福岡県医療用ウィッグ(かつら)を作る再現美容師chikaブログ

美容師のわたし…シングルマザーのわたし…乳ガンだったわたし…更年期障害と闘ったわたし…素直な想いを綴り伝えたい

☆緻密なトレーニング☆

2010-02-22 08:31:36 | サロンワーク
私が修得したかった質感調節は、ベーシックコースを終了後の先生が講師であるアドバンスコースでした。
シザーのみの質感調節にはシザーの入れる角度も真横にシザーを振って入れていくので何となくでは切りたい箇所にHITせず、角度が少しでも変われば、ザックリ抉れてしまう為、受講者はひたすらその緻密なトレーニングに没頭しました。そのシザーの入れ方を、数年前からTRYしていた私も、まだまだ雑でムラが目立ちました。

お客様として来店していた先生の手つきや繊細さがさらに増していて、床に落ちるウィッグの髪の毛が細かく柔らかかった。

スタイリストになれば自主トレよりも指導が主体となるサロンが多いですが、指導者こそ学び続けているサロンは技術力も高く、スタッフとの相乗効果に繋がるのではないのかな?と、感じました。

色んなセミナー受講参加でスタッフとコミュニケーションを交わし高め向上していく大切さを改めて感じました。

お客様に触れる限りはエンドレスでありたい私です
アドバンスコース最終の三回はモデルカットでした。このセミナーで一番心に残り響いた貴重な時間でした。
モデルはサロンで一番多毛だった女の子二人と
柔らかい髪質の幼なじみにお願いしました。


☆闘病時に郵送した手紙☆

2010-02-22 01:25:11 | サロンワーク

ディラーさんを通じて泣く泣くキャンセルを伝えました。

抗がん剤治療からの副作用での脱毛を経験後で先生のサロンへ来店して謝りたかったけれど…髪の毛を失った私はお客様で来店できないと悲しくなりました。
だから先生宛にお詫びのお手紙を郵送したのは、その年の秋でした。

美容師復帰したら必ずカットセミナーに参加します。と最後に綴りました。


翌年の春2008年、念願のカットセミナーベーシックコースの受講者になれました。
ベーシックコースの講師は来店していた時期の先生の直アシスタントさんでした。
当時からも将来的に素晴らしい美容師さんになられると感じていましたが、指導者としての貫禄ある存在感にとても感動的だった。

私はお客様で来店していた事を言わなかった。
講師の先生には色んな質問をして指導力を学ばせて頂きました。

ベーシックの切り方も様々でとても新鮮だった。
ベーシックと言っても、かなりレベルが高くて受講して本当に良かったです。

このセミナー受講をきっかけに夜の自主トレを週1~2回近隣にある支店サロンで開始しました。


支店のアシスタント達と共にそれぞれの課題をトレーニングし、時には色んな夢の話やレッスン過程を観せてもらいました。

とても楽しかったし充実感がいっぱいだったよ


☆久々の再会☆

2010-02-21 18:52:02 | サロンワーク
サロンに初めて来店し、一年間通った以後、五年は経過していたと思います。
赤ちゃんだった長男は保育園年中組で娘は小学校に通学していましたから…


先生は二人の子供達を見て色々と話してくれました。カットで疑問だった話も含めて聞いて下さいました。

『あれから何年も過ぎて、二人の子供達も成長したからそろそろカットセミナーに受講してもいい時期じゃないかな?セミナーは夕方で終わるから子供達にも差し支えないと思うよ!子供の為にも頑張ろう!』


物凄く嬉しかったです。勿論イエスと即答し春開講のベーシックコースから受ける予定で会社側にも伝えました。

ようやく又美容師として、学べ向上していけるんだと楽しみで楽しみでたまらなかった。『子供は日々成長していくから又仕事に没頭できる時期が必ずくる。だから今は子供達の事を最優先に』と離婚報告した時、言われた言葉を思い出しました。

