※写真はお借りしました。
私が40代ごろだったか、大学同窓会の本部に関わっていて、同窓会で
京都市立芸術大学出身の、合唱指導の新進気鋭の本山秀毅先生の講座を
開催したことがありました。
私はこの時ピアノ伴奏を頼まれて
久々の伴奏にとても緊張したことを思い出します。
専門講師としておいで頂いた本山先生のことを思い出しながら
昨日の講座受講と共に合唱も歌ってきました。
教材になったのは「群青」という
混声合唱、女声2部もある有名な合唱曲です。
何故有名なのか。
福島県南相馬市立小髙(おだか)中学校は、南相馬市南部の小高区に位置していて
2011年の3月11日に起こった、東日本大震災で津波により街が甚大な被害を受け
生徒からも死亡者が出て、その後それぞれの家庭の事情で
友だちが全国に散り散りとなり、原発事故で小高に戻れないことなど
様々な不安が生徒たちにのしかかり、音楽の授業では
生徒も音楽教諭の小田美樹先生も歌を歌うことができなくなっていました。
歌が歌えなくなった生徒たちの授業を受け持っていた小田先生は
小高中を離れた生徒がどこにいるのか把握するため
大きな日本地図に生徒の顔写真を貼り付けていると
生徒たちが口々に「遠いね」「どうやったら行けるの」
「〇〇さんはどうしているだろう」「〇〇市はどんなところなんだろう」
「でも、この地図の上の空はつながってるね」など、気持ちを表現したそうです。
このあたりから、歌うことができなくなった2年生の生徒たちと小田先生による
詩づくりが始まりました。
津波で2人の同級生を亡くしたり
遠い疎開先から今もなお戻ってこない同級生などを思ったりする
気持ちを綴った日記や作文、他愛もないおしゃべりから
生徒の思いを地道に小田先生は書き留めていき
それをつなぎあわせて「群青」の大筋の歌詞とメロディーが出来上がり
南相馬市立中学校生徒・小田美樹歌詞
信長貴富氏が、手直しで作曲し合唱用に編曲されました。
「群青」という題名は、小高中学校の校歌に「群青」という言葉があることのほか
小高中の野球クラブの「小高群青クラブ」、小高中の文化祭の「群青祭」といった
小高中を象徴する言葉であることから名づけられたようです。
この後、本山先生は合唱コンクールの審査員もされていて
「群青」の曲と出会われたということでした。
以上が、ただの卒業ソングではない「群青」が有名たる所以です。
本山先生は、あの佐渡裕氏と同じ京都市立芸術大学のご出身。
フランクフルト音楽大学合唱指揮科を卒業し
帰国後はバッハの教会音楽を中心に演奏活動も続けておられて
何十年も前にお会いした時は、初々しくてとても清々しい雰囲気で
ちょっと憧れの先生でもありました。
月日は流れて、先生の御髪(おぐし)も白いものが見えていますが
あの当時と変わらず、良く通るお声と、穏やかで優しい中に
凛ときっぱりした口調で指導される姿は、お変わりになっていませんでした。
「花座」から私とほそみっちゃんの二人が参加しました。
数団体の参加で約70名ぐらいはいたでしょうか。
発声練習では、一般的には半音ずつピアノをたたきながら
スライドしていくように発声させますが
指導者が、ピアノなしで一音ずつ声で音を出しながら発声させる方が
音色や声の揃い方が確認できるとのことでした。
「群青」の曲に関しては
メロディーのフレーズのとらえ方、言葉(詩・特に語尾)の扱い方のアドバイスなどで
曲を区切りながら歌わせて、すべての指導内容が終わってから
最後に全曲を通して歌いました。