真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『長良川』 豊田穣さんの直木賞(1971年)受賞作を読む (その1/2)

2010-09-20 | 読書-エッセイ/小説etc
『長良川』(新装版)
豊田 穣【著】
光人社 (1988/04/24 出版)

現在ではもう使えない用語(き○○い)などの処理は、2003年版ではどうしたのだろうか。
注書きでしのいだかな?(未確認)

光人社名作戦記 長良川〈第1部〉光人社 (2003/11/07 出版)

光人社名作戦記 長良川〈第2部〉光人社 (2003/12/12 出版)

豊田穣-直木賞受賞作家-64TJ

東京タワーを思わせる塔の建設が進む中(オールウェイズ三丁目なんとか、みたいだが)、主人公の妻は癌との闘病中。
戦争中に捕虜体験を持つ主人公は、現在は中日新聞を思わせる名古屋ベースの新聞記者の東京勤務。
♪ウィスキーが お好き でしょ・・

妻の没後、男児二人を抱えた主人公には後添いの話も何件かあるが、上手くいかない。
岐阜の実家(戦死と思われた主人公の墓もある)に子どもたちを一時預けるが、なかなかたいへん。

青山高校を思わせる都立高に通う繊細な神経の長男は、統合失調症を思わせる心の病気に罹患、小金井病院を思わせる精神病院(「武蔵野病院」と記載)に入院し治療に努める。

主人公の思いは、なにかと捕虜体験に飛ぶ。
米本土で精神病院に収容された(逃亡防止設備ありで、ちょうど良いらしい)経験も思い起こされる。

捕虜になった場合はこのように行動しなさいと教育されていた連合軍や独伊等に比べて、捕虜になることが想定されていなかった日本軍は、もうめちゃくちゃ。

陸海軍の反目も、当然のように先鋭化。
捕虜になった日本将兵は、不名誉極まりないとの発想から偽名で押し通そうとする者も多数。

さらに、想定外の集団を構成する羽目になった場面で、人間の本来の姿が赤裸々に・・・ということだわな。
とても本名が紹介できない行為の数々も。

赤十字を通じて家族に手紙、など欧州戦線で普通に行われていたことなど、全く埒外。
留守家族は、戦死公報を受けて葬儀等々。

小説でもその辺りを反映して、
酒巻→高垣など、亀井じゃなくて仮名にしてあるようだった。

sakamaki と
takagaki はじつはとても近い。

maneya nanmendoが何かにとても近いように(笑)。
森の詩もよろしくw

著者は九九式艦爆の操縦員(中尉)だったのだが、漂流後の捕獲時の日時の混乱からか、山本五十六長官被撃墜の際の護衛零戦隊の一員だと思われてしまう。
(じつは豊田機は長官撃墜前に落されて漂流の末捕獲救助されており、事件自体を知らなかった)
七日間漂流の末、ニュージーランドの哨戒艇に捕獲・救助される。

ヤマモトはまだ生きているのではないか?などしつこく尋問される。
(墜落した陸攻を検分したのは日本軍なので、米軍は遺体そのものは確認できていなかった)
 
米本土移送後、「この人はゼロ戦のパイロットで・・・」などと言われて、「いや、ゼロではなくて・・・」などといちいち誤解の訂正に努めるのも面倒になり、どうでもいいやと放っておいたという記述も。

つづく

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 沁みる?『昭和のエートス』 | トップ | 豊田穣『長良川』 (その2/... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書-エッセイ/小説etc」カテゴリの最新記事