真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

届かなかった手紙 原爆開発「マンハッタン計画」科学者たちの叫び 大平一枝 2017年

2021-12-19 | 読書-歴史
届かなかった手紙 原爆開発「マンハッタン計画」科学者たちの叫び

「原子爆弾開発のきっかけを作った科学者は無警告使用中止の手紙を送っていた」
レオ・シラード - Wikipedia
本書は、
シラードの請願書 - Wikipedia
の残り少ない署名者の生存中にインタビューしようと勇躍渡米したジャーナリストおおだいらさんの奮闘記。

<目次>
序文
第一章 突然の、旅の始まり
第二章 ユダヤ系科学者とマンハッタン計画の濃密
第三章 予知する天才科学者の光と影
第四章 消された声
第五章 署名科学者の、あのときから今日まで
第六章 現代の“シラード”たち
第七章 旅の終わり、ヒロシマ
跋文

微妙なところもあるが、一般的に「一般市民への無警告使用は避けるべきとの声も一部にあったが無視されて」と簡単に片づけられる部分について、著名科学者のアインシュタインに一肌脱いでもらって原爆開発を始動させるきっかけを作った(同人名義のレターを大統領あてに発したアインシュタイン=シラードの手紙 - Wikipedia)ハンガリー生まれのユダヤ人が、ドイツ降伏後に出来上がった原爆の使用に待ったをかけようとして上手くいかなかった件を、署名者の生き残りを探してもらってインタビューを試みたというもの。
シラードは、「幼少期から多くの新奇なアイデアの創出や発明に熱中したが、学位を得るとともに、固定した学問的地位を得るよりも、多くの同僚研究者の間を「知的放浪者」として忙しなく巡り様々な忠告を行うのを習慣とした」(Wikipedia)ということで、惹かれる惹かれる。
南面堂は、「周りが扱いに困る天才少年」にたまらなく惹かれるわけ。

シラードの証言 - 核開発の回想と資料 1930-1945年
という本が1982年に出ているようなのだが、公共図書館でアクセスできない(泣)。
そのまた19年前の
『イルカ放送(レオ・シラード)』 投票ページ
は当然のように入手できぬ。

原爆投下の際、自分で作った観測機器の調整と観測結果取得のため、エノラ・ゲイの随伴機に同乗して広島に飛んだLuis Alvarez博士が、観測機器に旧知の日本人物理学者への手紙(「もっと大変な事になりますから、さっさと降伏するよう、要路に働きかけてください」~「何で勝手にそんなもん入れてんだ!」と問題になることを恐れたためか、匿名~受取人に届けば、当然分かってもらえると確信)を同封していた件は、本書で知った。
この人(地質学者の息子らとの共著論文で科学史上に燦然と輝く)。
大達人/芸達者号に乗った物理学者が後年息子らと書いた論文で学会騒然<5> - 真似屋南面堂はね~述而不作

これは9日の長崎の分。Luis W. Alvarez Letter to Ryokichi Sagane 1945 August 9
This rain of atomic bombs will increase manyfold in fury
広島、長崎とも同封したようなのだが、米で話題にされているのは長崎分のよう。

原爆と共に落ちて来た日本人科学者への手紙

福井 崇時名古屋大名誉教授
原爆爆発時、広島、長崎上空での米国物理学者の行動と地上で被爆した人の行動.pdf
これ、凄い詳しい!!スヴァラし。

嵯峨根遼吉 - Wikipedia
「嵯峨根遼吉は長岡半太郎の五男として生まれ、嵯峨根家の養子となった」なるほど。

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