが、牛場信彦大使は、佐藤行雄参事官を下働きに使い、議会にぐいぐい食い込んだ。「その奮戦ぶりは、日本の安全保障上、戦艦一隻に匹敵する」という話をアメリカ側から聞いたので「戦艦ウシバを増産せよ」というコラムを書いたところ、人口に膾炙したので、大使と奥さんからお礼の電話を貰った。
~なるほど。それはそれは。

第7章 アメリカ総局長時代
p215 知識よりも判断力の養成を―挫折回復能力と褒め上手
アメリカの教育を見て感じた利点。「知識」「記憶力」よりも、「能力の開発」に注力。
~拳拳服膺!
(とにかく適切な判断力を身に付けてほしいというのは、うちの子らに願いながら育てたつもり)
日本もねぇ、知識の詰込みではなく・・・といじくりまわしたけれど、ろくなもんにはなっていないのでは。
褒め上手はホントに大事!

p216 日本の教育の方がよいと思われる点として、先生の質が良く、天職意識を持っている点を指摘。
今でも小学校の同窓会に九十台の恩師が出席して云々と。
~へぇ、著者の小学生時代は1930~1940年代なので、公立学校教員の相対的レベルが国民の中で高かったのだろうね。
現在では(以下略

第9章 ハーバード大、共立女子大時代
p289 英語は意思疎通の手段に過ぎない―「便利な道具」とわりきること
世間の人はよく、「英語のできる人」「英語ができない人」と大雑把に分けるが、「出来る」なかにもいろいろな段階があると指摘。
Aクラス 「英語国民が感心するくらい英語が見事」
B    「ちょっと準備さえさせてくれれば、シンポジュームでもやりましょう」
C    「社交会話と、簡単な英語のスピーチの朗読くらいできます」
D    「英語の新聞くらいは読めるが会話はできない」
CとBの間がたいへん広い。BとAの間にも急な坂がある。
日本の代表にはもっとA級、少なくともBプラス級の人が増えなくてはいけない。
(緒方貞子さんは超Aプラスの由)
~そうよねぇ。CとBの間の広さは実感するわ。
昭和の時代は、「英語使い」などといって「英語は多少できるが仕事はB級」の層を軽んじたケースがあった?
仕事A級の人間で、英語もB級に手が届くレベルの層が厚くないと、ね!
(C級のえらい人がたどたどしく原稿を朗読するのを聞かされた某講習の出席者から、「日本語で話してもらって通訳してもらった方がよほど良い」と言われたことがある。ご本人は「英語で講師をやったぜ!」と言いたかったのだろうけれど、ご迷惑だったみたいな…)

第10章 これからの日本と日本人
p317 インテリの「比較三原則」—「発表力」「ユーモアのセンス」「屏風型教養」
教養とは、「専門領域、メシの種とは関係ない分野での知識、技術」それと「余裕のある人柄」。
海外を代表してくる欧米人の多くは、「屏風型」=いろいろな分野での知識、見識、あるいは趣味を持っている。
だから倒れず、安定している。対する日本側は「この道一筋」「趣味は仕事です」といったタイプが多い。
コロラド州アスペンのシンポジウムに招かれた際に、アメリカ側の参加者の教養の深さに圧倒された。
lawyerも財界人も若い時リベラルアーツの訓練をがっちり受けている。
→小林陽太郎氏の音頭で「日本アスペン」設立へ
~なるほどなるほど。
(即戦力重視大学でリベラルアーツ科目を重点的に取った南面堂のような人間はwww)

p322 文化は国境を超える―アロハ精神
毛沢東は「作家は革命の砲兵だ」と言ったが、筆者は「文化交流は平和の砲兵」だということにしている。
国民感情は悪化すれば、条約などは一片のペイパーに過ぎない。中ソ友好同盟条約が「名存実亡」になったのが良い例だ。
いろいろな文化がミックスしているハワイが参考に(アリヨシ知事の第2期の就任式で感じた由)。
~ミックスしているが、国への忠誠という点では一致しているのでしょう。日本では、各出身国の方を向いている人が(以下略

p330 頑張れ、リベラル派—緒方竹虎さんの遺訓
「リベラルな国際派」とは、イデオロギーに凝り固まらず、形式主義、前例踏襲主義、些末主義を嫌い、意見の違う人とも品位をもって議論し、agree to disagreeという寛容さを保っていることだろう。
安酒の酔いに似た偏狭なナショナリズム」(村上春樹氏)は最も排除しなければならないものだ。
「学問に国境はないけれど、学者には祖国がある」(仏医学者パストール)
~はい!


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