シングルになってから二年間は、とにかく必死の毎日でサロンワークも2店舗を行き来勤務を一年間経験させてもらいました。


移動するとベスト45から名前が消えて、数ヶ月後でジリジリとランクアップしていくのは自己成長と捉えていた私でしたが、優しい社長はママで夕方迄の勤務、2店舗行き来する私をかばい、『お前の名前をスタイリストメンバーから外してもいいぞ…辛いだろ?会社の為に動いてくれているのに…』

『私は辛くないですよ。成長のバロメーターです。そのままでお願いします』

昔は競争心が強くて辛い時期もあったように思います当時は二人のママになり、気持ちも穏やかでサロンが心地よいと感じてもらえる環境をスタッフと同じ目線で話し合えたり技術力も共に成長できるようにコミュニケーションを大切にしたい気持ちが主だったし今も同じ気持ちです。

新たな目標を掲げてこれからって時に私の体調不良が続きました。
ブログを立ち上げた最初に書き残した通り…


私が天国から地獄へ瞬く間堕ちた大きな試練…


乳癌告知と手術…8ヶ月間の闘病生活へと変わりました。




☆身につけたかった技☆

2010-02-20 20:01:01 | サロンワーク
そのサロンのアシスタントさんからシャンプー中に伝えてもらった事は
『最初のシャンプーした時の質感とカット後のプレンリンス時の質感が物凄く違って…髪の毛が綿みたいに柔らかく変化しているんです。本当にすごいんです』

私はその髪の毛が綿みたいにって言う事がお客様として体験しよく理解できました。同じように共感しました。
私は美容師なのに美容師らしくない…自身のスタイリングが上手くできないから、楽チンに手櫛で再現したかった。先生の技『質感調節』と確実性高い『楽チンに手櫛で再現』髪の毛に負担をかけずに、髪の毛本来の艶を残したかった。
2ヶ月経過しても髪の毛が落ち着きスタイルが伸びただけでフォルムは崩れてはいなかった先生の技を必ずモノにし、自身のお客様へ提供したかった。

離婚後翌年にその先生のカットセミナーに参加しようと決めていましたが二年間は会社行事日程が合わずと子供達との時間をと歳月を見送りました。最良の時期を待ち続けた三年目のお正月休みにサロンへ連絡し先生のサロンへ子供達も一緒に同行しました。
今度はお客様ではなく美容師としての姿で…

数年ぶりの再会にとてもワクワクしました。


☆私がお客様になった理由☆

2010-02-19 22:33:21 | サロンワーク
長男を出産一年後、自身の技術に行き詰まりを感じた。
シザーを握るのが怖くなった。
そこで私が起こした行動とは…

当時業界で大きな賞を獲得されていた同じ京都で活躍されていたオーナー兼スタイリストであったサロンへお客様として伺いました。

新規顧客のドキドキする気持ちとはこんな感じなんだと待合でサロンワークをそっと観ていました。

顧客カルテの職業欄には…正直に『美容師』とためらいもなく書きました。


アシスタントのプレカウンセリングから…
『何処のサロンにお勤めですか?』
と気立てのよい雰囲気のアシスタントさんに尋ねられ…

『街の小さな個人店でパートタイムで働いています』とボケてしまった。
何故なら…支店と目と鼻の先の距離だったのでスパイと勘違いされたら申し訳なくて…


スタイリストの先生は私の勤務先等は全く聞かれませんでしたが何故来店したのかの『動機』を聞いて下さいました。

『ママ美容師でトレーニングする時間が今は厳しく、技術に行き詰まりを感じて大きなきっかけがほしくて来店しました。宜しくお願いしますm(__)m』


『毎日一人は担当できますか?』

『はい』


『わかりました。僕も東京迄技術を観たくてよく通ったから…その気持ちがわかる。俺は美容師とは言えなかったけどね(笑)…その行動力が大切やと思うよ!技術必ず伸びるからお客様として定期的に来店してや』


