中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

昭和5年8月の横浜では…

2022年01月21日 | レトロ探偵団

 また例によって、探している情報とはまったく関係ないものに目が行ってしまい、こんな記事をコピーしてきてしまった。(何やってんだろうね…)
 昭和5年8月25日の横浜貿易新報に掲載されている記事だ。
 前年の10月、アメリカの株大暴落から始まる世界恐慌は日本にも大きな影響を及ぼした。恐慌による全国の失業者数は、昭和4年9月に約27万人であったのが、翌5年4月には37万人に膨れ上がっていた。そして6年5月には40万人を突破した(内務省社会局)。
 当然、横浜の労働者にもその波は押し寄せ、大量の失業者が家も失い路上で生活せざるをえなくなったのである。そんな彼らを支援していたのが救世軍で、横浜貿易新報の記者はそれを取材し、この記事を載せた。

 当時、中区浦舟町(現・南区)に救世軍民衆館があったことがこの記事から分かった。
 「救世軍」――子供の頃、冬になると街頭でよく見かけた記憶があるが、あの組織が運営していた「民衆館」というのは、関東大震災被害者や失業者・生活困窮者のための簡易宿泊所だった。
 現在も民衆館という名前をときどき耳にするので、どうなっているのかと思ってちょっと調べてみたら、今は生活保護法に基づく更生施設ということで、社会福祉法人横浜愛隣会が南区睦町で運営していることが分かった。

 記事の中に青葉館というのが出てくる。現在でも寿地区には「青葉荘」とか「青葉会館」があるけど、それらとは関係がなく、青葉とは公園の中の木々を意味しているようだ。
 つまり横浜公園のことで、失業者たちがあそこで寝泊まりしていたのである。


 ↑ 今は無き横浜公園野外音楽堂だ。(9月20日の記事より)

 次に出てくるのが旧横浜駅裏手のホーム下。旧横浜駅というと今の桜木町駅を連想するが、これは高島町駅近くにあった2代目横浜駅のことだ。
 窟か犬小屋か区別のつかぬような小屋掛けがあったという。そこで南京虫や蚊に攻められながら暮らしている人たちがいたのだ。

 そして最後は神奈川区高島町の社会館裏の砂利置き場。場所は横浜駅東口の前である。社会館というのは大正時代にできた労働者のための宿泊施設で、今でいう簡易宿泊所の前身みたいなもの。仕事のある人たちは1泊**円かで生活をしていたが、仕事も家も失った人々は裏の砂利置き場で寝泊まりしていたということだ。



↑ クリックすると拡大できるので読んでみてね。





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2 コメント

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路上の人 (冬桃)
2022-01-21 20:14:04
横浜公園のことを青葉館とよんだのですか。
知りませんでした。
昔も、いまの炊き出しや木パトに相当する
活動があったのですね。
現代は生活保護をはじめとして、福祉制度も
いろいろできましたが、それでも路上を選ばざるを
えない人達がまだまだ多いです。
事情はいろいろだと思いますが、せっかくの福祉に
も、独りではたどりつけない方が少なからずいるの
だと思います。
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昔の新聞 (管理人)
2022-01-22 10:14:06
>冬桃さん
ネットで検索して調べるのではなく、
こうして新聞記事を総めくりしていくと、
思わぬ発見があるものですね。
私も青葉館という言い方を初めて知りました。

このコピーを取ったあと桜木町駅に向かうと、
広場で空き缶を置いて正座している古典的な人に出会いました。
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