北門通にあったホテル「ピアシティ」が解体されて更地になっていたが、先日、裏側を通ったらこんな建築計画のお知らせが出ていた。 今度は14階建てのビジネスホテルになるようだ。 開港道のコンビニ「まいばすけっと」横に背の低い石垣がある。そこに設置されている説明板。 石垣の方はしばしば見ているのだが、意外とこちらには気づかないもの。歩道の平板がはみ出ているようにみえるこの石、これも居留地時代の石を再利用しているみたいだ。 西門通りの「錦里」。ランチ時に店内で変面ショーをやっている店。 コロナ禍で休業して従業員が減っていたのかな。テーブルの数を減らしている。 みなと総合高校と「天龍菜館」の間の道路。愛称はついていないらしい。 その歩道上に並んでいる赤い商店街灯の電柱には、何もついていない。 昔は街灯がついていたのではないかな。 市場通りの先。元町側に日本料理の「神田」という店があった。そこが閉店し、しばらく空き店舗状態だったが、いよいよ新しい店ができそうだ。 画像が白飛びしてしまって店名がよく分からない。カフェ・バー「Puuu」なのかな。 なかなか行けない焼鳥バル「ル・コック」。 以前は古い倉庫や煙突のあるガタガタの路地裏だったが、最近はきれいに舗装されている。 加賀町警察署と神奈川県警科学捜査研究所の間の道路。科捜研側の囲いに何か怪しいものが置かれている、と思ったら…… 小さなぬいぐるみだった。危険物じゃぁなさそう。ホッ。 さて、ここからは科捜研周辺の昔話を。 長谷川伸は『新コ半代記』のなかで『居留地』と題して、彼が土木請負の仕事のため出かけた先で見た南京街の光景を書いている。その部分を引用すると…… ******** 新コの仕事場の前に、道路を挾んで三角型の和蘭屋敷と俗にいった処があります。居留地番号では155だったと思う、そこは居留地の牢屋敷で、新コは知らないが先頃までは伊太利の伯爵と称する詐欺師が入っていたそうです、送還か何かで居なくなった後、一人の入牢者もなく暫くたったが、このごろ若くないのが苦役に一人就いていると、居留地のことには早耳の門番が話したので、足代(あしば)の高いところへあがってみると、牢屋敷の塀の内が丸見えです。 暫く見廻していると、一人の見すぼらしい姿の若くない西洋人が、パイ助と新コ達の間でいっている、扁平に近い籠に土を一杯入れたのを、右の隅から左の隅へ、のツそり歩いて搬んでいます。尚も見ていると、パイ助は六杯ある、それを搬び終ると、今度は今までと逆に、左の隅から右の隅へ搬んでいます。その晩、新コは昼のうち見た苦役する一人の異邦人の黒ずんだ姿が、眼にうかんで消えなかつた。 翌日の朝、乙90番の普請場へゆくとすぐ、足代にのぼって牢屋敷を見下すと、彼の囚人の姿はなく、何という草花か赤いのが塀際に二三十群がり咲いているだけ。その朝はひツそりとしていて人の往来が殆どなく、筋向うの175番館ファーブルブランド商会の飾り窓に戸が引いてあり、丸型の吊り時計の大きいのが見られなくなって居る。ドンタク(日曜日)でした。そこでは山手の教会堂の鐘の音は聞こえて来ないが、前田橋際の教会堂の鐘の音は聞こえて来ました。 (中略) 新コはその次の日も、足代の上から牢屋敷の囚人の土搬びを見ました。次の日も次の日も、何日も続いて昼飯前と後と、日に二度は少くとも見にゆきました。雨の日は囚人の姿が庭に見えません、風の強い日には土煙りが立って姿がときどき消えました。新コにはそんな風に熱した時は、どんな事があっても続け抜くが、棄てて失くしたように忘れて、そこにあっても眼にはいらないという事もあります。 或る日の午後だったと思う、老囚人が足代の上の新コに手を振りました、新コも手を振った。何故だったと尋ねられても返答がつきません、解釈をつけてやるのではない、途端に手を振つたのですから。しかし憫察の心はあつた、何故に囚人となったか知ろうともしないでいてです。それから後の老囚人は新コに気がつくと手を振りました、新コも手を振った。そういう事が三十日余りも続いてからでした。囚人の姿がみえなくなりました。 【自伝随筆:新コ半代記より(宝文館 1956年)】 ********** ここには居留地の番地が3つ登場している。90番、155番、175番だ。居留地時代の番地というのは、今の山下町の番地とほぼ同じと考えていいので、これらの番地が今のどこに当たるのか調べてみた。まず、長谷川伸が工事に行っていた現場の90番だが、ここは今のロイヤルホールの位置。 写真が小さくて分かりにくいけど我慢してね。 その工事現場の足場から見た《道路を挾んで三角型の和蘭屋敷と俗にいった処》というのは、今でも三角形のコーナーになっていて、そこに「王家餃子」、「海乃家」、「麺恋亭」といった飲食店のほかに、なんと〔神奈川県警科学捜査研究所〕があるのだ。 居留地155番。 この科捜研、以前は〔酩酊者専用保護留置場〕も併設されていた。長谷川伸が見た牢屋敷というのは、まさに、この場所だったに違いない。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
錦里はTVで紹介された影響でランチコース予約が殺到していて、通常ランチの提供が間に合わないのでお客さんを絞っている、とお店の方が仰っていました。
皆さま変面が目当てだそうですので、昼過ぎに伺うとお席にも余裕があるようです。
長谷川伸さんの話ですが、
意味のない作業を延々とさせられる
というのは、苦役中の苦役。
その中で自分に手を振ってくれる人がいたら、
心の支えになるでしょうね。
その後この2人はどうなったのか…
ところで、酩酊者専用保護留置場
って中を想像すると凄そうですね
近隣で働いている方々以外は、
ランチ時間帯をはずして行けばいいですね。
あれは間近で見ていても、よく分かりません。
マジックみたいです。
あの場面を読んでいて、
カミユの『シーシュポスの神話』を思い出しました。
つらい作業ですが、そこで何かを発見できる…のかな。
酩酊者専用保護留置場。。。一度は入っておくべきでした。
神奈川県庁の向かい側にある法務合同庁舎の食堂でランチを食べていると、
ときどき、手錠をかけられた人物が、
裁判所の裏で引っ張られて行くのを見かけました。