映画でも有名な戦艦バウンティ号の反乱 パンの苗木を西インド諸島に運ぶ
H.M.S. Bounty by John Maxwell
1977年にJohn Maxwell名義で上梓されたH.M.S. Bountyの邦訳。
著者に了解をとって、その後の名義(本名の一部)Brian Freemantleで刊行。
作者あとがき 1977年
訳者あとがき 1996年1月
なお、西豪州のフリーマントルはFremantleなので、eひとつ有無が異なるのか。
図書館の除籍廃棄本をずっと持っていたのだが、「イギリスがTPPに入ってもおかしくないもん。太平洋に領地があるもん。それはピトケアン」の件で、せっかく持っているので名前しか知らない状態から脱しようと決意して読むことにした件。
TPP参加 の切り札 「戦艦バウンティ号叛乱」の舞台 英領ピトケアン諸島って、なに?
「島民の多くは、バウンティ号の反乱者のイギリス人水夫とタヒチ系ポリネシア人女性との間に生まれた子孫である」という話は知ってたけど。
ピトケアン諸島の歴史 - Wikipedia
バウンティ号のクルーはその後3つのグループに分かれた。
巻頭の謝辞によると、著者は英海軍補給艦RFA Sir Geraint - Wikipediaに便乗させてもらいピトケアン島に現地取材に赴き、フレッチャー・クリスチャンから5代目に当たる首長の
Ivan Christian - Wikipedia夫妻に世話になった由。
本書は小説なので、反乱の首謀者である副長のフレッチャー・クリスチャン - Wikipedia(行方不明、子孫はピトケアン島在住?)がオーストラリアに現れて、英国から乗り込んできていた兄の法廷弁護士に知恵を借りたり、NSW植民地の総督に起用された元艦長のウィリアム・ブライ - Wikipediaと再会したりと、自由な発想。
ラム酒の反乱 1808年- Wikipedia(武力行使による政府の乗っ取りが成功)なんて、ちっとも知らなかったわ。
ブライ艦長は、バウンティ号を乗っ取られて小舟で追放されたが艱難の末に生還し、経緯を本に書いてある時点までは英雄視されたが、有力家系のクリスチャン副長の兄たちの反撃で窮地に陥る。
規則の順守にうるさいところを見込まれて総督が軽んじられて権威が確立できていなかったNSW植民地の総督に起用されて赴任、現地を牛耳って構造的腐敗で甘い汁を吸っていた悪徳商人に挑戦するものの、総督をサポートすべき軍司令官や司法のトップらが日和ったことなどにより綱紀粛正に失敗する、と強引に要約できるかな。
法に定められた手続きに従う必要など必ずしもないとの発想は、トランプが先導し煽った議会議事堂襲撃事件(2021年)を思い出すなどしたわ。
ロンドンの軍法会議(捕えて連れ帰った叛乱側水兵の)の場面で「判士長」という役が出てくるので何かと思ったら、そういうことね。
判士(はんし)とは? 意味や使い方 - コトバンク