複雑化する世界で求められる「リスクコミュニケーション」|じんぶん堂
第1章 「リスクコミュニケーション」とは何か
第2章 人々の意識を変え、行動につなげるには
第3章 社会教育としてのリスクコミュニケーション
第4章 フェイクニュースがもたらすポスト・トゥルースの分断社会
第5章 危機におけるインフォデミック
第6章 陰謀論と民主主義の危機
第7章 民主主義とリスクコミュニケーション
平凡社新書
リスクコミュニケーション―多様化する危機を乗り越える
【本日刊行】『リスクコミュニケーション』|福田充 Fukuda Mitsuru
はじめまして。日本大学危機管理学部・福田充研究室です。|福田充 Fukuda Mitsuru
学部長メッセージ - 学部案内 | 危機管理学部 | 日本大学
時宜を得た良企画。
本書中記載のいくつかの事案に遭遇したもんね。地下鉄サリンとか。
報道はろくなものでなかった。
それにしても、現職の国会議員がDSだのなんだのと連呼して陰謀論の普及に努めている政党とは、「困ったものだ」では到底済まない。
吉例、重箱の隅
p56
ナチスドイツによるV-1号、V-2号など数千発のミサイル攻撃によって焼け野原となったロンドンの市民たちが、地下鉄の構内に長期避難し、生き残ったという事例もある。
とは?
(ミサイル警報の意義については同意)
・上記記載だと、戦争初期(1940-41)のBlitzによる爆撃機飛来による爆撃は、後期(1944-45)のミサイル攻撃に比べて「など」に押し込めてしまえる程度の軽さであると読めてしまう。
・「焼け野原となった」というと、東京のような光景がイメージされるが、ロンドンもそうだったの?
・また、「地下鉄の構内に長期避難」という表記だと、地下鉄構内で長期に暮らしたように読めてしまう。
London: The Blitz, September 1940–June 1941 | Historic England
ロンドン市民を戦火から守った、エア・レイド・シェルター - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト
「爆撃が激しくなるに従い、自分専用のシェルターを持てないロンドンの貧民層が最終的に行き着いたのが、堅牢で安全な構造の地下鉄駅だった。一時期はシェルターとしての使用を禁止した政府だが、情勢の悪化に伴い地下奥深くを走るベイカールー、セントラル、ジュビリー、ノーザン、ヴィクトリア、ウォータールー&シティ線を中心に開放。ザ・ブリッツ開始からの数週間で、延べ17万5000人が夜を過ごした。」
独空軍の爆撃は夜だったので、夜になると地下鉄駅に行ったのだよ。ずっとそこで暮らしたわけではなくて。
長期にわたり毎夜通うことを余儀なくされた~数週間にわたり利用したのは「長期」といえるだろうが、「長期避難」と書いてしまうと、疎開のように長期滞在と読めてしまう。
Bomb-Damage Maps Reveal London’s World War II Devastation
The V1 (Flying Bomb) attack on London (1944–1945); the applied geography of early cruise missile accuracy
British Response to V1 and V2
Bomb Census survey records 1940-1945