真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

きみは日本の電子顕微鏡の師、スタンレー・ベネットを知っていたか

2009-08-25 | 読書-歴史
『戦場から送り続けた手紙―ある米海軍士官の太平洋戦争』
ベネット,スタンレー【著】 加藤 恭子 今井 万亀子【編訳】
ジャパンタイムズ (1995/07/05 出版)

『日本を愛した科学者―スタンレー・ベネットの生涯』
加藤 恭子【著】
ジャパンタイムズ (1994/11/20 出版)
「鳥取で生まれながら、米軍兵として沖縄戦に参加、そして戦後は日本の若き科学者育成に心血を注いだ、アメリカ人細胞生物学者スタンレーの生涯をあざやかに描く。」という出版社の紹介は、いただけないな。センスの欠如を露呈。

「米軍兵」はないでしょう。軍医は将校なんだからさ。読者の受ける印象が全く違ってしまう。
将校と兵士の違いがイメージできないのだろうな。ヘイワなニッポンでは軍隊が遠い世界だからな。
「軍医として」だけでも相当違う。「日本語を解する軍医として」であれば完璧だな。

捕虜となる日本軍将兵への対応のため、医師は必要だし、日本語で尋問できる人材も必要だったのだが、医師本人が宣教師の息子で13歳まで日本で育ったというのは極めて貴重な存在だっただろう。
日本軍の将兵は、捕虜となることを想定していなかったため、捕虜になった場合の身の処し方を教えられておらず、機密事項でもなんでもぺらぺらしゃべったケースが多かったと報告されている。

(以前、こんな本を読んだ:日本兵捕虜は何をしゃべったか

医師が日本語で話しかけてくれたりしたら、捕虜の皇軍将兵各位は安心して何でもかんでも話したことだろう。

ガダルカナル(捕虜の尋問)、沖縄戦(住民対策)と転戦し、ユニークな存在として貢献度が大きかったことだろう。
英語の声明文を用意して投降してきた日本人医師や、その子息との交流の話は印象的。

沖縄で保護した老人たちの言葉はさすがにわからなかったようで、子供たちに日本語に通訳してもらったというのがおかしい。

鳥取の昭和1桁ブロガー氏が詳細に紹介されている。
鳥取を愛したベネット父子(1)

鳥取を愛したベネット父子(37)
この1~37回を全部読めば、上掲2冊を読むまなくてもよいかも。

NYT紙の訃報:
Prof. H. Stanley Bennett, 81, Dies; Advanced Cell-Structure Analysis

Published: Saturday, August 22, 1992

ベネット先生の伝記を書くに至った経緯などを説明する訳者の加藤恭子女史(2003年8月22日)
科学研究費成果報告書 「近現代日本の政策史料収集と情報公開調査を踏まえた政策史研究の再構築」より
“そこで、スタンレー・ベネット先生がお亡くなりになってから、私の書いた團ジーン先生の『渚の唄』をお読みになって、「今度はベネット先生の伝記を書いてください」 とおっしゃられまして、私はベネット先生の伝記を次に書きました。”

とっとりNOWVol.63(2004.09)63内容
●鳥取歴史発見  スタンレー・ベネット

 スタンレーの父ヘンリーベネットは、明治34年、米国伝道会の宣教師として鳥取に着任。鳥取で生まれ育ったスタンレーは13歳の時帰国。日米開戦後は海兵隊の軍医として沖縄などを転戦。戦後、世界的な細胞生物学者となったスタンレーは、日本の若い研究者の人材を育成し日本の科学の発展に大きく貢献した。スタンレーの鳥取に対する強い思いを受け継ぎ、長女の手によって今年6月鳥取の教会墓地に納骨され里帰りした。

弟子の活躍の例: 新潟大学~昭和36年に「第三解剖学教室」が誕生
生物・医学領域における最新オートラジオグラフィの手技と応用
編者の水平敏知東京医科歯科大学名誉教授はベネットの弟子のひとり。
お名前の「敏知」の読み方は、Vinciなのだと!
父君がレオナルド・ダ・ビンチを尊敬していたので、お子さんに付けた由。
すごい。

1956年に九州大学医学部助教授のまま渡米。ワシントン州立大学解剖学教室のH.スタンレー・ベネット教授のもとで、本格的に電子顕微鏡を覗くことになり、初めて見る微細構造の魅力に時の経つのも忘れました。 と語る濱 清博士。

訳者もすごいぞ。
月例講演会 : 2004年 7月 昭和天皇 「贖罪詔勅草稿」の発見 加藤恭子氏

加藤恭子ノンフィクション・グループ
なにがすごいといって、ふつう、こういう場合、大先生が著者として1人名前が出るでしょ。せいぜい、あとがきに弟子の名前が連記される程度。
「加藤恭子ノンフィクション・グループ 」と、グループ一同の作品であると明記しているのはすごい。
なかなかできることではないな。


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