
三国志の英雄・関羽を祀った関帝廟は、華僑が集団で住む街には必ずある。 横浜はもちろん、横浜と一緒に開港した函館、神戸、長崎など、日本国内には十か所以上でその存在が確認されている。 その中で最も大きく豪華なのが、横浜中華街の「関帝廟」だ。 そもそも関羽というのは武神なのだが、信義に厚く約束を守るところから、商人の神様ともなっている。そのため、世界に飛び出し商売をしている華僑たちの間で祀られてきたのである。 ![]() これは横浜関帝廟の関羽。右に立つのは義子・関平。左は部下の周倉。 写真では分かりにくいが、関羽の顔は真っ赤!!! この関羽は、中華街のいたるところで見ることができる。料理店のショーウィンドーの中や店内の棚の上に人形が置かれていたり、壁に描かれていたりするのだ。 そんな中で最大のものが中華街パーキングの待合室にある。これだ。 ![]() 真っ赤な顔に長いヒゲ。これが関羽の身体的特徴である。 顔が赤いのは、中華街で酒を呑みすぎているからではない。『横浜の華僑社会と伝統文化』(著:陳水發)によれば、次のような言い伝えがあるという。 関羽は162年6月24日(旧暦)、捨て子として生まれた。それを蒲州の普救寺廟の方丈が拾ったのだが、自分では育てることができず、河東郡常平村から来た常という誠実で温厚な鍛冶屋の親方に預けてしまった。 親方夫婦には子どもがいなかったので大喜びでその子を引き取り、常生と名づけた。彼は幼い頃から聡明で力が強く、将来は人のために尽くし、大事をなすと誰からも思われて育っていった。 そんな常生が少年の頃、通っている学塾で照明用の油がなくなるという事件がおきた。学塾では夜遅くまで勉強する学生のために油を灯していたのだが、毎日のようにその油がなくなるという事態が発生したのだ。 家の貧しい常生が犯人扱いされてしまった。そこで彼は、身の潔白を証明するため真犯人を捕まえようと、真夜中、学塾の物陰に隠れて盗人が現れるのを待った。 しばらくすると、窓の外から一陣の冷たい風が吹き込んできて、灯火がユラユラと揺れ動き今にも消えそうになった。と、そのとき、牙を尖らせ、長い爪を持った青い龍が窓から首を伸ばし、灯油を盗み飲みし始めたではないか。 常生は「こいつが犯人だ! ひっ捕まえてやる」と言って龍の前に飛び出すと、無我夢中で長い角をつかみ一気に押さえこんだ。するとカチャンと音がして根元から角が折れ、あわてた龍は一目散に空高く逃げ帰っていった。 われに返った常生が手に握り締めている角を見ると、寒々と光る宝剣に変わっていた。それは青龍の紋が彫られた一対二振りの名剣であった。 常生はこれを持ち帰り親方に見せると、 「う~ん、素晴らしい剣だ。こんな名剣は見たことがない」と大喜び。 しかし、残念ながらサヤがない。そこで親方はサヤを打ち始めたのだが、不思議なことに、いくつ作ってもすべてが剣に合わず、そのうちサヤ作りを諦めてしまった。 やがて季節は移り変わり、翌年の清明節がやってきた。 (以下つづく) ![]() 横浜中華街探偵団のホームページ→「ハマる横浜華街」へ ![]() |
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