気さくで思いやりのあるでも技術には厳しい先生でした。カットをしてもらっている最中、色んな事を質問し伝えてもらい、サロンワークへ戻ってから言われた事を思い出して意識しカットに入りました。カット後から来店する迄の髪の毛の状態とどんな風に伸びて行くかのスタイルの過程を毎朝手で指で触りとにかく触る感触を感じました。
2ヶ月経過したら、自身の課題感想の報告と又新たに課題を出してもらいました勿論、私の髪の毛を切ってもらいながら…

一年間継続したお客様としての来店とカットのお勉強

このサロンに来店する事が当時の自己投資と最大のご褒美でしたね。



☆質問と欲しいと願った事☆

2010-02-19 18:36:37 | サロンワーク
質問とは

私が美容師に向いているかどうかだった。

社長は
『二人子供を産んでからもずっと美容師続けてこれたから向いていると思うよ』

数日後でサロンに来られた社長から中庭で言われた言葉は

『もぅ頑張らなくてもいいよ。いっぱい頑張ってきたから…でもここには来なさい。遊びに行こうの感覚でいいから』


肩の力が一気に抜けて涙が止まらなかった。


当時の私に必要な事は善き理解者だった。
スタッフに対して力になれない小さくなった自身の器からみんなに気を遣う事、自宅に帰っても弱さや甘える事もできない意地を張り素直になれない自分に嫌気をさしていました。
私は皆に重荷になっているんじゃないかなって息子が入院中一人悩んだ。
心が元気なくなる原因追求する事すらエネルギーがなかった…新米ママ時代。


今でも一つだけ後悔している事が私にはあります。

旅先での家族写真を残す事が私の夢だった。
価値観の違いから
私は思い出や記念を大切にしていた心は最後まで伝わらなかったね。


離婚してからは『ありがとう』『大丈夫?』『ごめんなさい』という些細な言葉を普通に言ってくれるようになった旦那さんには『ありがとう』と今では素直に言える。


二十歳からの15年間にピリオドをうったのは35歳


互いに新たなそれぞれ道を歩む選択から…今度はもっと幸せになろうと…和解離婚成立




☆暗いトンネル☆

2010-02-18 23:51:17 | サロンワーク
心や体が疲れ果てると元気だけが取柄の私のシンボルマーク笑顔が消えた。

初めて旦那さんに

『美容師辞めたい』と言いました。

辞めたいはずないやろうと感じた旦那さんの優しさは私を突き放す心から再び強く立ち上がる私を見守っていたのだと今は素直に思います。

当時の私には『何故優しい言葉がないんだろう』と 心の気持ちが離れていきました。もう頼れないし甘えられない。夫婦とはなんだろうと感じました。支え合え高め合うのが普通の夫婦だと思っていた私には疑問ばかりでした。


リニューアルオープンしてさらに多忙になりました。一番辛かったのは子供のお迎えに遅れてしまい保育園の先生達に迷惑をかける事と子供達がお腹を空かす事が可哀想だった。車内には何時もお菓子を常備していた記憶があります。
夕方上がる時間帯になるとドキドキしました。スタイリストに引き継ごうと辺りを見渡すと皆バタバタ…
そんな状況で深夜も眠れなくなりました。

笑顔の乏しい美容師にカットしてもらうお客様の気持ちを考えると『もう限界だな』って…

用事で事務所に伺った時に私は社長に何げにこんな質問をしてしまいました。





☆初めての挫折感☆

2010-02-18 22:22:03 | サロンワーク
32歳の私は長男を出産し、2ヶ月でサロンワークに戻りました

二人の育児とハードなサロンワークで疲れ果てていました。長男に深夜数回のミルクをオムツを替えて、通勤時間もかかるので極度の睡眠不足の日々…


美容師を遣り続けたい、二人以上子供が欲しいと望んだのも私だったから弱音を吐けなかった。
旦那さんとの時間もすれ違いで年間数回だけ丸1日家族そろう事がなかった。
だからこそコミュニケーションは大切にしたかった。日曜休日の旦那さんは二人の面倒を見てくれていて、とても感謝しました。


