うちのお隣にはうちの家族が、特に主人がお世話になったお医者さんがあります。
子供たちがまだ小さかった頃に開院されて40年余り。
この間に、先生のおかげで主人は何度命拾いしただろう。
大晦日の年越しそばを食べてから、夜中に腹痛で何度も嘔吐し
お正月元旦の早朝に駆け込んで診て頂き、胆石とわかり市民病院に。
また、朝7時半ごろ胸が痛い!と言い
私は「またまた大袈裟に、、」と思ったのだけど
様子が違うので先生のところへ。
心臓だから急を要すると、すぐ救急車を呼んで頂いて
我が家から、ノンストップで5、6分の所のまたまた市民病院へ。
先生からの連絡で、すぐ手術に入れるように準備がなされていて
間一髪のところで助かりました。
この後、サッカーの松田直樹選手が主人と同じような状況で
心筋梗塞で亡くなったというニュースがありました。
でも
何度も救って頂いたのに、最期は私の外出中突然で、診療がお休みのお昼3時ごろ
たまたま在宅だった先生の所に駆け込んで、警察への連絡等でお世話になったのが6年前。
一昨日の先生の突然の訃報は青天の霹靂。
お世話になっていた患者さんの多くは愕然として、不安にかられている方や
気落ちしている方も多いだろうと思う。
享年83歳。本当に惜しまれる死。
3月から3ヶ月間、男性特有の癌の治療中、治るはずとご自分も思っておられたらしい。
患者さんたちも代診などの手配で治療していて
また診て頂けると思っていた人も多かったはず。
抗がん剤治療は出血を伴うとかで、予想外の出血多量で亡くなられたそうです。
昨晩のお通夜の、お医者様でもある長女さんのご挨拶。
患者さんへの強い責任感を胸に、病の身体をおして
ギリギリまで診察を続けておられたこと。
パソコンを開くと患者さんへの書きかけの紹介状があったと。
開業医として懸命に働き、いつも熱心にアメリカの医学文献などに目を通しておられ
漢詩や読書に親しみ、絶えず努力していた勉強家であられたことなどは
病院での先生の普段のお姿から、当然想像ができるようでした。
奢らずいつも穏やかで、静かな口調ではあるけれど
きっぱりと確実な診断をして下さり、わからない時は「わからない」と
不要な薬は出さないという、地域医療に尽力された先生でした。
お通夜で隣に座った女性のお話も、やはりご両親の診療でよく家に来て頂いたと。
長女さんは、この病院を継がれないらしく閉院となるようです。
残念で、虚無感と喪失感、年月の経過と変遷、無常を感じずにはいられません。
他所からお借りした「沙羅双樹(さらそうじゅ)」の花。
先日来、奇遇にもショパンのエチュード作品10-3「別れの曲」の練習を
し出していました。先生への葬送曲として、いつかアップできたら良いなと思っています。