鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

7月4日、土曜日、晴れている。

2009-07-04 08:45:43 | 直言!
予想もしなかった雨がふった。それもどしゃぶりとまでいかなくても大降りの雨、講演会場からでてくると雨が降っている。
時間もなかったがこの雨では地下鉄の駅まで歩けない。
タクシーに乗って上本町まで出かけている。
昨日は3つの現場だった。
午後2時から民団大阪本部会館で支団長会議、重要な案件があったので4時前までかかった。
4時丁度から今度は「時局講演会」、韓国の朝鮮日報記者の姜哲煥さんの講演会、来日しての講演会。
話は上手で要点だけを1時間の時間内、しかも通訳を介しての話である。
北朝鮮から脱北した人である。私は2度、脱北者の証言の現場でお会いしている。今回は民団大阪本部の主催で行われた。帰国者2世の証言である。
祖父母・両親は京都市内の出身である。
パチンコ業種で財をなして北朝鮮に多額の寄金をして北朝鮮に忠誠を誓ったのにもかかわらず収容所に連れて行かれてそこで見た悲惨な光景、人間とは思えない生活があった。多くの帰国者とこの収容所で会ったことも話された。
詳細の内容はまたいずれジャーナリスト・ネットのホームページで紹介されます。またそちらのページを楽しみにして下さい。
講演の後、30分は質問時間、ある男性が質問した。
10年の政権で1990年代後半に大統領になった人に対してどう思っているのかについての質問だった。
なるほど意図をついていた。質問も回答も意図をついていた。
その人は大統領候補のとき30人の脱北者が呼ばれた。
そのときに姜哲煥さんは大統領候補に「北朝鮮の人権問題を提議して下さい」と要請すると「もちろんします」と応えられた。
しかし彼は大統領をしている間、一言も北朝鮮に対しての人権問題を言葉にしなかった。
ノーベル平和賞の受賞も人権問題に寄与したから受賞したということです。しかし何もそんなことはしていない。食糧支援、しかも犬や猫に餌をやるように米を支援したがその米も人民に渡っていない。すべて人民軍にわたっていると話した。平壌の指導者、利己的、韓国語で「スレギ」と言った。日本語に直訳するとゴミというが「人間のクズ」という意味である。
「本当は戦争が怖いから核開発をして威嚇している」とも。
なるほど。
なるほどやはり話しに信憑性があった。
しかし裏を取らないとこれも信憑性がわからないという声を聞いた。
次の現場に言ってこの言葉を記者仲間に話すと「裏を取るのにもとることができない。北朝鮮が相手ではできない」と言った。
姜哲煥さんの講演会が今日も大阪府社会福祉会館5階第5会議室で午後3時から6時まで行われる。主催は北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会である。
アクセスは地下鉄谷町線・長堀鶴見緑地線「谷町6丁目」駅下車、4番出口、谷町筋を南に200メートル。
ホームページはhttp://www.fine-osaka.jp/syakaifukusi/(大阪府福祉会館)

そして脱北して「総連は私と私の家族を地獄に突き落とした責任をとれ」を演題にして北朝鮮での証言を話したのは高政美さん。帰国者2世で日本に在住、日本語で顔を涙でくしゃくしゃにしながら親のこと、兄のことをも言った。
印象に残っている言葉、帰国船に乗って北朝鮮の清津の港についた。
船からもうみすぼらしい貧しい国と分かり騙されたと気が付いた。
兄は「船から降りたくない。日本に帰りたい」と言い張ったのでどこかに連れて行かれた。政美さんが3歳のときである。
5年後に兄とやっと収容所で再会したときは人間の姿ではなかった。
そしてこの現実に父親は帰国運動に反対した民団、なぜこの運動に気がつかなかったことを強く反省し帰国推進したことも強く反省した。そして民団に感謝して亡くなったと言う。「今ここで私は父親の代わりにお詫びをして民団に感謝しています」と涙をこぼしながら話した。講演を聞いている会場の人たちもハンカチを目にあてていた。涙なしでは聞かれない壮絶な話だった。
今日、大阪福祉会館で高政美さんも証言される。

時局講演会は6時まで5回ホールで開かれ200人の人たちが集まった。
このあと2階ホールで茶話会が行われた。
それが私はここに参加できなかった。
上本町でまた3つ目の現場があった。
上本町の会場までタクシー、5時40分過ぎにタクシーを乗っている。
上本町の会場に着いたのが6時5分、そしたら開会式は6時半からだった。
主催者の6時、6時と聞いて駆けつけたのに。仕方がない。
開会式が終わると懇親会。記者仲間も皆早く帰りたい。記者仲間も2つ3つのかけもちの現場だった。
開会式が終わって皆すぐに会場を出た。
家での食事が1番の御馳走。精神的に楽である。
奈良行特急は7時43分、待っていられない。快速急行に飛び乗った。
やっぱり座れない。
そして鶴橋についたときに後ろを見ると1人分ほど空いている。
端は若い女性が居眠りをしているふり、次ぎも。私は40代半ばの女性に「詰めて下さい」と言った。それでも起きようとしないので体をゆすって言った。
隣の男性は席を詰めてくれている。やっと40歳半ばの女性が起きたので詰めて下さいというと詰めた。私は座った。端の女性がもう少し詰めればゆったり座れるのに詰めようともしない。40歳半ばの女性が立った。
私は「座って下さい」というと「そんなのでは座れません」と言ってむくれている。そして隣の高齢者の男性にも「すみません」と言ったら「そんなのいいですよ」とこころよく応えてくれる。
端に座っていた若い女性と40歳半ばの女性は生駒で降りた。
どうやら親子のようだ。
そして学園前で座席の布が見え出した。
なんと私が詰めて下さいといったところは優先座席だった
優先座席でも寝たふりしている親子、道理で隣の高齢者の男性が「いいの。いいの」と言って下さった意味がやっとわかった。
高齢者の男性の連れは学園前、高齢者の男性は西大寺で降りられた。
降りる時「気をつけて帰って下さい」と声をかけて下さったので「ありがとうございます。気をつけて帰って下さい」と私も声をかけた。
寝た振りしている。私はあつかましいので詰めて下さいと声をかけた。
声をかけないと詰めようとしない40歳半ばの女性と若い娘さん。誰もがしんどい。しかし60歳をすぎると40歳半ばと違ってまた違うしんどさがあるということを知ってもらいたい。
奈良に着くと7時40分、市内循環バスを少し待って家に帰ると8時、もうクタクタだった。
シャワーを浴びて夕食をして台所片付けて寝るときはもう11時になっていた。
今日も大阪の現場、夕方になるので9時にパソコンを閉めてお米を研いで炊飯器にかけて外出の支度をしないといけない。

昨日、また銀杏やさんの花が変わっていた。
夏なので花も日持ちがしないという。


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