鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

昨日は阪神が負けた。

2008-05-02 09:34:12 | 直言!
朝からスポーツキャスターがいう。苦手の投手だったから昨日は阪神がヤクルトに負けたという。そして言葉は続く。まだ連休が明けていない。4月が終わったばかりだ。阪神は夏になると上ってくるようなことを言っていた。
この言葉、昨年も言っていた。一昨年もそうだった。
それがどうだった。
負けた。中日が追い上げてきて負けた。そんな油断をするような言葉をいったら阪神はすぐに落ち込んでいく。
まあいいか。というのは関西風土の気質なのか。
一昨日、新井選手がホームランを打って嬉しがらせて喜んでいるときヤクルトはこれでもかと強い投手をもってきて油断している阪神の心の隙をついた。
ヤクルト、やるじゃないですか。

朝からしょうもないことで夫と喧嘩した。
息子から電話がないと寂しい。しかし昨日所用で夫に息子が電話があった。
だけど私はまだまだ心が開かない。
私はたいてい楽天家で物忘れが激しいので嫌なことでもすぐ忘れてしまう。
けれど今回はどういうわけか意固地になって心を閉じてしまった。息子はまだ親子だからどんなに腹がたつことがあってもつい大目にみてしまう。
しかし結婚するとそうはいかないこともある。
言いたいことが山ほどあるが黙っている。黙っていることが積み重なるとだんだんエスカーレートしている。
話せば理解しあえることだが息子がかわいそうで真ん中に挟まれてまた大変だろうと思って黙っている。もうそろそろと思うときもあるがやはり考えると心はまだ棘が刺さったままである。
沖縄にいる息子のことが気になりながらも普段の生活をしていると夫の携帯に息子から電話が入った。
内容によって夫に電話をするのが当然だが----。
なぜ私にも電話をしないのかとふと思ってしまう。
母親が気分を害していることをわかっているならどうしてそのことをきちんと教えることができないのか----心ない息子に腹を立てている。
あたるところがないので夫に文句を言っている。

在日韓国人の家庭で私だけが本名を名のりまた連れ合いは在日コリアンの歴史をきちんと認識できていないので何が在日コリアンをもって堂々と話しをできる度量はない。日本式の名前を名乗って適当に日本社会を生きてきた在日コリアンのほとんどの意識と同じである。だから私がいくらルーツを大切にして生きていくように息子に言い聞かせても一方がいい加減にしているのでいいかげんの方が楽なので適当にいいかげんに日本社会で生きている。
日本国籍をとっても体はいつか自分のアイデンテイテイを証明してくれる。
自分がそうなるまえに次世代にきちんとルーツの歴史を説いていく親にならないといけない。
こんなことを考えていると夫をみていても韓国語で「タッタビナダ(はがゆい)」といいたい。が、これを私が息子に言ってしまうと家庭騒動になるので私は黙っている。私が我慢すれば家庭は安泰であるとわかっているので黙っている。
それが自分に流れている血はそう変えられない。
どんなに日本人になろうとしてもなれない。
私がそれを体験した。
あれだけ民族が嫌いで逃げていた。父親が双方の民族団体に行くことは禁じていたのでそれをいいことに日本国籍をとろうと準備をした。法務局にも何度も日本国籍の取り方を教えてもらうために足を運んだ。
しかしそのときに思いもかけずに誘いがあって雑誌記者になった。最初は仕事を覚えるのに必死でしばらく日本国籍のことは忘れていたのにある日、突然「日本人のふりをして日本の記事をかくのは嫌だ」と悩みだした。このままここにいて奈良県の中で雑誌記者をしていればいい。それとも地方紙の記者になってもいいとおもっていたのに「日本人のふりをして日本の記事は書きたくない」という葛藤を1年間続いた。その答えを出すために思い出したのが父親の言葉だった。
「使わなくてもいい。韓国語は覚えておいたほうがよい」
あれほど民族団体にいくのを私自身も拒否していたのに世間は1988年のソウルオリンピックでわいている。なにか自分が取り残されたように井戸の中にどぼんとつかったままのようである。自分の答えを見つけるのにはソウルオリンピックの開幕前の1987年、息子が大学を入学した年の4月、後ろから背中を押されるように民団奈良県本部の語学教室の扉を叩いていた。親はまだ通名つかっていたのに息子は本名で大学に入学した。
こんなへんてこりんな家庭環境だったがそれぞれに思うことを考えていた。
韓国語を習ってハングルの間から自分の証が見えてきた。ようやく父親が言った意味がわかってきた。韓国語を使わなくても自分を確認するのに言葉だった。
そしてここで出会った韓国語教師、在日韓国人が日本の雑誌記者をしていることに驚かれた。そして私の周辺を見ていると日本婦人たちが慶州からの手紙を翻訳してもらいにいく。奈良県でだんだん知名度がでてきた在日韓国人の私にいてもたってもいられない嫉妬心もあおり悪口になっていた。
韓国語教師は私には何を言ったのかいっさい話さなかったがある日、韓国語教師は「韓国人差別があるでしょう」と私に聞いた。私はあることはいっぱいあった。目に見えないことが多くあった。それをどうして言葉にすればいいのか私はわからない。まして教師は日本語がまだ不十分だった。説明するのが面倒で私は「ない」と言ったきり黙った。
教師は敏感だった。その人の持っているところを引き出すが教師の仕事、そのへんはお見通しだった。それから在日韓国人の新聞社の知り合いに電話をして奈良に来てもらって私を紹介した。
その人の顔を見るなり夫は「あいつにだまされるからその会社にいったらあかん。今のままの職場にいたほうがいい」と何度も言った。
それがいつのまにか話しは決まっていて体がそちらに運んだ。背中から押されているようだった。自分の意思で動いていないようだった。

