鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日も急遽の現場が入った。中崎町に4時前に入らなければならない。

2006-12-01 08:59:29 | 直言!
そこから引き算である。乗り物の時間が1時間半。喫茶店でコーヒーを飲んで新聞を1紙読む時間1時間、身支度1時間、夕方の食事を少し作って出ないといけないので12時前には外出の準備をしなければならない。
計算の苦手な私でもこれぐらいの計算をして外出の準備をする。
これができない若い女性に日本社会の世の中の乱れを察している。
仕事でもそうである。
「段度のが『8』で仕事は『2』」である。
この言葉は雑誌記者時代、上司がよく私に言っていた。
雑誌編集の「段取り」はまず編集会議でページ建てをする。何ページにしてどのページに何を入れていくのか。何を企画していくのか。広告はどこに載せて企画広告は何にするのか。毎月決まったベージの確認をしてページ建てができれば取材対象者に取材交渉を入れる。企画取材は営業関係が奔走する。あるていのページ建てにそってくるまでが「段取り」である。
私も「段取り」があった。いつものページ建ての組み込まれたものだったがタイトルが変わる原稿寄稿のページがあった。会議でOKになればGOサイン、奈良県内の著名人に原稿寄稿の文書を送る。20数人送って少ないときもあれば多いときもある。寄稿が少ないときは「カット」で埋めて多くなると「広告」を移動することもあった。「広告」を担当する営業の人は大変だった。原稿寄稿の以来の文書を送った後に電話をしてお願いの要請をする。こんな仕事5年間した。ページの始めの巻頭絵も私の担当で奈良県文化会館などの展示会に顔を出してはアマチュヤ画家の発掘もよくした。行事案内も県内の施設に訪問して行事予定を貰ってきた。そして小さな記事も拾って書かなければならない。
定期原稿を寄稿してもらっている人たちに電話の催促をするのも私の仕事だった。締め切りまできちんと送って下さる先生もいれば何度催促しても「分かりました」「わかりました」というが原稿出稿に間に合わないときは「これから取りにいきます」と言ってバスに乗ったこともあった。
新春の雑誌になると県内の行政、行政のリーダーに年賀原稿を要請するのも私の仕事だった。これも「段取り」を十分にしなければならなかった。
こんな「段取り」を進めておくと上司は「段度りが済んだらもう仕事はできたようなものだ」と私によく言っていた。

電車の中で化粧している若い女性を見ると「段取り」ができないことは仕事もできないのではないのかと私は解釈をしてしまう。
日常の生活でも「段取り」しないと物事がパニックになってしまう。あるていど頭の中で計算して物事をしている。

JR大阪の環状線の中でもどうどうと化粧している人がいる。
もうまわりは見慣れているから誰もみないで知らん顔している。
ときおり年輩の女性が怪訝な顔で見ている。
先日もそうだった。芦原橋からのったらドアを挟んで斜め向こうの向かい側で念入りにフアンデーションを塗って粉白粉をつけて頬紅まで入れて今度は目元のアイシャドウを2色丹念に入れた。このあとまだ時間があるのかまつげをビューラーであげてマスカラでまた念入りにつけていた。
私が降りる鶴橋では終わっていた。
私は鶴橋で降りるのに彼女の前を通って前のドアのほうに行った。
通るときに思わず彼女に向って小さい声で言った。
「電車の中で化粧はやめとき。ぶさいくな」と言った。
思わず「ぶさいくな」と言ってしまった。
そんなに美人ではないがぶさいくというほどではなかった。「みっともない」という言葉がとっさにでてこなくて「ぶさいくな」と言っていた。
彼女は降りるときさりげなく見ると下を向いていた。
もし「ぶさいくな」と言われて気にしているようだったら化粧はやめるだろう。人生、プラスという足し算ばかりではない。時には引き算をして物事をすすめるというのがあるといつかはわかるだろう。
「段取り」することは「引き算」かもしれない。しかし「引き算」をプラスにしていくのは努力しかない。自分を生きるための「引き算」で「足し算」である。

「足し算」ばかり求めてひたすら日本社会はつっばしてきた。「引き算」をすることは人生で悪い事をするように「足し算」して「掛け算」してきた。
「割り算」と言う分かち合いの心がどこかに吹っ飛んでしまった。
私が雑誌記者をしていたのは1982年から5年間、まだ「足し算」も「引き算」も「割り算」もあった。だから上司は「足し算」にするのには「段取り」をする「引き算」を教えてくれた。まだ現場で名刺交換をして情報収集は「割り算」、分かち合い、触れ合って「掛け算」にする生き方を教えてくれた。
専業主婦から雑誌記者になって仕事の中で「段取り」の重要さを知ることになった。「引き算」の大切さをよく知ることになった。
専業主婦のころもそれなりに「段取り」をして主婦をこなしていた。
それでもたまに何もしないですむこともあったが仕事はそうではなかった。
仕事は手抜きができなかった。

こうしてこんなご時世になって小泉前首相が行なった選挙での「刺客」、いきあたりばったりそのとき自分さえよければいいという我儘が横行した結果である。
「段取り」として「引き算」はできたけれど「分かち合う」という「割り算」を忘れて「掛け算」ばかりに走った。
そしてまた次の参議院議員選挙に向って「段取り」が始まった。「足し算」だけでなく「掛け算」まで考量に入れた。
しかしである。「引き算」の知らない世代が増えているものの「割り算」と「引き算」をして「足し算」を「掛け算」にしてきた世代もたくさんいる。このご時世を冷ややかに冷めた目で見ている。
「段取り」が欠如した「割り算」、「分かち合い」のなかった小泉前首相の政策はますます山から転げ落ちるように最悪の「引き算」になっている。
「引き算」の計算の仕方が間違った。
案外計算のできない首相だったのだろうか。
また政治の駆け引きが始まっている。「引き算」も「足し算」も政治の駆け引きになってきた。おもむろに法案を通していこうとするがそこには「分かち合い」のない「掛け算」ばかりがまかり通っている。

こうして計算違いが世の中に横行して電車の中はなんでもありになった。
日本社会の縮図を垣間みる電車の中である。
とういことで私は女友達のようにあんなに早く「暗算」ができない。
「暗算」には訓練が必要だ。リーダーは「とらぬ狸の皮算用」をねらって「暗算」をしているのかもしれない。こういところの「暗算」はどんな訓練なのだろうか。日夜、どこかに集まって狸し狐の話し合いが盛んに行なわれているかもしれない。
「選挙権」のある日本国民、「世間胸算用」をじっくり監察して次の参議院議員選挙には逃避要してもらいたい。
「選挙権」のない私は日本国民にお願いするしかない。
これも「段取り」の「引き算」になるのだろうか。
ところで私は「暗算」も苦手である。
「暗算」を得意になるのに何が必要なのか今もまた私は考えている。
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