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チャイハネ・カヤの3階にあった「カヤ茶屋」が閉店し、新しくこだわり食材の「椿や商店」というコーナーができていた。 ネットで確認すると8月22日にオープンしたようだ。 ![]() 本日の試食BARは国産フルーツジャムだってさ。 「20種類以上のジャムがお試しできます」とある。 この日は他に用事があったので通り過ぎようとしたのだが、試食につられて、ついフラフラと階段を上がってしまった。 ![]() まずは全国各地のサイダーが皆さんを迎えてくれる。 長野の銀冷水サイダー、奥能登の地サイダーなどのほか、雲仙レモネード、沖縄の黒糖コーラなどが冷やされている。 暑い日にはちょっと飲んでみたくなるよね。 ![]() 棚に置かれているのは… 小豆島のオリーブサイダー、信州のりんごサイダー、佐賀のスワンサイダー、熊本の ![]() こちらは本日のジャム試食コーナー。 小さなクラッカーにのせてひと口食べてみると、意外にも美味しい♪ 3階ではジャムやサイダーなど甘いモノ系が売られているのだが、片隅にカウンターでも造って和風立ち飲みコーナーにしたら、ちょくちょく通うんだけどね。 でも帰りの階段が危ないか…。 ところで皆さん、横浜にも地サイダーがあるのをご存知でしょうか。 オリツルサイダー、黄金サイダー、横浜サイダープレミアムクリア、横浜ポートサイダーの4種類だそうです。 はまれぽの記事にも書かれているように、地元の水や特産品などを使っていなくても、地域の歴史や文化を反映したもので、サイダーの体を成していれば地サイダーとなるんですね。 そこで最近は町おこしなどに利用されることも多くなり、中区黄金町で「まちづくり」に取り組む活動拠点コガネックスラボ(Kogane-X Lab.)が企画商品化した地サイダーが、『黄金サイダー』なのです。 彼らがなぜ黄金町の町おこしにサイダーを取り上げたのか、その辺の事情はよく判りませんが、私は最近、火災保険図をじっくりと眺めていたとき、昭和初期の黄金町にサイダー工場があったことを知り、あまりの符合にビックリしました。 しかし、コガネックスラボのホームページやいろいろな情報を検索しても、現在の黄金サイダーの由来が当時のサイダー工場にあるとは一言も触れられていません。 なので、おそらく横浜市大の学生たちは地域の歴史を知らずにサイダーを企画商品化していったに違いありません。 今後はこのサイダー工場の歴史を発掘し、それらを黄金サイダーと一緒に販売していってくれたらいいですね。 最後に、私が眺めていた地図を載せておきます。 ![]() 昭和7年の火災保険図。 丸印がサイダー工場。 ![]() 黄金町1丁目21番地に豊商会サイダー工場と表示されている。 ![]() こちらは昭和11年の同図。 丸印がサイダー工場なのだが… ![]() 同じ住所なのに、山内サイダー工場になっている。 経営が変わったのだろうか。 そして最大の謎は、どこの水を使っていたのか、だ。 【参考】 市史通信に掲載された中区火災保険図 ![]() |
2号店?が「三希堂」という、中国茶房だったのを思い出します。
悟空、緑苑よりも、美味いお茶を出してくれました…
中華街はもともと生活の場だったのだから、
何でもあるのがいいのです。
料理店街ではないのですから。
「三希堂」跡はチャイハネではなく、中華料理の「五福臨」ですね。
いいお茶屋でした。
チャ の響きに、かの名店を思い出してしまいまして…
まだ、すし三昧も無く、街が「中華街」らしかった時代でしたね(笑)!
最近は、ジャムと言わず「コンフィチュール」
マシュマロではなく「ギモーヴ」と呼ぶそうな…
爺の私には、着いていけないですわ(汗)(汗)
私は10年前、20年前の中華街を勝手に記憶を変えてしまったりします。
曖昧なんですねぇ。
やはり写真や地図に頼らざるを得ません。