12月31日、久しぶりに中華街へ行ってきた。JR石川町駅を降りると、中華料理の話をしながら歩いている人たちの流れが尽きない。ほとんど全員がこの町を目指しているのだろう。 善隣門。それほど人出はないように見受けられたが、大通りへ入ってみると…… 歩くのも困るほどの混みよう。以前の中華街が戻ってきたようだ。 これ以上先へ進むのがイヤになり関内方面にシフト。今日は、そこで見たものを少しだけ紹介しておこうと思う。 中区役所の前に大きな広告ボードがある。このてのものは最初、広告付きバス停上屋として出現してきた(2004年)と思うが、近頃はそれ以外のところ、ここのようなバス停ではない場所でも見かける。そしてUSBで充電できるようになっていたりするのもあるよね。 車道側は広告だが、歩道側は周辺案内図になっている。 ボードの枠をよく見ると、MCDecaux(エムシードゥコー)のマークが。会社のHPによると、横浜市のスマートデジタル地図情報パネル(CIP)整備事業に応募して選定されたとのこと。 2004年の広告付きバス停上屋は、中田横浜市長のときに始まった。その後、2009年5月には株式会社ローソンとの間で、よく分からない包括連携協定というものを結んだ。同じころ(2009年7月)大阪でも橋下大阪府知事とローソンの間で包括連携協定を結んでいた。 これは解釈の仕方によっては何でも該当しそうな気がするのだが、横浜市では他にどんな企業と協定を結んでいるのか調べてみたら、読売新聞社まで入っていた。マスコミと包括連携というのは、どうなんだろう。 と思ったら、昨年末、大阪でも読売新聞との協定が結ばれたという情報が流れてきた。なんだか気がかり…… 山下公園レストハウス内の「ハッピーローソン」跡。2007年、中田市長時代に子育て応援コンビニとしてオープンしているのだが、レストハウスの指定管理者ではなく施設管理者という位置づけだったらしい。それが2020年9月に閉店したという。 市のHPを見ると現在、模索中のようだが、そもそもあんな細長い公園の端にレストハウスがあるというのがおかしいと思う。元町中華街駅もできていることだし、もっと中央付近に移設できなかったのだろうか。 とかなんとか文句を言っているうちに区役所の玄関に。そこにはこんな張り紙が。12月31日から1月3日まで相談も受けられないみたい……。 こちらは昔ながらのバス停。だから、ここの停留所名が分からない。ただ、次が「日本大通駅県庁前」であることは書いてある。(っていうか、貼ってある) 念のため裏側を見たら「開港記念会館前」だということが分かった。 朝6本、夕方5本しかない。この路線は近辺に通う官庁や企業のためにあるみたいだね。 開港記念会館は令和6年3月まで休館だそうだ。まだ2年以上ある。 ここは100年以上前に建築され、関東大震災では内部を焼失したものの躯体は生き残り、昭和2年に改修された国の重要文化財だ。 昭和20年5月29日の大空襲でも生き残った。というより、アメリカが占領後に使用するために破壊しなかったのだ。終戦後は米軍の映画館とされた。 会館の角に設置されている周辺案内図。 なんだ! これは! まったく役に立たないではないか! やっぱり停留所もこれもMCDecaux(エムシードゥコー)に任すか… この近くで見た看板。 「犬」としか書かれていない。 暖簾も「犬」。 犬関係の販売店だろうか。 海岸通にある「横濱ビル」♪ 地下に降りる階段。入り口に置いてある板は防潮用のものだ。昔はこの辺、防潮堤と書かれたビルの壁をよく見かけた。海水が溢れることが多かったんだろうね。 昭和25年築のビル。戦後最初に建築許可が出たビルだと聞いている。 siamese connection(消防隊用給水口)。MURAKAMIと書いてある。この会社かな? この階段を降りると「アマゾンクラブ」。 万代町へ引っ越したんだぁ。 流転する「アマゾンクラブ」。もともとは山手駅の近くにあったのだが、のちに中華街へ移転。そして、そこが再開発されることになり、こちらへ移ってきたのが15年くらい前だったか。 そしてまた、この貴重な「横濱ビル」が解体され高層ビルになってしまうことで移転するようだ。 倉庫時代の「アマゾンクラブ」は良かったなぁ… さて、こちらは相模ビル(上層は海岸通4丁目市街地住宅)の1階角にある「荒井屋万國橋店」である。 その壁の一画に小さなお地蔵さんが嵌まり込んでいる。これが#ビルトイン地蔵尊選手権でいうところの「ビルトイン地蔵尊」だ。 この存在を知っている人は少ないのではないかと思っていたら、ちょっと前に「のうやくん」がツイートしておられた。 なぜ、ここにお地蔵さんがあるのかを少しだけ付け加えておきたい。 そもそもこの物件は手前の歩道上にあった。(それは私も確認している) 海岸通4丁目市街地住宅にお住いの古老から聞いた話だが、昭和30年代だか40年代だかに、この角で交通事故があり運転していた方が亡くなったという。その霊を慰めるため角地にお地蔵さんを建立したのだそうだ。 この角地は建物が隅切りされているため、かなり広い。たぶん当時は土地の境界線がよく分からないまま建てたのだろう。 それから数十年が経ち、曙町の牛鍋「荒井屋」がここに「万國橋店」をオープンすることになった。それ以前は喫茶店の「ルノアール」が入っていたのだが、あの頃の出入り口は、こっちの角ではなく海岸通り側だった。 しかし、「荒井屋」がここに入ると決まったとき、入り口は角に設置することになった。そうすると、お地蔵さんがちょうど入り口を塞ぐような位置関係にあたる。 そこで「荒井屋」がこれの建っている位置を調べたら、なんと公道上にあることが分かったのでる。 その後は紆余曲折があり(詳細は省略)、最終的には社長が自費で自らの壁の中に移設したという。これは社長から直接聞いた話だから間違いない。 彼は横浜や町内の環境を良くすることでも、いろいろと活動されていた。いつも全体のこと、みんなのことを考えていたと思う。 ブログを始める前は、「荒井屋本店」によく行っていた。ランチだったり宴会だったり。昼間は1階だったが、夜は2階の座敷。昔ながらの懐かしい雰囲気が良かった。 そして万国橋店でもよく会食をした。座敷にテーブル席というのがあり、レトロモダンな感じでこれも好きだった。 マリナードには売店もあって、たまにここで買ったすき焼き弁当をランチにしていたことも。 このお地蔵さんを見るたびに、「荒井屋」と社長のことを思い出す。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
もうしばらく用心した方が良さそうですね。
オミクロン株が増えてきました。
第6波に入りそうですね。
あと2,3年は自粛生活なのかなと思います。