これから支度して夫と一緒に私の親の墓参りに行かなければならない。
親戚がきているかもしれないと思いながら今日行くことにした。
またしばらく行事などが多いので休みがない。
父親の命日は4月の末である。それまでに墓参りしないといけないなあと思っていたのが今日にになった。
桜井まで出かけるのでまた田園風景の中に春を見つけるだろう。
今テレビでは1960年代始めによく上映された「大脱走」の映画をしている。夫は何回も見ているのにまた見ている。
この大脱走のテーマ音楽が好きである。
私の高校時代の同級生たちはこの映画を見ては感激した内容をよく話していた。それが当時私は洋画にあまり関心がなくて自分で見に行こうとも思わなかった。映画を見に行くのなら本を一冊買いたいぐらいだった。当時から婦人公論が好きでよく読んでいた。今は本のスタイルも変わり内容も多少変わった。今はもう買わなくなって久しい。在日韓国人の間で記者をするようになってその関連の本を多く購入するようになった。
コツコツと貯めた本は本棚と押入れ一杯になった。本と衣料で部屋が雑然としていて人が来ても座るところもなく雑然としていた。
これではあかん。
捨てる物に決断をすることになった。
そしておおかた700冊ほどの本を捨てが大事な本は約350冊ほど残した。それは今も私の資料でネットの連載に役立てている。
「大脱走」の映画が上映されていたころはまだ私は18・19歳だった。油業の会社で開けても暮れてもガソリンの伝票計算ばかり算盤でしていた。この仕事は私に向いていないと考えて普通の事務員になったがここでも算盤の計算ばかりだった。計算嫌いな私は仕事をやめて和文タイプの学校に通いだしたころだったのか。20歳になったときはすでに和文タイプの仕事をしていた。
暗い青春だった。
本当に暗かった。
それなのに亡くなった又従兄弟は彼女とデートしていた。
待ち合わせしているところを偶然にJR奈良駅で見てしまった。
バツの悪そうだったが女性の方も高校時代の同級生でよく知っていた。
今はJR奈良駅が工事中で昔の駅舎は右寄りに移動した。
昔はその駅舎は真ん中にあった。そして駅の前に赤いポストがあった。
木津から私はこの電車にのっていた。又従兄弟は上狛から乗っていた。どこでどうなったのか知らないがポストの前で偶然にあった。バツの悪そうな顔をしていたので私は声だけかけてそこを離れた。
そんなことを思い出しているので「大脱走」の映画が上映されていた時代で待ち合わせでもして映画を見にいったのだろうか。
当時この映画は「尾花劇場」でしていたのでこの劇場に見に行ったのだろうか。
2人は結婚できなかった。女性は日本人そして棚倉で由緒ある家柄の娘さんだった。中学時代からずっと付き合っていた。彼女は愛くるしいかわいい顔していた。
やがて彼女は大阪の老舗の由緒ある家に嫁いでいった。
彼女まの実家に電話をして嫁ぎ先の電話を聞いて私は1度だけ電話をした。
当時は私31歳、又従兄弟も31歳だった。31歳で又従兄弟は胃がんで亡くなった。東京で在日韓国人と結婚して東京の水が会わなかったのか。胃がんでなくなった。ショックだった。又従兄弟とは高校時代の同級生と一緒に青春を駆け抜けてきた仲間だった。
ショックだった。また私は若かったからできのだろう。
嫁ぎ先に1度だけ電話をした。
「亡くなったよ」と知らせた。
そして彼女は彼との青春の思い出を少し話してくれた。
しかし私もそうだったが彼女も子育てに奔走していた。
今、彼女はどうしているだろうか。大阪に住んでいるのでどこかで行き違っているかもしれない。
こんな青春がふんわりと思い出す「大脱走」の映画である。
2人が待ち合わせしたJR奈良駅はずいぶんと変わって来た。
そして山城町と木津町と加茂町が合併して木津川市になった。
この3月12日に木津川市になった。
私たちの青春はだんだんと遠くなっていく。
こんな1コマを思い出した。
