
太平洋戦争末期、本土空襲のあとには必ず“紙の爆弾”が大量に投下された。 米軍の宣伝ビラ「落下傘ニュース」だ。国民の戦意喪失を狙う作戦であったが、そこに書かれていることは大本営発表とは全く異なる内容だった。 第1号は1945年3月13日で最終号は8月18日。この間に約6000万枚もばら撒いたという。 宣伝ビラを拾った国民は、すぐ憲兵隊に届けなければ処罰されたし、内容に興味を持ったら“爆死”扱いされた。 昭和天皇も皇居に落ちた「落下傘ニュース」を拾い、戦況の悪化を悟ったらしい。 米軍は長崎に原爆を落とした2日後の11日にも“紙の爆弾”をばらまいている。 それは昭和20年8月11日付けの落下傘ニュース第22号だ。 【参考】 古本 米軍マニラ司令部発行「落下傘ニュース」復刻版 横浜市中央図書館にも1冊ありますよ。 ![]() |
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