昨晩作ったアップルパイを持って長年のお付き合いがある友人宅を訪れた。
この人Fさんは、私の息子たちと同じ年齢の子供を持つ奥さんで、私の実家の母とFさんのお姑さんが、同じ短歌教室に行っていたという関係でもあり、Fさんの長女の小学校1年生から高校までピアノのレッスンをみたという関係。
その娘さんは中学からは私の恩師のレッスンを受けるようになり、東京芸大を受験したが結局浪人となった時に、彼女のお父さんの「ピアノの道だけが進む道ではない」という意向で、ピアノの道に行かず早稲田大学に進んだ。
けれどその後も彼女はやはり音楽のことは忘れられず、早稲田在学中はチェンバロの工房に行ったのがきっかけで、この楽器にはまりコンサートまで開いたりと、個性的な面白い子だった。
今はアメリカ人のアダム君という人と結婚し、もうすぐ1歳2ヶ月になる子供の母親になって、アメリカのアダム君のご両親と暮らしている。
彼女とは10年ぐらいは会っていないが、お母さんのFさんは時々思い出したように「センセ、コーヒーご馳走して下さい」と電話してきて、自営業の「ひかりの国」(幼稚園の教材などを扱う会社)の営業の帰りに、うちに寄っていろんなお話をしあう元気印のお友達。だけど娘の先生だからという一線を持って接してくれている節度のある女性だ。しかしそんな突然の訪問も久しくなくなって数年ぶりになる一昨日、Fさんからのお電話でご主人が昨年亡くなっていたと知った。20年ぐらいはお邪魔していなかったFさんのお宅に訪れたが、実家の父が趣味で作陶していた作品の数点が、おうちに飾られているのを見つけた。1点は、Fさんのお宅に行った経緯を私もよく知る作品だ。
我が家に隣接する実家の庭に無造作に置かれていたその壺を見て、Fさんは「お父さん!こんな風に放ってあるけどもったいない、これ素敵ですよね!」
父はそれを聞いて、気に入ったんなら持って帰っていいと言ったらしく、図々しく頂いたんですとそう言って、床の間に飾っているのを以前も見たことがあった。
面白い人で「まるでうちの床の間に生えてでてきたみたいでしょう?」と、ほんとにFさんのおうちの主みたいに鎮座している。その他にも、よくお料理に使っているという大皿、お花の師範のFさんが生けている壺、お庭に置いている壺など。
今日は、人様のおうちで父の遺品の陶芸作品を愛しんで下さってるのを知って、嬉しく思った日だった。