![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/2b/c1bd28ddcf0e4ed113f7bf9828375292.jpg)
「横浜博覧館」の3階がかなり変化していた。 ここには展示コーナーや中国、中華料理関係の書籍が並んでいたのだが、横浜の観光情報コーナーになっている… 色使いといい、雰囲気といい、なんだか横浜コンベンションビューローの出先機関みたい。 ![]() 本は持って帰れないけど、パンフレット類は持ち帰りOK、って当たり前か。 ![]() 下の方には横浜モノの雑誌もいろいろ取り揃えているぞ。 ![]() もちろん中華街モノも。 ![]() いままで自由の入ることのできた屋上庭園は、このカフェで何かを注文しないと入場はできない。 ![]() あまりにも自由過ぎたようで、何も買わずに足湯だけやって帰るとか、他の店で買ってきた焼き小籠包をここで分けあって食うとか、ちょっとひどかったからねぇ。 ![]() 入り口横には世界最大級の急須が置かれている。 ![]() 景徳鎮の由来とかも、ここに書いてあるよ。 ![]() ヨコハマサイドステージって、何? ![]() なんだかよく判らないので、帰宅してから調べてみると… う~ん、結局、分からない…… ![]() 2階のベビースターランドは変っていないな。 ![]() ベビースターラーメンは「おやつカンパニー(旧松田産業)」の製品で有名だが、この会社、実は世界で最初にインスタントラーメンの開発に成功しているそうだ。 日清のチキンラーメンより3年も早い1955年だったのだが、商売としてはうまくいかなっかたため、日清のチキンラーメンが元祖ということになるらしい。 その松田産業がインスタントラーメンを再び製造を始めたころ、ラーメンのかけらが大量に発生し、もったいなからということで味付けをしてオヤツにしたのが、ベビースターラーメンなの誕生につながったという。 ![]() 階段の壁には「安楽園」解体の風景写真が飾られた。 ![]() そして「横浜博覧館」ができるまでを紹介しているのだが、 ![]() 土地を掘っていたら、こんなものが出土したという。 ![]() 関東大震災前の煉瓦は予想どおりだったが、戦時中の防空壕まで発見された! ![]() さて、こちらは「かをり」の裏に新しくできたマンションなのだが… ![]() 角を回り込むと、植え込みの中に、こんな案内板があるのに気がついた。 このマンションができてから、何回も傍を通過していたのに、いままで目に留まらなかったのか。 ![]() 案内板の手前には、なにか煉瓦っぽいものが… ![]() やっぱりね。 工事中にレンガが出土したというのだ。 この町内で土地を掘削をすれば、必ずレンガが出てくることはよく知られていることだが、まさか小菅刑務所製のものが出土したとは。 ![]() こんな刻印だ。 ![]() 煉瓦は6個。 ![]() たしかに桜の刻印がある。 ![]() これもだ。 ![]() 丸にカ……現在のところ、どこの製造なのかは不明らしい。 ![]() 案内板の背後の壁や下の部分。 スクラッチタイルだ。 このタイルは大正末期から昭和初期に流行ったもので、横浜公園や古い建物などで見ることができる。 マンションは新しいビルなので、もちろんタイルも現代のモノだ。 でも、ビルの意匠を考えた人が、古い時代をイメージして、この部分に貼りつけたのだろう。 こういうことをやる人って…いいよね。 ![]() |
中華街で出土したレンガは多いです。
http://www.chinatown.or.jp/fact/column/1019
普通、防空壕といったら山や崖地に横穴っていうイメージですよね。
でも地下に掘る防空壕もあったそうですから、
平地でも考えられるんですね。
本牧の古老も言ってました。
「自宅の床下に防空壕を造った」と。