在日コリアンの世界は何もしらないで在日韓国人の新聞社の記者になった。
いろいろ失敗もしたし若いという私は失礼なこともたくさんしてきた。
あれほど民族から逃げていたのにいつのまにか居心地のいいやりがいのある職場になっていた。
そして気がついた。どんなに民族から逃げていても遅かれ早かれ、体内に潜んでいる民族が噴出してくることを知った。誰にもこれはぶつかることだと知った。日本国籍を取って周囲にルーツを隠して日本人のふりをしていても必ず体内にある民族の血に遭遇してまた民族と葛藤する。必ずこれは体験していく。
これは宿命である。これをどう自分で解決して乗り越えていくのか。自分自身の戦いになる。そのためには普段から自分のことを知っていく努力をしていかなければならない。子どもに教える時にはきちんと教えられるものを身につけてもらいたい。子ども自身が迷わないために親として絶対不可欠である。
と、私自身の体験から確信をもっていえる。
そうと言って日本人は「だったら韓国に帰ったら」という。
しかしそれとこれとは違う問題である。
2世の第1言語は日本語で育っている。日本の学校教育を受けている。日本語で日本の文化で思考している。韓国に行って通じるものではない。日本で定住していく在日コリアンである。
そんなに簡単に「韓国に帰ったら」というのはいかに在日コリアンの歴史認識の希薄さを証明している。
帰化同胞も帰化したときはそれでいいと思っているが年月がたつとまた違う葛藤が始まっている。どこにいてもどこで暮らしてもありのままに生きていくことがいかに大切か。そんなことを長い人生の中で体験した。
そして天国に行っても先人たちは次世代を必ず見ている、見守っている。
私の心と裏腹に韓国語教室に運んだのは祖父母だったと思っている。
本家の第1子女子でも帰化するのにしのびない。止めないといけない。そんな祖父母の気持だったと今はそう思っている。
在日コリアンの現場で取材をしている。子どもたちが民族衣装に身をつつんで韓国の歌を歌っていると涙が出てくる。この子たちにこれからの長い人生、本名で気持ちよく生きられる日本社会になってほしいと願いこの子たち強くたくましく日本社会でアイデンテイテイを堂々と出して生きてほしいと願わずにいられない。そんな子どもたちの純粋さに涙がでてくる。
そう思うと私は息子の教育を失敗したのかと悔やんでしまう。
息子にも父親が私に教えたように「在日韓国人は日本の歴史がつくったものだから堂々と生きていけば良い」と話して祖父母、父母が渡ってきた渡日史を話した。就職する時も本名だったが結婚と言う壁は厚かった。
在日韓国人女性も紹介したのに結局日本人女性と結婚した。ここからまた私の苦悩が始まっていた。黙るしかないと思って黙っている。
在日韓国人の女性と結婚していればもっと友だちのような親子になれたと思っている。年を重ねてくると在日韓国人の若い女性が何人か私にメールをくれたり手紙をくれたりする。こんなにときにふとそう思う。
民族が違うということは習慣も文化も違う。気質も違う。ということを知ってもらいたいと願わずにおられない。

いろいろ言いたいことがある。
今日は日本公立小学校の民族学級の開講式である。また私が子どもたちの純粋な心に涙がでてしまうだろう。こんなときに自分を学ぶ教育の大切さをひしひしと感じている。奈良には残念ながらまだこうした教育の取り組みをしていない。奈良県は日本国籍に変えていく人が増えている。
これはいいのか悪いのか私は返答ができない。

そして思う。第1言語を日本で育った北朝鮮の帰国者、日本に戻りたいだろうな。そんなことを思う。私が韓国にいっても1週間もすると日本に戻りたい。日本に戻ってお茶漬を食べたいと思うのである。
韓国と日本、似ているようで似ていない。独自の文化を持っている。
在日韓国人と韓国人も似ているようで似ていない。独自の生活を構築してきた。
だから韓国と日本と在日韓国人が一緒になって初めて歴史認識に対する理解がうまれてくると私は考えている。
さて、今日は阪神、勝たないといけない。ずるずる落ちていく。いつものパターンになっていく。


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1 コメント

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日本人との結婚 (スッチ・ジェーラ)
2008-05-03 07:50:37
 ご子息は日本人とご結婚。これは大事件ですね。

 もしご自身が親の反対を押し切って日本人と結婚されていたらまた運命が変わったでしょうね。

 民族の血は容易に拭い切れない、これはよくわかります。

 僕は若いとき、日本人というのが嫌で、地球人と名乗りたかったのですが、やはり、日本人です。ただ、関西人らしくないとはよく言われました。
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