中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

「一楽」で食べたあとは、裏横浜まで徒歩で往復 そしてカツ丼を食う

2014年09月30日 | レトロ探偵団

 9月4日、中華街大通りの「一楽」でランチを食べたあと、横浜駅東口近くにある某事務所で打ち合わせがあるため、そちらへ向かった。

 この日のランチはすごいボリュームで、かなり食べ過ぎた感が。
 そこで、腹ごなしを兼ねて、横浜駅まで歩くことにしたのだ。

 中華街から馬車道を横切り、大江橋を渡って桜木町駅前に出る。
 そこから旧東横線の高架下を歩き続けていくと、途中、こんな小さなガードが現れた。


 ま、時間もあることだし、ここをくぐってMM21側から行ってみることに。


 ガードを潜ると、今度は小さな踏切があった。


 右を見て…


 左を見て…渡る。

 殺風景なみなとみらい地区を歩き続けると、間もなく高島町に到着する。

 そこから再びガードを潜って反対側に出ると、


 こんな案内が。

 2代目横浜駅の遺構があるらしい。
 しかもマンション敷地の中だという。


 これだ!
 この奥にある。


 マンションの中庭のようなところに、古いレンガの遺構があった。


 象の鼻地区にある税関の遺構と似ているよね。


 これが歴史的建造物なのか。
 大正4年から12年まであったんだね。

 こんなのを眺めているうちに、約束の時間が迫ってきた。
 先を急ごう。


 途中、高島自治会のテントが出ていた。
 水天宮平沼神社のお祭りみたいだった。


 「裏横浜 炭焼所」だって。
 昼間だから、まだ開いていないようだ。


 裏横スタンプラリーだ。


 これが参加店の目印らしい。

 と、こんな感じで歩くこと45分。結構、汗をかいて裏横浜に到着した。
 事務所での打ち合わせは思った以上に時間がかかり、帰途についたのは3時を過ぎていたのだが、まだまだ身体が重い感じ。
 そこで帰りも歩くことにした。 


 旧東横線の高架下の歩道。
 

 このあたりは桜木町7丁目だ。
 桜木町という町は1丁目から7丁目まであるのだが、その間に区界が入っていて、1~3丁目が中区で、4~7丁目は西区になる。
 これは昭和19年に中区から西区を分離するとき、桜木町という町を真ん中から分断してしまった、その名残なのである。

 隣の花咲町も同じだよ。さらに赤門町も。
 何でこんなことになってしまったかというと……

 当時の中区域には、現在の西区・南区・港南区の一部が含まれていた。そのエリアの中に伊勢佐木、山手、加賀町、水上、戸部、寿、大岡という7つの警察署があった。
 戦火が激しくなると、防空上の理由から警察の管轄ごとに区を分けることになった。そしてできたのが昭和18年の南区(寿警察署・大岡警察署管内)と昭和19年の西区(戸部警察署管内)である。
 その時に、桜木町も花咲町も、3丁目と4丁目の間に区界を入れ町が分断されてしまったのだ。
 

 高島町・桜木町間に続く旧東横線の高架下アーケード。


 なんだかバルセロナのグエル公園を思い出せる雰囲気。
 あの公園にはこんな回廊こんな回廊があるんだよね。


 桜木町の回廊で気になるのは、柱の上に掘られたこの模様。
 なんだろう…
 
 これがずっと続くのかと思うでしょうが、実は不連続なのね。
 しかも、中区に入るとこの刻印は消えてしまう。(いつだったか中区側の柱は新しい壁で覆われてしまったため、現在は比較することができない)
 何か意味があったのだろうかねぇ…


 これが中区側の回廊だ。
 壁、柱が西区側とは異なる。


 さて、東横線跡地はこんな風になるらしい。
 ちょっと古いけどヨコハマ経済新聞にこんな記事が出ていた。


 それに伴いJR桜木町駅に北口ができた。


 そこからつながるような形で「CIAL(シァル)桜木町」が開業した。「紅葉坂ギャラリー」「YOKOHAMA BAZAR」「停車場ビュッフェ」「横濱情報プラザ」の四つのゾーンで構成されている。


 崎陽軒、重慶飯店、ありあけ、バッグのキタムラなどもテナントとして出店しているよ。
 さらに、鉄道発祥の地である桜木町駅の歴史を紹介する展示ギャラリーも設置されている。


