どうも連休に甘えている。
記事掲載も少し遅くなるのでちょっとまだのんびり構えている。
しかし明日は現場に入る。気合をいれないといけないがその後の3連休にのんびりしている。3連休はのんびりしたいので今日原稿を作り始めたのに気合がはいらない。あかん。と思いながら原稿を作り出したが滑り出しの1行がなんとかでてきたが後が続かない。どうも集中力が入っていないのでひとまず置いてブログの書き込みをした。
今日からジャーナリスト・ネットの木曜日連載は料理エッセイに代わった。
1昨年からスタッフは料理エッセイを要請していたが「料理嫌い」の私は料理好きの料理研究家にお叱りを受けそうな気がしてなかなか気乗りができなかった。
それで「韓国に暮らして」をずっと紹介してきたが取材対象者を全部紹介した。第2弾までまた取材して取材メモをためていかないといけない。
そうした間の中でようやく料理エッセイを書いてみようという気になってきた。
「私流でいい」と思うことで気楽に書けそうな気がしてきた。
小学校5年から夕食の手伝いをしてきてもう台所に立つのは飽き飽きしている。
しかし人間の体の健康は口から入る食べ物からである。栄養剤などは補強のたろである。本来の体の健康は食べ物、しかし食べ物も外食ばかりでは体を壊してしまう。野菜が少ない。揚げ物が多い料理に体を労わるのはやはり家庭料理しかない。家庭料理になるべく野菜を多く取り続けて健康を維持していく。これしかない。
料理嫌いの私がそのために台所に立つ。我が家の質素倹約料理である。
ものごころついた子どもの頃から父親が3品は食材がないと不機嫌だった。食べる料理は魚類ばかりだったが子どもたちの栄養を考えていたのだろうか。食卓には3品以上が並んでいた。そんなことで今も3品は作ってしまう。
メインの惣菜に副食と作る。仕事が立て込んでくると仕事のないときに保存食をたくさん作っておく。これであれこれ毎日くるくる変えて出している。
それが夫はビールの肴は毎日新鮮なものがほしい。
昔はこんなにやかましくなかったのに年を取ってからやかましい。だんだん私の父親に似ている。自分でもそれがわかっているのか「だんだんお前の親父に似てきた」と言っている。
父親の惣菜で母親はものすごく苦労した。
韓国料理で食べるのは肴の煮付けとトックだけだった。
後は和食だった。ごぼうやコンニャクを炊いても日本風の味付けだった。
魚も晩年は冷凍食品は味が悪いと言って食べない。母親は父親の夕食に高い魚を買っていた。養殖でも分かるので母親は父親の惣菜に父親が亡くなるまで苦労した。娘の私も父親の食材は苦手で父親の分だけ母親が作っていた。私は他の家族の食材を作っていた。
そして結婚してきた。夫の家の食材、味付けにはすべてにんにくと唐辛子を入れた。夫は結婚した頃は私の料理が食べられなくて近くに住んでいた妹の家に食べに行っていたことを後日談としてわかった。
なんとかここの味に慣れようと韓国料理の惣菜になった。
しかし私の好きなポテトサラダにハンバーグ、コロッケなど作った。最初は食べられなかったが子どもができて子どもと食卓を囲むようになってこうした惣菜も好きになった。今、大好きなのはスパゲテイーである。
私も少しずつ韓国料理の味付けになれてきたが近年、60歳になってから食材は日本の惣菜になってきた。辛いものを食べると腹痛になりすぐ胃を悪くしてしまう。それでいつのまにか子どもの頃の食べた食材、和食を私は別に作って食べている。風変わりな家庭の食卓である。
こんな風変わりの食卓、いつも食材は何日かを買いだめして冷蔵庫を見て作っている。野菜が冷蔵庫にいっぱいに入っている。まずいたみやすいものから調理していく。簡単なうちのご飯スタイルである。
料理好きでない私が料理エッセイは何か違和感もあるかもしれないが大目に見てもらいたい。節約している我が家の料理です。
さてやはり仕事の原稿を片付けていこう。早くしないと連休がゆっくりと休めない。
記事掲載も少し遅くなるのでちょっとまだのんびり構えている。