親戚がきているかもしれないと思いながら今日行くことにした。
またしばらく行事などが多いので休みがない。
父親の命日は4月の末である。それまでに墓参りしないといけないなあと思っていたのが今日にになった。
桜井まで出かけるのでまた田園風景の中に春を見つけるだろう。
今テレビでは1960年代始めによく上映された「大脱走」の映画をしている。夫は何回も見ているのにまた見ている。
この大脱走のテーマ音楽が好きである。
私の高校時代の同級生たちはこの映画を見ては感激した内容をよく話していた。それが当時私は洋画にあまり関心がなくて自分で見に行こうとも思わなかった。映画を見に行くのなら本を一冊買いたいぐらいだった。当時から婦人公論が好きでよく読んでいた。今は本のスタイルも変わり内容も多少変わった。今はもう買わなくなって久しい。在日韓国人の間で記者をするようになってその関連の本を多く購入するようになった。
コツコツと貯めた本は本棚と押入れ一杯になった。本と衣料で部屋が雑然としていて人が来ても座るところもなく雑然としていた。
これではあかん。
捨てる物に決断をすることになった。
そしておおかた700冊ほどの本を捨てが大事な本は約350冊ほど残した。それは今も私の資料でネットの連載に役立てている。
「大脱走」の映画が上映されていたころはまだ私は18・19歳だった。油業の会社で開けても暮れてもガソリンの伝票計算ばかり算盤でしていた。この仕事は私に向いていないと考えて普通の事務員になったがここでも算盤の計算ばかりだった。計算嫌いな私は仕事をやめて和文タイプの学校に通いだしたころだったのか。20歳になったときはすでに和文タイプの仕事をしていた。
暗い青春だった。
本当に暗かった。
それなのに亡くなった又従兄弟は彼女とデートしていた。
待ち合わせしているところを偶然にJR奈良駅で見てしまった。
バツの悪そうだったが女性の方も高校時代の同級生でよく知っていた。
今はJR奈良駅が工事中で昔の駅舎は右寄りに移動した。
昔はその駅舎は真ん中にあった。そして駅の前に赤いポストがあった。
木津から私はこの電車にのっていた。又従兄弟は上狛から乗っていた。どこでどうなったのか知らないがポストの前で偶然にあった。バツの悪そうな顔をしていたので私は声だけかけてそこを離れた。
そんなことを思い出しているので「大脱走」の映画が上映されていた時代で待ち合わせでもして映画を見にいったのだろうか。
当時この映画は「尾花劇場」でしていたのでこの劇場に見に行ったのだろうか。
2人は結婚できなかった。女性は日本人そして棚倉で由緒ある家柄の娘さんだった。中学時代からずっと付き合っていた。彼女は愛くるしいかわいい顔していた。
やがて彼女は大阪の老舗の由緒ある家に嫁いでいった。
彼女まの実家に電話をして嫁ぎ先の電話を聞いて私は1度だけ電話をした。
当時は私31歳、又従兄弟も31歳だった。31歳で又従兄弟は胃がんで亡くなった。東京で在日韓国人と結婚して東京の水が会わなかったのか。胃がんでなくなった。ショックだった。又従兄弟とは高校時代の同級生と一緒に青春を駆け抜けてきた仲間だった。
ショックだった。また私は若かったからできのだろう。
嫁ぎ先に1度だけ電話をした。
「亡くなったよ」と知らせた。
そして彼女は彼との青春の思い出を少し話してくれた。
しかし私もそうだったが彼女も子育てに奔走していた。
今、彼女はどうしているだろうか。大阪に住んでいるのでどこかで行き違っているかもしれない。
こんな青春がふんわりと思い出す「大脱走」の映画である。
2人が待ち合わせしたJR奈良駅はずいぶんと変わって来た。
そして山城町と木津町と加茂町が合併して木津川市になった。
この3月12日に木津川市になった。
私たちの青春はだんだんと遠くなっていく。
こんな1コマを思い出した。
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