アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

2010年インド映画製作本数

2011-05-17 | インド映画

インド映画の昨年の言語別製作本数、つまり、2010年に中央検定局の審査を通過した本数がやっとわかりました。全体の本数が1,316本で、2009年の1,288本よりは増えましたが、過去最高だった2008年の1,321本には及びません。でもまあ、インド映画産業界は好調を維持していると言えそうです。

言語別では、タミル語映画が226本でトップ。続いてヒンディー語映画が219本、そしてテルグ語映画が188本と続きます。この3つの言語の映画は、毎年常に1位~3位のどれかを占めている、インド映画界の不動のトップスリーです。4位以下は、カンナダ語、マラーティー語、ベンガル語、マラヤーラム語、ボージプリー語、グジャラーティー語、オリヤー語、英語、パンジャービー語と続きます。ここまでが2桁の数の映画を製作している映画界です。詳しい本数等のデータは、また9月の「ナマステ・インディア」の時にでも。

このデータの出所は、南インド映画商業会議所(South Indian Film Chamber of Commerece)の機関誌「Journal of the Film Chamber」の5月号。

 

インド映画中央検定局(Central Board of Film Certification)のHPもあるのですが、去年の春には「お、2009年のデータが出ている! 報告書が全ページアップされてるなんてすごい!!」と狂喜乱舞したものの、以後新しいデータは未だにアップされていません。やっぱりな~。インドのお役所やもんねー。これまでン10年、製作本数を知るために重ねてきた苦労は、そう簡単にはなくならんわな~、でした。

私の場合の苦労は、上に挙げた機関誌を手に入れること。毎年チェンナイに行って、アンナー・サライ(旧マウント・ロード)のジェミニ・フライオーバー(昔、映画会社ジェミニ・スタジオがあった四つ角の立体交差)の近くにある南インド映画商業会議所(下の写真)の事務室に行き、該当する号を購入するのです。以前は、私が行く3月に出版されていた3月号に「言語別検定通過本数」というリストが掲載されていたのですが、ここのところ掲載がだんだん遅くなり、4月号だったり、今年はついに5月号の掲載になってしまいました。

このように3月に行ってもまだ出版されていない場合は、私の住所を書いた封筒におおよその推測で切手を貼り、それを事務室の人に預けて、「このデータを載せた号が出たら、入れて送付して下さいね」とお願いしてくるのです。面倒くさいお願いなのですが、ここ3年ほどは、事務室の人がきちんと送ってきて下さっています。本当にありがたいです。あくまで個人的な感想なのですが、南インドの人だからやって下さるのでは、と思っています。下は、今回お手数をおかけした事務室の皆さんです。

 

今回は90ルピー(約180円)の切手を貼ったのですが、それで足りたようです。今回はそのうちの30ルピー分を、出たばかりの「著名なインド女優」切手シールでまかないました。下がその切手シートの写真で、左側の女優は上から下へ、デーヴィカー・ラーニー、カーナン・デーヴィー、ミーナークマーリー、そして右側は上から下へ、ヌータン、サーヴィトリ、リーラー・ナーイドゥです。

 

それぞれのごくごく簡単な紹介を付けておきます。

デーヴィカー・ラーニー~Devika Rani(1907-94)。有名な俳優兼監督ヒマーンシュ・ラーイと結婚後、女優としての才能が花開く。代表作は『不可触民の娘』 (1936/原題:Achhut Kanya)など。

カーナン・デーヴィー~Kanan Devi(1916-92)。カーナンバーラーの名前でも知られ、歌手としても有名。代表作は『ストリート・シンガー』 (1938)など。

ミーナークマーリー~Meena Kumari(1933-72)。約30年間トップ女優の座にあった人で、稀代の名女優と呼ばれたりする。代表作は、『旦那様と奥様と召使い』 (1962)、『パーキーザ 心美しき人』 (1971)など。

ヌータン~Nutan(1936-91)。演技派女優として知られ、社会的な視点を持った作品で持ち味を発揮した。妹はカージョルの母タヌージャー。代表作に『スジャーター』 (1959/原題:Sujata)など。

サーヴィトリ~Savithri(1937-81)。テルグ語とタミル語の映画で活躍した女優兼監督。(彼女の作品は見ていないので、どれを代表作と言っていいのか不明。ごめんなさい)

リーラー・ナーイドゥ~Leela Naidu(1940-2009)。1960年代に数本のヒンディー語および英語映画に出演した後、シャーム・ベネガル監督作『ゴアの恋歌』 (1985)で劇的なカムバック。17歳の時オベロイ・ホテルの社長の息子と結婚し、その後離婚するなど、女優としての出演作は少ないものの、人々に強い印象を残した。

ちょっとスタンプが押されてしまっていますが、美しいお顔をじっくりご覧下さいね。インド映画中央検定局が、日本の映連のように、毎年きちんきちんとネット情報を更新してくれたらこんな苦労をしなくてもすむんですが、ま、チェンナイに行くエクスキューズにもなるし、今後も当分南インド映画商業会議所詣では続けることにします。

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サイモン・ヤムの写真集 | トップ | お宝発掘作業中 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

インド映画」カテゴリの最新記事