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6月26日付けの新聞に、こんな記事が出ました。 『横浜中華街の名店「鴻昌」が25日、60年の歴史に幕を閉じた。店主は、1960年代のGSブームの火付け役となったR&Bバンド「ザ・ゴールデンカップス」のギタリスト、エディ藩さん。 59歳となったエディさんは閉店後の第2の人生に、再びプロのミュージシャンとしてステージに立つことを選んだ』 ![]() 記者は、MM21線の開通で街に変化の波が押し寄せてきているといいます。若者向けの新業態の店が相次いで登場し、老舗は苦戦を強いられているとか。 「鴻昌」も老舗という体力だけでは、なかなか難しくなってきていたといいます。 一方、音楽への情熱は抑えきれません。2003年にドキュメンタリー映画「ザ・ゴールデンカップス・ワンモアタイム」の撮影のために「カップス」を再結成。以来、ステージに立つ機会が増えていたといいます。 そんなことから、残りの人生を音楽に投入しようと決意したそうです。 昨日、店の前を通ったら、既に看板はなく、不動産屋の広告が張り出されていました。 ![]() |
以前は家族で良く食べに行っていたお店なので時の流れと寂しさを感じました。焼きそばが美味かったので、家にお土産にテイクアウトしてました。最後に焼きそば食べておけば良かったなぁなんて今思っています。
エディ・藩さん頑張って下さいね。。
気楽に入って焼きそばを食べる事が出来なくなった!
声を掛けた事はないけど、藩さんのちょいと怖い顔
(若い時はかなり男前)をチラチラ見ながらの食事は
最高だったのに!
藩さん、ライブを見に行きます!本当のブルースを
聴きに行きます!
たまに楽しく拝見させてもらってます。
この件はショックです。
昭和37~8年ごろには親と食事してましたから。
この麺がよかった。
本牧アソカ幼稚園近くの同名の店は関係あるのでしょうか?
子供の頃、親と一緒に長い時間並んで入店、土日に「汁そば」を注文しているほかのお客が怒られているのを横目で見ながら、祖母、両親と食べた記憶が昨日のことのように覚えています。
帰りには「腸詰」をおみやげに買って帰り、家に帰ったらまた家族で食べました。ほんのり甘くて、香ばしくて、あの味はどこを探してもありません。
有楽町「慶楽」の「叉焼」がやや近い味がします。
でも、あの深みは。。。
祖母が亡くなり、いつの頃からか鴻昌からあの「腸詰」がなくなり、化学調味料の味が微妙に強くなり、並ばなくても入れるようになり、結局あの味は「あの人」しか出せない味だったんだろうか・・・。鴻昌が閉店したと聞き、横浜中華街は僕にとって思い出の中にしかない、ゆらぐ蜃気楼の街になっていました。
もちろんこれも発売されて2年ぐらい後でした。
デイブさんも亡くなり、45年前の不良バンドの
イメージが消えていきそうです。来週横浜に何十年ぶりに行きますので本牧あたりも散歩したいです。
何十年ぶりですか!
たいへんな様変わりですよ。
「ゴールデンカップ」は健在です。
何ヶ月か前にエディ藩のライブをやったみたいです。
横浜を楽しんできてください。
鴻昌では汁そば類とマキアゲをセットで食べるのが好きで、学生時代デートといえばよく行っていました。いまでも中華街にはいくのですが、「何々TVで紹介されました!!」的な張り紙の店が多くなって、シンプルな佇まいと料理がおいしかった鴻昌が今でも懐かしいです。