先日、リハーサル走行して行ったホールで開催された
「コーラス花座」にピアニストで来て頂いている響子さんが伴奏されている
「女声コーラスヴィオレッタ」のコンサートに行ってきました。
開場が1時半のところ、少し早いけど12時前に同級生3人を乗せて向かいました。
スムーズに走れて1時前に到着したので、レストランでケーキセットでお茶。
同級生の一人は、少し厄介な90歳になるお姑さんのお世話で
そのわがままと、かなりな口汚い罵倒に近い「ああ言えばこう言う」の
お姑さんの反論に辟易としながら、食事や、掃除などのお世話をしていて
彼女と会うといつもその愚痴が弾丸のように口から出てきます。
同級生の一人は数年前から、ご主人とご自分のご実家でお母さんのお世話を。
もう一人は、既にご主人のご両親は他界。私も実家の管理だけ。
みんなそれぞれ、子供たちは独立し孫もいる世代ですが、彼女のように
ご主人の親御さんのお世話という状態は
自分たちがあと10年以上経った時の姿が想像されて
そういう風にならないようにしないととの思いを強くします。
旦那さんは、聞く耳持たないお母さんを持て余していて
奥さんに自分のお母さんをお任せ。
彼女には無理なことを言っても聞いてくれるだろうというお姑さんや
見て見ぬフリする旦那さんの気持ちが見えるようです。
しかし、わがまま言いながらも姑さんは
通帳などの管理を彼女に任せているという。
彼女をどこかで信用、信頼しているということなのでしょう。
私は、舅、姑での苦労は皆無なので
そういう立場の人間の意見としては参考にならないけれど
難しい人間関係には、こういうことを言うと語弊はありますが
何でも攻撃の対象にされてしまう人と、そういうことにならない力関係が
対峙する人たちの間にある微妙な空気感や、 主導権の握り方が
自然にできていくと感じます。
そして、彼女が一生懸命尽くしていても、そのことを素直に感謝できない
お姑さんの生きてきた人生が影を落としていて
彼女に向けられる行動になるのかもしれないと感じます。
そんな私たちの意見を聞く彼女も、そのことは自覚しているようで
今更、別居しているお姑さんへの日参は変えられない。
自分はああいう風にはなりたくない。
実際はそのようにならないかもしれないけど、結局
私たちは「ピンコロ」と逝きたいと意見が一致で爆笑でした。
ヴィオレッタの演奏は、美しいハーモニーで、それぞれの、特にソプラノの
澄んだのびやかで柔らかい響きが、この団の軸になっているように感じ
「花座」のソプラノの一翼を担う私も、このように歌いたいと強く思いました。
合唱連盟の中では「お母さんコーラス」の大会などで
全国大会出場もする優秀団体のようで、お姑さんの難儀にあっている彼女は
「風」の後輩の潤ちゃんが率いる「コールシェル」という団で歌っているので
とても参考になったと感激していました。
よそ様の団体の演奏を聴くと色々参考になります。
「ヴィオレッタ」も「花座」と同じぐらいの16人ほどの団ですが
「女声合唱団風」の指揮者が常々おっしゃっていたことを改めて痛感でした。
「これが合唱だぁというような、ハーモニーだけが綺麗なコーラスはダメ」
「聴き手にしっかり歌詞のことばと意味を伝えること」が大切ということ。
今後の自分たちの課題を見つけることができて
6月の「花座」のコンサートに向けて
さらに頑張ろうという思いを強くして帰ってきました。