鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

3月19日(土)時間は8時前です。

2011-03-19 08:45:51 | 直言!
昨夏、8月に取材をした高齢の金容海さん。金容海さんがこれまでの活動などを盛り込んだ書籍が出版されその出版記念会がある。
昨夏、取材した時もかなり体調を崩しておられた。
しかし編集局の要請で金容海さんの活動を取材してほしいという。突然だったが私の取材に対応して下さった。
場所は鶴橋駅の中にある喫茶店の個室で2時間ばかりのインタビューになった。
メモを取った。大学ノート1冊に取った。
その後、教え子たちの民族講師2人をインタビユーした。1人は体調を壊されてメールで文書取材になった。
金容海さんは1世、もう年齢は82か83歳である。
済州道から大阪にやってこられた。
日本植民地支配を受けるまで子ども時代も日本で言う寺子屋、つまりソダン(書堂)で漢文を勉強、千文字を教えられる数少ない在日韓国人だった。
後、2科目を習えば全部修了する漢文の勉強だった。
しかし日本植民地統治に入って書堂もつぶされていった。
この話も私は金容海さんが千文字教室で話されたことで知った。
戦前、戦中、日本でどうして生きてこられたのかその辺の事情は聞いていないので分からない。
戦後、自国の言葉や文化を取り戻す運動をされて大阪で民族学校開設に奔走されたが民族学校閉鎖令で民族学校の教師はやめたが今度は大阪市生野区を中心にして日本公立学校に民族学級を設置する運動をされた。
田端義夫も少し通ったという大阪市立北鶴橋小学校に民族学級を最初に設置して他の同胞と一緒に府内で11学校に設置した。
そして北鶴橋小学校で長い間、在日コリアンの子どもたちに自国の言葉や歴史を教えていた。定年退職をする時は民族講師が定年退職でやめていった民族学級の何校かが閉鎖状態になっていた。
金容海さんは定年退職後、民団大阪本部文教部に勤務して大阪府・大阪市教員委員会に日参して「本名を名乗る教育・本名を呼ぶ教育」として民族学級の復活と民族講師設置に奔走した。民団大阪本部の職員として交渉をしなければならないことは長い人生を通しての体験からの勤務だった。
民団大阪本部を武器にして交渉を続け、民族学級は11校を元に戻して民族講師、若い人材を設置した。そして大阪市内の民族学級設置は民間で活躍する在日韓国人の活動団体と一緒になって大阪市内日本公立学校に民族学級を100校越える設置にした。
民族講師の報酬にしても交渉、交渉を重ねて11校は大阪府から報酬が取れるようにある程度のところ生活がきちんとできるように交渉を成功させた。
他の民族講師、招聘事業としての民族講師の待遇も国際理解教育の一環までにした。まだまだ問題はあるものの民族学級の基礎を作った。

このことを昨年の夏に記事にした。
取材したメモはパソコン入力をして取材した教え子の民族講師や大阪市立学校の在日韓国人の教師にパソコンで送信した。
これが少しでもお役に立っていればうれしい。

この取材でゲラの確認作業となった
取材が終わった時に金容海さんは韓国に行くから長いこと日本にいないと私に言われた。私は素直にそうだと思っていた。
またゲラをFAXで送ると奥さんが対応して下さった。
てっきり韓国におられると思っていた。
そして何日か過ぎてまたゲラの確認に金容海さんから直接、公衆電話から電話があった。病院に入院しておられたということがこのときにわかった。
そんなことで-----。
今日、お元気な顔を見られることを楽しみにしている。
金容海さんが民族学級を通して自国の誇りを持たせるように教育をした人が、現在、民団大阪本部で幹部職についておられる。もともとは会社勤めをしておられたが金容海さんの民族学級の処遇に大阪府・市教育委員会と交渉することでサポーターとして金容海さんに引き込まれた。そして後継者として会社を退職して民団大阪本部の勤務になった。様々な苦労を乗り越えて交渉してこられた。
子どもたちには自分が味わった自国民を卑下することはさせてはいけない。
それは民族教育しかないとずっと奔走して金容海さんをサポートして活動してこられた。
その活動の1つが民族学級で学ぶ子どもたちのハングルカルタ大会の開催とハングルカルタの作成だった。1年に1回行われる「ウリマル(母語)カルタ大会」は今年で5回を数えたが毎年、盛況になっていく。子どもたちはもっとハングルを覚えたいということで言葉数を増やしてほしいという。
子どもたちは遊びながら競争して学ぶことにはものすごく熱がはいる。
金容海さんも高齢になってきて退職された後、しっかり引き継いで処遇改善をしてこられた。また後の人材も入れて後継者はしっかり民団大阪本部で活動している。
彼らたちが地道に交渉してきたものが「本名を名乗り本名を呼ぶ」という活動になり大阪府の公立学校に在日コリアンが教師に採用されて教壇に立っている。
採用された3分の2は本名で教壇に立っているがまだ通名で立つ在日コリアンの教師がいる。大阪府教育委員会に向かって「本名を名乗って教壇にたつから子どもたちは在日コリアンの自覚につながり日本人の子どもには違うことは当たり前」ということを指導する指針と言って交渉で迫っている。
真摯な金容海さんの交渉している姿が目に浮かんでくる。

そんなことを今朝、思ったので書いてみた。

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