第1章 「戦争は許さない」という政治(軍国青年;軍隊と暴力 ほか)
第2章 叩き上げの精神(宿命;「帰りなんいざ」 ほか)
第3章 虎視耽々(布石;ものがたりの謎 ほか)
第4章 反逆者との戦い(戦後保守の本質;戦後保守の分岐点 ほか)
第5章 保守本流の敗北(償いの政治;影の総理 ほか)
講談社現代新書
「影の総理」と呼ばれた男―野中広務 権力闘争の論理
「闘う政治家」野中広務の足跡 “叩き上げ政治”の無念:時事ドットコム
「二度と戦争しないさせない」は結構なのだけれど、それは日本が主体的に決められるという前提なのだろうな。
そんな悠長なことを言っていて済まされたのは、古き良き冷戦期から冷戦後の時期に限られたのではないかね。
レフ・トロツキーの名言格言16選
君は戦争に興味が無くとも、戦争の方では君に興味を持っている。
君は戦争などけっしてできない国にしておくことが平和維持の方策だと思ったのかもしれないが、冷戦後の時代が過ぎ去って皆が痛感したことは、頼みもしないのに戦争の方からこちらへやってきてしまうということなのだ。
「戦争などできない」と見られれば、戦争の方から寄ってこられるので、「ひどい返り討ちに遭わせるぞ」と明確にし続けることが、戦争が寄ってこない(攻めちゃってもいけるかもと思わせない)ために必須な時代なのね。
それがはっきりする前に世を去ったのはお幸せだったかも。
まったくの重箱の隅だけど:(2019/1の第3刷。その後修正されたのかどうかなどは未確認)
p193 目黒区公証人役場での拉致事件 はおかしいでしょ。
(1994年、野中が国家公安委員長時代のオウム真理教事件の数々)
現在では公証人役場事務長逮捕監禁致死事件 - Wikipedia
という名前になっているようだが(拉致監禁致死じゃないのか?)、当時は「目黒公証役場事務長拉致事件」と呼ばれていた。
「目黒区公証人役場での拉致事件」と書いてしまうと目黒区の施設かと思うし、役場内で拉致が起きたのかと思うじゃないか。
~「目黒区」とは関係ない。
アクセス | 目黒公証役場の所在地は品川区(最寄り駅の目黒駅の住所が品川区なのも有名)だし、目撃者多数の中で拉致されたのは品川区上大崎の路上だし、全然ちげーよ。
当時「拉致事件」だったのは、被害者のその後の運命が分からず、拉致されたところまでだったからなのね。
その後、事務長は監禁された施設で殺害された。
【オウム死刑執行】父の死の真相、今も分からず「教団に怖さと憤り」 目黒公証役場元事務長の長男・仮谷実さん(1/2ページ)