〜かたることばが歌になる風になる〜

だんじり祭りが終わった  ごみは・・・

二日間の祭りは終わった。昔も今も「だんじり祭」は台風の来る祭とも言われていた。
今年は前線通過と台風が同時で、普段豪雨で被害が言われない地域でさえも避難勧告が出たり、日本国中非常事態の連休だった。
しかし地元では、大雨警報が出ていようがどしゃぶりでぐしょぐしょになりながら、日中の曳行も夜の灯入れ曳行もすべて観客が少ない中でも、曳いている人たちは楽しそうであった。

20年以上前になる。
祭りの翌日主人が通勤のために朝6時ごろ駅に向かうと沿道に山のようなごみ。
だんじり祭りがテレビ放映されるなどして少しずつ知名度があがってきていたある年
市長さんに電話した。
「これだけ有名になってきた祭りだけれど、祭りの最中もあちこちにゴミがいっぱいだが、いくら伝統を守る祭りでもゴミだらけでは恥ずかしい。市の方で何とかしてもらえないのか?」

主人は今でもウォーキングの最中も袋をもって、目に付くゴミは拾ってゴミ入れに入れたり、持ち帰ったりしている。
公園でその姿を見ていた高校生が「おっちゃん私も手伝うわ」などと一緒に行動してくれる若者もいたりする。
主人が市長さんへ提言したことは翌年からきっちり実行されるようになった。
出勤する時間には殆どゴミが集められて回収されて町がきれいになっていた。
その当時の原市長さんがすぐ実行してくれたのだと主人はとても喜んでいた。
去年は、たくさんの観光客が集まる旧市内(駅から浜側地区・商店街・城に近い地区)では、それぞれの家の前にゴミ入れが置かれているのも見た。
また今回の祭りでは、祭りの世話人(50代以上の組織)、各町からその年に選出されて出る、祭りの最高責任者の「年番長」という人たちが、本番で出るゴミ、たとえばパレードで鳴らすクラッカーと一緒に出る飾りなども含めて、その都度袋に回収しているのが見られた。
人込みでごったがえしていても町はそれほどゴミがなかったように思う。
こういうことは全国どこでもちょっとした気づきと心がけで実行できると思う。

この祭りでは、全国から警備のための警察官の方々が集められると言う。
やはり20年ぐらい昔、東京の世田谷奥沢に住む知人を訪ねた際、知人宅の場所を派出所で尋ねると、どちらから来られたのかと訊かれて答えると「ああ岸和田。僕たちも駆り出されますよ」と。
こんな地方のことを東京でも知ってくれていると嬉しくなったのを思い出す。

駅前の見物できる一角ではロープが張られていて、警察官が入る人数を制限していた。
警察官の苦労を知ってか知らずか、もうこれ以上入ったら、だんじりが見えないだろうと言うくらい、どんどん人が入ってくるのを、最初は少し呆れ顔で「え~まだ入ってくるか・・・」(苦笑)
「人数が制限されていますので・・・」と。
その内「入っても今度出たらもう戻れませんよ」と繰り返している。
しばらくしてその警察官は諦めたのかいなくなっていた。
見物の人たちは相変わらず出たり入ったりだった。
ふと東京スクランブル交差点の「DJポリス」を思い出した。
いろんな方々のお世話のもとに実行できているお祭なんだと思う。本当にご苦労様だ。


2日ほど前から庭の手入れをしていて「彼岸花」が出てきているのを見つけた。
普段は何の痕跡も気配もないところから、名前の通りお彼岸のころに突然伸びてきて咲きだす。




活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

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