しかし明日は現場に入る。気合をいれないといけないがその後の3連休にのんびりしている。3連休はのんびりしたいので今日原稿を作り始めたのに気合がはいらない。あかん。と思いながら原稿を作り出したが滑り出しの1行がなんとかでてきたが後が続かない。どうも集中力が入っていないのでひとまず置いてブログの書き込みをした。
今日からジャーナリスト・ネットの木曜日連載は料理エッセイに代わった。
1昨年からスタッフは料理エッセイを要請していたが「料理嫌い」の私は料理好きの料理研究家にお叱りを受けそうな気がしてなかなか気乗りができなかった。
それで「韓国に暮らして」をずっと紹介してきたが取材対象者を全部紹介した。第2弾までまた取材して取材メモをためていかないといけない。
そうした間の中でようやく料理エッセイを書いてみようという気になってきた。
「私流でいい」と思うことで気楽に書けそうな気がしてきた。
小学校5年から夕食の手伝いをしてきてもう台所に立つのは飽き飽きしている。
しかし人間の体の健康は口から入る食べ物からである。栄養剤などは補強のたろである。本来の体の健康は食べ物、しかし食べ物も外食ばかりでは体を壊してしまう。野菜が少ない。揚げ物が多い料理に体を労わるのはやはり家庭料理しかない。家庭料理になるべく野菜を多く取り続けて健康を維持していく。これしかない。
料理嫌いの私がそのために台所に立つ。我が家の質素倹約料理である。
ものごころついた子どもの頃から父親が3品は食材がないと不機嫌だった。食べる料理は魚類ばかりだったが子どもたちの栄養を考えていたのだろうか。食卓には3品以上が並んでいた。そんなことで今も3品は作ってしまう。
メインの惣菜に副食と作る。仕事が立て込んでくると仕事のないときに保存食をたくさん作っておく。これであれこれ毎日くるくる変えて出している。
それが夫はビールの肴は毎日新鮮なものがほしい。
昔はこんなにやかましくなかったのに年を取ってからやかましい。だんだん私の父親に似ている。自分でもそれがわかっているのか「だんだんお前の親父に似てきた」と言っている。
父親の惣菜で母親はものすごく苦労した。
韓国料理で食べるのは肴の煮付けとトックだけだった。
後は和食だった。ごぼうやコンニャクを炊いても日本風の味付けだった。
魚も晩年は冷凍食品は味が悪いと言って食べない。母親は父親の夕食に高い魚を買っていた。養殖でも分かるので母親は父親の惣菜に父親が亡くなるまで苦労した。娘の私も父親の食材は苦手で父親の分だけ母親が作っていた。私は他の家族の食材を作っていた。
そして結婚してきた。夫の家の食材、味付けにはすべてにんにくと唐辛子を入れた。夫は結婚した頃は私の料理が食べられなくて近くに住んでいた妹の家に食べに行っていたことを後日談としてわかった。
なんとかここの味に慣れようと韓国料理の惣菜になった。
しかし私の好きなポテトサラダにハンバーグ、コロッケなど作った。最初は食べられなかったが子どもができて子どもと食卓を囲むようになってこうした惣菜も好きになった。今、大好きなのはスパゲテイーである。
私も少しずつ韓国料理の味付けになれてきたが近年、60歳になってから食材は日本の惣菜になってきた。辛いものを食べると腹痛になりすぐ胃を悪くしてしまう。それでいつのまにか子どもの頃の食べた食材、和食を私は別に作って食べている。風変わりな家庭の食卓である。
こんな風変わりの食卓、いつも食材は何日かを買いだめして冷蔵庫を見て作っている。野菜が冷蔵庫にいっぱいに入っている。まずいたみやすいものから調理していく。簡単なうちのご飯スタイルである。
料理好きでない私が料理エッセイは何か違和感もあるかもしれないが大目に見てもらいたい。節約している我が家の料理です。
さてやはり仕事の原稿を片付けていこう。早くしないと連休がゆっくりと休めない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます