昨日の夜は時間もあったのでインターネットを検索していて私の名前を検索した。たいていはジャーナリスト・ネットの原稿がそのままの紹介がこれまで多くセットアップしていた。
それが長い間、開かなかったら私のブログの紹介が様々な形で紹介されていた。
「新あの日、あの時」は昨年の初頭から始めたが勉強不足の私はこれまで大事に保存してきた20数年間の著書から引っ張り出して紹介してきた。
それがどちらかというと右派から好まれない著書もたくさんあったので時々のバッシングのコメントに驚いて考えた末、日韓共同作業の歴史著書から引っ張り出してバッシングのコメントの少ないものに切り替えた。
それでもバッシングのコメントもある。
酷くないときはそれなりのコメントで返信したが一度「自国の歴史云々----」の講釈に私の心は傷がついた。
「自国」とは私にすれば日本生まれの日本育ち学校教育も一貫して地元の公立学校である。学校に通学している時、日本の会社でOL生活をしているとき、結婚しても日本社会の間で生きた。同胞といえば私の身内しかしらなかった。民族団体に行くことも父親に固く禁じらていたので一切足を運ばなかった。
しかし地方紙の記者たちと海外に行くときにパスポート作成で初めて韓国系の民族団体の玄関の扉を開けた。
子どもが大きくなり高校に行き始めると就職のことを考えて帰化をしようと真剣に考えていた。
韓国は親の故郷である。祖国という言葉は今は死語に近くなってきた。母国という言葉もそれに近くなってきた。昔はよく使ったが在日コリアンも5世まで誕生すると祖国というより母国というより親そしてそのまた親のルーツである。
自国の歴史という言葉は外国人差別用語にいつかは匹敵するようになるだろう。日本生まれの世代になるといつかそうなるだろう。
言葉は変えて「ルーツを探しての歴史」がいいと思う。それが「自国の歴史云々----」と言われるとこの書き込みをした人はまったく在日コリアンの歴史をしらない。そうでなかったら在日コリアン大嫌いの親から育った人なのだろうと考えることにした。
しかし昨日、インターネットを検索していると最初のころ、あれこれの著書を引っ張り出している書き込みをしているところに評価を示すブログを書く人がいた。昔の古い著書や文献からの引っ張り出しこれはまたそうした文献を考えるのに役にたつ文章だと書き込みされたブログがあった。
これには驚いた。
私の知らないところでこうした書き込みをしている人がいた。
これは重要なことかもしれないと考えてこれからまた古い著書も引っ張り出して少しずつ書き込みをしていく。そのときそのときの項目にあわせて引っ張り出してみたい。
どこかでバッシングする人がいればどこかで勇気を与えてくれる人もいた。勇気を与えてくれた人の声にこたえなければいけない。
今からでも遅くない。少しずつしていくことにしよう。私はバッシングとか本来は弱い神経です。外見からは絶対にそんなふうにみえないが----。心の小さい神経の細い私です。おてわらかに---。
また町は2008年として動き出した。
私もいつまでも正月休みをしていてはいけない。
2008年の私を動き出さないといけない。
それが長い間、開かなかったら私のブログの紹介が様々な形で紹介されていた。
「新あの日、あの時」は昨年の初頭から始めたが勉強不足の私はこれまで大事に保存してきた20数年間の著書から引っ張り出して紹介してきた。
それがどちらかというと右派から好まれない著書もたくさんあったので時々のバッシングのコメントに驚いて考えた末、日韓共同作業の歴史著書から引っ張り出してバッシングのコメントの少ないものに切り替えた。
それでもバッシングのコメントもある。
酷くないときはそれなりのコメントで返信したが一度「自国の歴史云々----」の講釈に私の心は傷がついた。
「自国」とは私にすれば日本生まれの日本育ち学校教育も一貫して地元の公立学校である。学校に通学している時、日本の会社でOL生活をしているとき、結婚しても日本社会の間で生きた。同胞といえば私の身内しかしらなかった。民族団体に行くことも父親に固く禁じらていたので一切足を運ばなかった。
しかし地方紙の記者たちと海外に行くときにパスポート作成で初めて韓国系の民族団体の玄関の扉を開けた。
子どもが大きくなり高校に行き始めると就職のことを考えて帰化をしようと真剣に考えていた。
韓国は親の故郷である。祖国という言葉は今は死語に近くなってきた。母国という言葉もそれに近くなってきた。昔はよく使ったが在日コリアンも5世まで誕生すると祖国というより母国というより親そしてそのまた親のルーツである。
自国の歴史という言葉は外国人差別用語にいつかは匹敵するようになるだろう。日本生まれの世代になるといつかそうなるだろう。
言葉は変えて「ルーツを探しての歴史」がいいと思う。それが「自国の歴史云々----」と言われるとこの書き込みをした人はまったく在日コリアンの歴史をしらない。そうでなかったら在日コリアン大嫌いの親から育った人なのだろうと考えることにした。
しかし昨日、インターネットを検索していると最初のころ、あれこれの著書を引っ張り出している書き込みをしているところに評価を示すブログを書く人がいた。昔の古い著書や文献からの引っ張り出しこれはまたそうした文献を考えるのに役にたつ文章だと書き込みされたブログがあった。
これには驚いた。
私の知らないところでこうした書き込みをしている人がいた。
これは重要なことかもしれないと考えてこれからまた古い著書も引っ張り出して少しずつ書き込みをしていく。そのときそのときの項目にあわせて引っ張り出してみたい。
どこかでバッシングする人がいればどこかで勇気を与えてくれる人もいた。勇気を与えてくれた人の声にこたえなければいけない。
今からでも遅くない。少しずつしていくことにしよう。私はバッシングとか本来は弱い神経です。外見からは絶対にそんなふうにみえないが----。心の小さい神経の細い私です。おてわらかに---。
また町は2008年として動き出した。
私もいつまでも正月休みをしていてはいけない。
2008年の私を動き出さないといけない。
今日は新年ということもあって初カキしました☆また遊びに来ます♪
楽しいといえば1/3日に遊んだけどココもよかったですよ~
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