この時代だわね。
カラーでよみがえるアメリカ #02 「1930年代」 - video Dailymotion
雑誌「水交」に連載された「保科さんと私」を改題し、書き下ろしを加えたものが底本
第1章 保科さんと私
第2章 解説(シャロッツヴィルというところ;大井海軍大尉のアメリカ留学;大井さんと私;ヴァージニア大学での勉強;ジェファソンのデモクラシー;ジェファソンの矛盾、南部の矛盾;一九三〇年代のアメリカ;日本人のアメリカ観;対米開戦とアメリカ理解)
大井篤海軍大尉アメリカ留学記―保科さんと私
海兵には受け入れられるが艦隊勤務には適さない視力というのはどの程度だったのかな?
学業成績はきっと抜群だったのだろうな。
大井篤 - Wikipedia
入校席次は11位/293名、卒業席次は9位/255名だそうな。
大井 篤(おおい あつし、1902年(明治35年)12月11日 - 1994年(平成6年)12月27日)は、日本の海軍軍人。海兵51期・海大34期。最終階級は海軍大佐。
The page 31.(ヒト−海兵51期)
現役で生きて終戦(海軍の終焉)を迎えた人は大佐。
少将に昇ったのは(普通は大佐での、特別な場合は中佐での)戦死者ね。41~43歳。
保科善四郎 - Wikipedia
さて、吉例重箱の隅!
角川「水交会の元海軍軍人がチェックして「水交」に掲載したものなんだから、うちで再チェックする必要はないもん」?
と こ ろ が、
GHQで戦史編纂に従事した歴史家のゴードン・ウィリアム・プランゲ - Wikipedia
とのやり取りを紹介した箇所(p160)で、わざわざ英語綴りを紹介して
Dr.Golden Prangeとの記載なのね。
ここ、笑うところね。
阿川尚之さんの解説は誠に詳細で、本文を読まなくても巧みな要約で十分という向きもあるかも。
なお、解説者の略歴で「慶應義塾大学在学中に米国ジョージタウン大学に留学し、同大学スクール・オブ・フォーリン・サービスならびにロースクール卒業。アメリカでの弁護士資格を取得し、日米の法律事務所に勤務。」というのは、間違いとは言い切れないものの、誤解を招くのではないか?
「米国ジョージタウン大学に留学し、同大学スクール・オブ・フォーリン・サービスを卒業。ソニー勤務、同大学ロースクール卒業・・」とかであれば、慶應義塾は中退してジョージタウン大卒業、ソニーに勤務して会社派遣で留学して弁護士資格も取得~その間の給料や学費一切を所属会社が面倒見たことが分かるが、全く無視されている。
10年前後在籍して仕事もしている。
そんなことに文句を言うようなソニーではない。太っ腹である、という訳なのね。
阿川尚之 - Wikipedia
これによると、
1977年、ジョージタウン大学外交政策学部卒業。ソニー株式会社に入社。
1984年、ジョージタウン大学ロースクール卒業。ソニーに戻り法務部で勤務する。
1985年、ニューヨーク州弁護士資格取得。
1986年コロンビア特別区弁護士資格取得。
1987年、ソニーを退社しロサンゼルスのギブソン・ダン&クラッチャー法律事務所入所。
これを上記のようにつなげてしまうのはいささか乱暴では?