真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

大貫妙子さんのお父さんが「出撃して帰還した特攻隊員」として地獄を見たことを知っていたか

2009-08-24 | 読書-歴史
『特攻隊振武寮―証言・帰還兵は地獄を見た』
大貫 健一郎 渡辺 考【著】
講談社 (2009/07/06 出版)

あとがきにかえて、で大貫妙子さんへのインタビューを巧みに盛り込んでいるところもなかなか。

父君が元特攻隊員だったと、よく見りゃあこういうとこにも書いてはあったのだが←リンク先をみてね

林えいだい氏の一連の仕事にこれ以上付け加えることがあるのか?と思ったのだが、なるほどね!
戻ってきてしまった特攻隊員は2008-10-31
林えいだい氏の仕事はすごい2009-08-20

テレビ番組を担当した敏腕ディレクター氏が、インタビューに応じてくれた元特攻隊員大貫翁の談話をまとめて、さらに解説を付けました、と。

許されなかった帰還 福岡・陸軍振武寮←リンク貼り直し

学徒兵 許されざる帰還 陸軍特攻隊の悲劇←同上
番組中で印象的なシーンは本書にしっかり反映されていると思われる。さすが。

菊水作戦と第六航空軍 陸軍第22振武隊

詳細に引用されているので、リンク貼っておくとするか。(2014/2追記)

拓殖大学学友会 新刊紹介

大学出の特攻隊員を目の敵にして徹底的につらく当たった倉澤参謀、戦後の経歴の衝撃!

NHK文化・福祉番組ディレクター、渡辺考さん
リンク切れじゃん。

んだば代りにこれでも。

余談だが:
大貫翁が復員直後=戦後混乱期、新橋の闇市の用心棒的な仕事をされていた時期があることなども記載。某大応援団の副団長で特攻帰り(よくいう「特攻帰り」には、指名された/強制的に志願させられたが、出撃の順番が来る前に終戦になったなどのパターンが多い気がする。大貫翁の場合は、出撃したが、米戦闘機に撃墜されてしまい帰ってきたという正真正銘の‘帰り’だし!)ということで(つまり、「出撃待ち」の「特攻帰り」とは格が違うというか)、さぞ迫力があったことだろう。

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