 ということで、ここを突き抜け南口のみなとみらい地区側に行くと、屋外のエスカレーター横にこんな写真が貼られていた。
 明治20年頃の横浜停車場(現在の桜木町駅)を撮影したものだ。

 広場中央にあった噴水塔は現在、保土ヶ谷にある水道記念館で保存されている。


 エスカレーターに乗らず、駅前広場をMM21方面に進んでいくと…


 横断歩道の横に、こんなモニュメントがある。


 東横浜駅を懐かしむ詩だ。


 昔は改札口を出たところにポツンとこのプレートが貼られていただけで、気がつく人はほとんどいなかったと思う。
 それで、駅前再開発に合わせて、JRの解説板を添えたようだね。


 ここに東横浜駅があったんだよ。懐かしいなぁ…



 横浜市三千分の一地形図より。


 さて、裏横浜まで徒歩で往復したので、かなり腹が減ってきた。

 ということで、前から行ってみたかった伊勢佐木町の「かつや」へ。
 久しぶりということもあったし、お腹が空いていたということもあったし、また、皆さんがブログにアップしていたカツ丼記事の影響もあって、なかなか美味しく頂いた。

 次回は自家製でやってみるかな。

 

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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
グエル公園 (冬桃)
2014-09-30 12:04:45
山下公園の端っこの小高いところにグエル公園を
模したような一角がありますよね。あれはなにか
スペインとの関連とかあるのですか?
返信する
カツ丼 (馬の骨)
2014-09-30 15:27:55
カツ丼と言えば、思い出すのはTVの刑事ものですね。
返信する
ありがとうございました金福楼さん (吉継)
2014-09-30 16:01:01
既にご存知の方々もいらつしゃるでしょうが関帝廟通りの金福楼さんが閉店されたそうです、香港路の大福林さん、仁華さん、謝謝さんのワンコインランチと580円のこちらのランチを楽しみに横浜中華街に通い始めました。気の置けない仲間たちを引き連れ座敷で中華丼などでを頂いてから横浜中華街の年末のカウトダウンにくりだしたのも楽しい記憶です、またひとついいお店が....と想うと寂しいですね。
返信する
山下公園 (酔華)
2014-09-30 20:10:46
>冬桃さん
さすがですね。
あの一画は非常に不思議なとこです。
あのように造られたのはたしか1990年ごろかな。
もしかしたら89年かも。
横浜博覧会の時です。
当時はバルセロナ展とか、
ヨコハマ都市デザインフォーラムなんていうのがあって、
どうやら、あれと関係あるみたいですよ。
バルセロナオリンピックの直前だしね。
返信する
カツ丼 (酔華)
2014-09-30 20:12:22
>馬の骨さん
テレビドラマだけではなくて、
現実の取調室でもそうらしいですよ。
加賀町警察でカツ丼を食べた友人の話です。
返信する
金福楼 (酔華)
2014-09-30 20:14:10
>吉継さん
私もtef-tefのブログで知りました。
あの前日、店の前を通っていたのに…
http://ameblo.jp/teftef-blog/entry-11932026033.html
返信する
伺ったところでは (吉継)
2014-09-30 22:09:08
今月いっぱいは金福楼さんは営業しますとのことだったので昨日と今日ご挨拶かたがた訪店したのですが閉店が当初の予定より早められたのか両日とも閉まったままでした、だいぶ前になりますが香港から日本への旅行ガイドブックにも掲載されランチも最後まで580円て頑張っておられ、暖かな接客でたいへんありがたい料理屋さんでした、ただ最後にご挨拶をしたかったです。
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カツ丼 (とも2)
2014-10-01 00:00:28
いやはや、なんとも地味目なカツ丼ブームなのに酔華サンにまで参戦いただき、ありがとうございます\(^o^)/

しかし、我家のご近所までいらしていたのですね♪ ちなみに、今回のコースは我家の定番散歩コースでもあります。
返信する
かつ丼ブーム (ぶらくり佐藤)
2014-10-01 04:33:30
これだけ歩かれれば、お腹も空きますね。
自分も先日にかつ丼を作ってみました。
やはり初めは失敗をしますね。
器が小さすぎたみたいです。
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金福楼 (酔華)
2014-10-01 05:06:58
>吉継さん
残念です。
跡地に何が入るのか、それが心配です。
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