朝、8時半の京都行き特急にのって9時32分の新幹線にのりこんで行く。
山手線に乗り換えて田町で降りてそれからタクシーに乗っていく。
日帰りで帰ろうと思っている。あわただしい。朝もあわただしくてブログはかけないだろう。
夕方に東京駅で新幹線に乗って奈良に戻ってくるのは遅くなる。
そんなことで明日のブログは書けるだろうか分からない。
今日は7時15分に目が覚めてふとんの中で本を読んでいた。8時になる。あわてて起きて朝食の支度をして家事をしていると9時半頃になっていく。
いろいろとすることが多い。事務処理など雑務をしてパソコンの前で雑務をしていると11時が過ぎていく。
夫は「もう昼やで」と言っている。
先週作ったカレーが2人分残っているので温めてそれを昼食にした。このあとコーヒーを飲みながら新聞を2紙読んだ。
夫はまた怒っている。リビングでコーヒーを飲みながら見ていると「新聞をめくる音がやかましい」という。だがふとんの中で今日は新聞をよめない。
明日の連載を作らないといけなので眠気覚ましにコーヒーを飲んで仕上げた。
テレビは阪神戦とオリックスの試合、そしてたかじんの番組など見たいものを夫は途中でコロコロ変えている。どうやら阪神がまけているのだろうか。
阪神が負けているとテレビを変えてしまうから。
今日は暖かい。エアコンの暖房だけで過ごせる。昨日の夜は寒くてストーブを入れていたのに東大寺の灯明の松明が二月堂で火の粉が飛び交っている。春を呼ぶ行事、昨日は土曜日、多くの観光客がきているだろう。それにテレビドラマ「鹿あおによし」が放映されていることもあつて-----。
もう何年になるだろう。約30年になるのだろうか。立原正秋の「春の鐘」の小説が映画化された。小説は読んだ。少しでも立原正秋の朝鮮半島のルーツを探したくて購入して読んだがそんなに感動する小説ではなかった。
恋愛もありきりたりの浅いものだった。不倫というものだった。不倫は好きじゃないので1度読んだきりそのままにしてどこかにしまいこんだ。
たぶんこの本はすぐにすててしまったようにも思う。
「鹿あおによし」の本がでているがあまり手にとってみる関心がない。奈良にも人知れずにもっと恋焦がれる人間物語があるような気がして取る気にならない。
立原正秋は徹底して出自を隠したという。たぶん隠すことにストレスがあっただろうと思う。日本庭園と韓国庭園とは明らかに違う。日本人のふりをして日本庭園のことを書き小説も「薪能」という日本で発達した文化の中で小説を書いていく。薪能も古代朝鮮からわたった文化なのにそういことに触れないで日本文化の真髄のように書いていく。もし立原正秋が今生きていれば韓流に自分の出自を明らかにしていただろうか。そんなことをまた思ってしまった。
思い出した。いつもの行きつけの喫茶店の生花、角度を変えるとまた違う風に見える。紅色の花そして白い花、緑の葉とうまく合っている。いかにも春の訪れ、早春賦。
明日は新幹線の中から富士山の写真を取りたいと思ったがそうなるとずっと車窓の景色を見ていなければならない。それもしんどい。本を読んで居眠りをしていく。カメラは持たないで行こう。もう3時、これから風呂を入れて早い夕食をして早く床につかないといけない。明日は5時半おきになる。
山手線に乗り換えて田町で降りてそれからタクシーに乗っていく。
日帰りで帰ろうと思っている。あわただしい。朝もあわただしくてブログはかけないだろう。
夕方に東京駅で新幹線に乗って奈良に戻ってくるのは遅くなる。
そんなことで明日のブログは書けるだろうか分からない。
今日は7時15分に目が覚めてふとんの中で本を読んでいた。8時になる。あわてて起きて朝食の支度をして家事をしていると9時半頃になっていく。
いろいろとすることが多い。事務処理など雑務をしてパソコンの前で雑務をしていると11時が過ぎていく。
夫は「もう昼やで」と言っている。
先週作ったカレーが2人分残っているので温めてそれを昼食にした。このあとコーヒーを飲みながら新聞を2紙読んだ。
夫はまた怒っている。リビングでコーヒーを飲みながら見ていると「新聞をめくる音がやかましい」という。だがふとんの中で今日は新聞をよめない。
明日の連載を作らないといけなので眠気覚ましにコーヒーを飲んで仕上げた。
テレビは阪神戦とオリックスの試合、そしてたかじんの番組など見たいものを夫は途中でコロコロ変えている。どうやら阪神がまけているのだろうか。
阪神が負けているとテレビを変えてしまうから。
今日は暖かい。エアコンの暖房だけで過ごせる。昨日の夜は寒くてストーブを入れていたのに東大寺の灯明の松明が二月堂で火の粉が飛び交っている。春を呼ぶ行事、昨日は土曜日、多くの観光客がきているだろう。それにテレビドラマ「鹿あおによし」が放映されていることもあつて-----。
もう何年になるだろう。約30年になるのだろうか。立原正秋の「春の鐘」の小説が映画化された。小説は読んだ。少しでも立原正秋の朝鮮半島のルーツを探したくて購入して読んだがそんなに感動する小説ではなかった。
恋愛もありきりたりの浅いものだった。不倫というものだった。不倫は好きじゃないので1度読んだきりそのままにしてどこかにしまいこんだ。
たぶんこの本はすぐにすててしまったようにも思う。
「鹿あおによし」の本がでているがあまり手にとってみる関心がない。奈良にも人知れずにもっと恋焦がれる人間物語があるような気がして取る気にならない。
立原正秋は徹底して出自を隠したという。たぶん隠すことにストレスがあっただろうと思う。日本庭園と韓国庭園とは明らかに違う。日本人のふりをして日本庭園のことを書き小説も「薪能」という日本で発達した文化の中で小説を書いていく。薪能も古代朝鮮からわたった文化なのにそういことに触れないで日本文化の真髄のように書いていく。もし立原正秋が今生きていれば韓流に自分の出自を明らかにしていただろうか。そんなことをまた思ってしまった。
思い出した。いつもの行きつけの喫茶店の生花、角度を変えるとまた違う風に見える。紅色の花そして白い花、緑の葉とうまく合っている。いかにも春の訪れ、早春賦。
明日は新幹線の中から富士山の写真を取りたいと思ったがそうなるとずっと車窓の景色を見ていなければならない。それもしんどい。本を読んで居眠りをしていく。カメラは持たないで行こう。もう3時、これから風呂を入れて早い夕食をして早く床につかないといけない。明日は5時半おきになる。
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