月曜日連載、あとは読み返すだけの作業になった。
このごろ行政機関に行くことが多い。
在日コリアンはまだまだ法的な問題が山積みしている。
それでも日本の政治は日本の土俵の中で総理の椅子で切磋琢磨している。
誰がなっても同じ。在日コリアンの山積する人権問題など誰も真剣に討議する人はいない。
たとえば麻生幹事長になればタカ派で在日コリアンのことはまったく考えていない。その祖父、吉田茂首相が在日朝鮮人を北(北朝鮮)に帰すことで日本の口減らしをしたのだ。このことは在日コリアンの一部にも責任が問われるだろう。
父親が生前よく言っていた。
「吉田茂は日本の国を復興させたがそのために在日朝鮮人を口減らしのために北朝鮮に帰した」と子どもの私にも話していた。
韓国に脱北している中には日本から帰国した在日朝鮮人も多くいる。
日本にも100人程度が戻ってきてひっそりと暮らしている。
その人たちの支援をしているのが在日韓国人の任意団体で日本人の支援者らである。
この人たちに北朝鮮の実情を知らせようと冊子季刊誌を発行している人がいる。大阪にその事務所がある
現場で取材しながら聞く話だが私にはとてもできない取材の仕事である。
中朝国境で北朝鮮在住の人からメモなど資料を貰うのが日本人の役割。そしてそのメモを北朝鮮の言葉で翻訳をするのが韓国に脱北してきた人たちである。
危険と隣りあわせでしている現場、私にはとてもできない。
この冊子を見ると北朝鮮に帰国した人が韓国に脱北した人が大勢いることもわかる。こんな現実、麻生幹事長は知っているだろうか。
漫画が大好きな麻生幹事長。これも漫画で冊子にすれば麻生幹事長の目にとまるかもしれない。
日本人は日本植民地時代の歴史、はるか遠くかなたのものと思っているだろう。
しかし在日コリアンの法的問題が解決されずにある。問題が解決してこそ日本植民地時代の汚点は消えるだろう。
しかし1世の心に宿した土地を強奪され日本に渡らなければならなかったその心情は2世にも引継がれている。
先日、実家の弟に聞いた。
土地を朝鮮総督府に奪われた。手元に1町が残ったという。これでは農業をして本家・分家の生活が成立たないと考えた祖父、そして小作料の高さなどなど生活ができない現実に韓国全土をまわって仕事をしていたがより高い賃金の話に日本に来た。日本に来ていなかったら今頃、韓国で暮らしていただろう。
韓国動乱という戦争に被害がなかったら父親は生前言っていた。
おそらく公務員になっていただろう。
そんな家だったが日本植民地時代に土地を略奪された歴史の汚点、日本の汚点は子々孫々まで語り次がれている。
ルーツを持った人も日本人になりきるとこうした歴史から記憶は遠くなるだろう。しかしこんなことがあったということは覚えてもらいたい。
夕食の準備だ。
空は暗雲。大雨になりそうだ。
このごろ行政機関に行くことが多い。
在日コリアンはまだまだ法的な問題が山積みしている。
それでも日本の政治は日本の土俵の中で総理の椅子で切磋琢磨している。
誰がなっても同じ。在日コリアンの山積する人権問題など誰も真剣に討議する人はいない。
たとえば麻生幹事長になればタカ派で在日コリアンのことはまったく考えていない。その祖父、吉田茂首相が在日朝鮮人を北(北朝鮮)に帰すことで日本の口減らしをしたのだ。このことは在日コリアンの一部にも責任が問われるだろう。
父親が生前よく言っていた。
「吉田茂は日本の国を復興させたがそのために在日朝鮮人を口減らしのために北朝鮮に帰した」と子どもの私にも話していた。
韓国に脱北している中には日本から帰国した在日朝鮮人も多くいる。
日本にも100人程度が戻ってきてひっそりと暮らしている。
その人たちの支援をしているのが在日韓国人の任意団体で日本人の支援者らである。
この人たちに北朝鮮の実情を知らせようと冊子季刊誌を発行している人がいる。大阪にその事務所がある
現場で取材しながら聞く話だが私にはとてもできない取材の仕事である。
中朝国境で北朝鮮在住の人からメモなど資料を貰うのが日本人の役割。そしてそのメモを北朝鮮の言葉で翻訳をするのが韓国に脱北してきた人たちである。
危険と隣りあわせでしている現場、私にはとてもできない。
この冊子を見ると北朝鮮に帰国した人が韓国に脱北した人が大勢いることもわかる。こんな現実、麻生幹事長は知っているだろうか。
漫画が大好きな麻生幹事長。これも漫画で冊子にすれば麻生幹事長の目にとまるかもしれない。
日本人は日本植民地時代の歴史、はるか遠くかなたのものと思っているだろう。
しかし在日コリアンの法的問題が解決されずにある。問題が解決してこそ日本植民地時代の汚点は消えるだろう。
しかし1世の心に宿した土地を強奪され日本に渡らなければならなかったその心情は2世にも引継がれている。
先日、実家の弟に聞いた。
土地を朝鮮総督府に奪われた。手元に1町が残ったという。これでは農業をして本家・分家の生活が成立たないと考えた祖父、そして小作料の高さなどなど生活ができない現実に韓国全土をまわって仕事をしていたがより高い賃金の話に日本に来た。日本に来ていなかったら今頃、韓国で暮らしていただろう。
韓国動乱という戦争に被害がなかったら父親は生前言っていた。
おそらく公務員になっていただろう。
そんな家だったが日本植民地時代に土地を略奪された歴史の汚点、日本の汚点は子々孫々まで語り次がれている。
ルーツを持った人も日本人になりきるとこうした歴史から記憶は遠くなるだろう。しかしこんなことがあったということは覚えてもらいたい。
夕食の準備だ。
空は暗雲。大雨になりそうだ。
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