昭和天皇と私―八十年間お側に仕えて 単行本 – 1992/2/1
永積 寅彦 (著)
第1章 学習院初等科時代
第2章 東宮御学問所時代
第3章 摂政宮時代
第4章 若き日の昭和天皇
第5章 戦時下の御日常
第6章 戦後の時代
第7章 生物学の御研究
第8章 昭和天皇とのお別れ
第9章 宮中の祭祀
昭和天皇と私―八十年間お側に仕えて
「二十世紀の名君」と称される昭和天皇の帝王学 | ミカド文庫
所 功氏
その「御幼少時」に使われた教科書などは、御学友の永積(旧姓大迫)寅彦氏(元掌典長)が長らく大事にしておられたもので、それが昭和聖徳記念財団へ一括寄贈されている。
ちなみに、永積氏の『昭和天皇と私―八十年間お側に仕えて』(学習研究社、平成4年刊)は、友人の高橋紘(ひろし)氏と私が十数回インタビューで聴取した内容を、御本人が幼少期から数十年間つけてこれらた日記などで加筆してくださった確実な記録である。数十葉の貴重な写真ともども、ぜひ心ある方々にご覧いただきたい。
→心あるもんで
掌典職 - SHINDEN
11代掌典長を務められた
11永積寅彦(1902-1994)<1968-1977>
:山口県出身。1902年生。東京帝国大学卒。フランス法を専攻。
1968年(昭和43年)9月10日~1977年(昭和52年)6月20日。
著書『昭和天皇と私ー八十年間お側に仕えて』
宮内庁の組織、職制 | 皇室用語辞典
<掌典職(しょーてんしょく)>
皇室祭祀のことをつかさどる
(新憲法施行前は宮内省の一部局であったが、現在は国家行政機関としての宮内庁の機構の中にはなく、皇室の私的機関である。従ってその職員も国家公務員ではなく内廷職員である)
●掌典長
掌典職の長として祭祀に奉仕する
『大迫尚道 ー日清日露戦役で偉勲を奏すー』
三男・寅彦 明治35 法学士
山口、永積純次郎の養子となる
80年もお側に仕えることができたわけは、学習院初等科で裕仁親王と同級、中等科でお学友(東宮職出仕、東宮御学問所で生活)、
大学卒業後侍従(昭和2年)、侍従職のポストを歴任、侍従職大膳課長(昭和20年10月23日大膳頭ダイゼンノカミ)、
侍従次長を経て、掌典長。
昭和天皇崩御後の大喪の礼・大喪儀で祭官長。
慶弔、陵墓に関する用語 | 皇室用語辞典
●祭官長 ●祭官副長 ●祭官
大喪の礼及び大喪儀の場合の神官。
なお、大喪儀以外の皇族の葬儀には「司祭長」「司祭副長」「司祭」がある(皇室葬儀令)
その後もOBとして引っ張り出されたことがある。晩年まで次々世代に貢献されたのね。
登録日時: 1990年02月13日 講義を受ける川嶋紀子さん 紀子さんのお妃教育始まる 永積寅彦元掌典長(右)から講義を受ける川嶋紀子さん
1993 平成5年3月12日(金) 小和田雅子さん、お妃教育始まる | 1年前のきょうのこと
「お妃教育といえば、皇室の祭祀に通じた元掌典長の永積さん」ということだった模様
その他言及
皇室の危機を考える「天皇を鍛えた男たち」 米田雄介
『禁秘抄』という天皇の教科書
【昭和天皇の87年】東郷平八郎の教えと「王者の答案」(2/4ページ)
宮内庁 - Wikipedia
宮内省
宮内府 1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行とともに
宮内庁 1949年(昭和24年)6月1日には、総理府設置法の施行により、宮内府は宮内庁となって総理府の外局となり
永積 寅彦 (著)
第1章 学習院初等科時代
第2章 東宮御学問所時代
第3章 摂政宮時代
第4章 若き日の昭和天皇
第5章 戦時下の御日常
第6章 戦後の時代
第7章 生物学の御研究
第8章 昭和天皇とのお別れ
第9章 宮中の祭祀
昭和天皇と私―八十年間お側に仕えて
「二十世紀の名君」と称される昭和天皇の帝王学 | ミカド文庫
所 功氏
その「御幼少時」に使われた教科書などは、御学友の永積(旧姓大迫)寅彦氏(元掌典長)が長らく大事にしておられたもので、それが昭和聖徳記念財団へ一括寄贈されている。
ちなみに、永積氏の『昭和天皇と私―八十年間お側に仕えて』(学習研究社、平成4年刊)は、友人の高橋紘(ひろし)氏と私が十数回インタビューで聴取した内容を、御本人が幼少期から数十年間つけてこれらた日記などで加筆してくださった確実な記録である。数十葉の貴重な写真ともども、ぜひ心ある方々にご覧いただきたい。
→心あるもんで
掌典職 - SHINDEN
11代掌典長を務められた
11永積寅彦(1902-1994)<1968-1977>
:山口県出身。1902年生。東京帝国大学卒。フランス法を専攻。
1968年(昭和43年)9月10日~1977年(昭和52年)6月20日。
著書『昭和天皇と私ー八十年間お側に仕えて』
宮内庁の組織、職制 | 皇室用語辞典
<掌典職(しょーてんしょく)>
皇室祭祀のことをつかさどる
(新憲法施行前は宮内省の一部局であったが、現在は国家行政機関としての宮内庁の機構の中にはなく、皇室の私的機関である。従ってその職員も国家公務員ではなく内廷職員である)
●掌典長
掌典職の長として祭祀に奉仕する
『大迫尚道 ー日清日露戦役で偉勲を奏すー』
三男・寅彦 明治35 法学士
山口、永積純次郎の養子となる
80年もお側に仕えることができたわけは、学習院初等科で裕仁親王と同級、中等科でお学友(東宮職出仕、東宮御学問所で生活)、
大学卒業後侍従(昭和2年)、侍従職のポストを歴任、侍従職大膳課長(昭和20年10月23日大膳頭ダイゼンノカミ)、
侍従次長を経て、掌典長。
昭和天皇崩御後の大喪の礼・大喪儀で祭官長。
慶弔、陵墓に関する用語 | 皇室用語辞典
●祭官長 ●祭官副長 ●祭官
大喪の礼及び大喪儀の場合の神官。
なお、大喪儀以外の皇族の葬儀には「司祭長」「司祭副長」「司祭」がある(皇室葬儀令)
その後もOBとして引っ張り出されたことがある。晩年まで次々世代に貢献されたのね。
登録日時: 1990年02月13日 講義を受ける川嶋紀子さん 紀子さんのお妃教育始まる 永積寅彦元掌典長(右)から講義を受ける川嶋紀子さん
1993 平成5年3月12日(金) 小和田雅子さん、お妃教育始まる | 1年前のきょうのこと
「お妃教育といえば、皇室の祭祀に通じた元掌典長の永積さん」ということだった模様
その他言及
皇室の危機を考える「天皇を鍛えた男たち」 米田雄介
『禁秘抄』という天皇の教科書
【昭和天皇の87年】東郷平八郎の教えと「王者の答案」(2/4ページ)
宮内庁 - Wikipedia
宮内省
宮内府 1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行とともに
宮内庁 1949年(昭和24年)6月1日には、総理府設置法の施行により、宮内府は宮内庁となって総理府の外局となり