
≪雨がふれば学校に行けぬ “傘ほしや”の投書が市役所に殺到≫ こんな見出しを付けて掲載された昭和21年10月31日の読売新聞記事です。 以下に概略を載せておきますが、BGМとして井上陽水のあの歌を聴きながらお読みいただければと思います。 食糧事情の緩和から横浜市内の学校の出席率は向上し、最近は94%となり戦前の水準に達した。 しかし、これは晴天の日だけのことであり、雨でも降ればとたんに三分の一となる。 原因は雨具がないことだ。 肝心の和傘が1本80円、カッパなら400円もするので、とても手が出ないという。 公費での雨具配給を訴える投書が、2,840通も市役所へ届いている。 8月に戦災後初の配給があったが、6万名に対しカッパが600着、和傘が100名に3本しかない。 和傘販売組合にストックがないので、当分の間、これ以上の配給は無理だと市役所の担当者。 当時の小中学生は大変だったんですねぇ。 いろいろ調べることがあって図書館で昔の新聞を漁っているのですが、つい、本来の目的の記事よりもこういう小さな記事に目が行ってしまうのです。 そのため、資料探しが全然はかどらない……。 別な日のことですが、その時もこんな見出しに釣られて無駄に読んでしまいました。 昭和20年11月の毎日新聞です。 ≪雨が降ると半分は欠席 横浜市が学童に雨具の心配≫ 国民学校児童の出席率は晴天で85%。雨が降ると50%と伝えています。 原因は雨具や履物がないことなのです。 そこで横浜市は代用雨合羽を80,000枚購入すべく、生産地の埼玉県と交渉中であると。 終戦から3ヶ月ですからね、傘がないわけです。 傘がない…という記事をアップしたら、メタ坊さんがシェルブールの雨傘を話題にしておられました。 ![]() |
黄色いランドセルカバーと、
黄色い傘、黄色い帽子などがあります。
あれって、交通安全のためと思っていたんですけど、
酔華さんの気になった記事を考えあわせると、
ルーツ・目的はこの問題解消のためなのかなぁ?
そうかぁ。。。
案外、そんなところの名残なのかもね。
そんな話が出ていたんですか。
20年代後期でもねぇ。
黄色い傘は、やはりあの名残なのかも…
現在は、「傘屋が無くなった」と、言う事でしょうか。
ビニール傘が出る前は、町に一軒は傘屋があった気がします。
傘の骨が折れたら、修理して貰ってました。
鍋も、穴が開いたら「鋳掛屋」に…
物が無いから、修理して使う。
物を通して、町の親爺と仲良くなっていった気がします。