長男は当時体が弱く入院を数回、扁桃腺も大きくて、風邪をよく引きました。
その頃から旦那さんも私もストレスが溜まっていたと思います。
時より厳しい言葉を受けると素直な自分を出せなくなっていきました。
仕事だけ頑張って家事をこなさない事は家族に対して失礼な事だと自分に厳しく頑張り続けました。

旦那さんはそんな風に思っていなかったと思いますが自分の首を締め付けていたのは自分だったのだと癌を患った時に痛感しました。自分を追い込むばかりで、自分を大切にしなかった。人を愛し大切にできても 自分を愛せる心のゆとりがなかった。
美容師としてもママとしても妻としても一番葛藤した長いトンネルに入りました。
この頃サロンは拡大移転リニューアルオープン間近だった。こんな気持ちのままで組織についていけるのかとても不安だった。


☆引き締まる緊張感☆

2010-02-18 21:39:02 | サロンワーク
移動した売り上げ1番のサロンには過去経験した事のない緊迫感や緊迫感が常にあった。この空気が他店スタッフ達が『コワイ』と言う事に気づきました。


一人サロンワークで一目置かれていた若手スタイリスト女子と私は不思議な位、意気投合しました
美容師としてヘァデザイナーとして気持ちも創るスタイルも可愛くてお客さんの似合わせが絶妙に上手かった。ヘァモード社の写真投稿で月間賞を何度も獲得し業界でも彼女の存在は有名になっていきました。

『可愛いスタイルやわ』と喜ぶ私を見て彼女は…
『そんな風に言われた事がなかったから…ものすごく嬉しいです』

一年間でしたが、彼女は夢を叶えに東京へ旅立ちました…

『必ずヘァメイクアーティストになります。雑誌観てくださいね』

移動当初は緊迫感、緊張感との葛藤が私にもありました。私は自分らしさを大切にしたかったので変わらない接客をし続けました。私とお客様の空間だけ少しういてしまっているって状況でしたが、この空気がもう少し和めばもっとお客様を獲得できると信じていました。徐々に他のスタイリストもサロンワークでの姿とプライベートでの姿と変わらない姿で輝き始めました。
張り詰めた空間でのアシスタント達は個性が出せていなかった。
スタイリストを楯ながら、スタイリストとお客様との大切な橋渡しの役割を個性を生かしてスタイリストと共にお客様へ安心感をそして信頼度を高めてもらいたいと願った私だった



☆移動志願☆

2010-02-18 19:02:00 | サロンワーク
悩んでいても時間が経つばかり…私の決断はいつも早い…
『早あがりであってもやるだけやってみたい。たくさんのお客様とスタッフと触れ合いたいし今よりも美容師として一人の人間としても成長したい』


移動志願…高級サロンでの四年間で学べた事を発揮したい。


可愛がってくれたママ美容師先輩との別れはやはり寂しかったけど出会えた事に感謝したいし何より成長し続ける美容師私とママ私を魅せたい。


たくさんのきっかけや私の足らない事を心から優しく導いて下さった恩返しとは、今後共に歩むスタッフ指導に繋いでいき拡げていきたかった。
人間味あるあたたかさを教えてくれた大好きなママ美容師先輩

先輩はそんな私を移動してからも見守って下さいました。乳癌手術当日も出勤前に顔を見に来て下さいました。何時もニコッ


過去たくさんのスタッフを育成してこられた実話を聞く事がとても楽しみだった。


移動を拒むスタッフがやはり多いですが、意外に素晴らしい事がたくさんあります。見えない未来を悪く想像する思い込みは、きっと自身の成長を妨げるかもしれませんね。


何事にも楽しくチャレンジかな

チャンスと捉えられたら素晴らしいですね