アジア映画巡礼

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久しぶりのデリー<4日目>『我が理想の国』の監督に会う

2024-02-29 | インド映画

今回のデリーでは、旧友たちと共にぜひ会いたい人がいました。昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、YIDFF)の「アジア千波万波」部門で、監督作『わが理想の国(Land of My Dreams)』(2023)が上映されたノウシーン・ハーン監督です。YIDFFでの上映のあと、東京外国語大学でもこの作品が上映され、彼女とのQ&Aセッションもあったので、その場においでになった方もあるかと思います。この作品は、2019年12月に成立したCitizenship (Amendment) Act=改正市民法、または市民権(改正)法(以下、CAA。詳しくはこちらを、とは言うものの、あまりいい解説記事がないんですが)を巡って、デリーで展開された大規模な抗議行動を記録したものです。特に、ノウシーン・ハーン監督が学んでいたニューデリー南東部にある大学ジャーミヤー・ミッリーヤー・イスラーミヤー(以下、JMI)で巻き起こった抗議行動と警察によるその弾圧がつぶさに描かれ、その後市民たち、特に女性たちが体を張って抗議する姿が生々しく描かれています。それに監督自身のモノローグが被さって、単なる記録映画の域を超えた切迫感のあるドキュメンタリーになっており、見ていて胸がつぶれる思いがしました。その時監督とちょっと話もしたことから、デリーに行く機会にぜひ会ってみようと思ったわけです。メールで連絡を取ると快く会うのを承知してくれ、「大学も案内するわよ」と言ってくれて、ホテルまで車を運転して迎えに来てくれました。来日時は洋服でしたが、今日はクラシックなカフタン風のカミーズでとてもステキでした。

お昼時だったので、まずはホテルからほど近いグレーター・カイラーシュ(GK)のマーケットでお昼ご飯を、というわけで、くだけた感じのイタリア料理店へ。ピザとファラフェル・ミニピタを頼んでくれたのですが、後者はピタパンの小さいのにチキンや野菜が挟まれて、それにホムスとトマトソースが付いてきて、とってもおいしかったです。

この店では、彼女の生い立ちというか、エンジニアのお父さんの仕事に従って、生まれたマディヤ・プラデーシュ州の小さな村からプネーやデリー等、あちこちで育った思い出を聞きました。また、JMIで学ぶ前には、私が今いるホテルのすぐ近くにあるレディ・シュリー・ラーム女子大で英文学を学んでいたそうで、そこからJMIの映像学科に入り直したそうです。2019年12月から翌年にかけて、怒りに駆り立てられるような思いで撮った『わが理想の国』を映画として完成させるまで、テレビ局で働いたりしながらご家族にも支えられてがんばったようでした。お母さんはまだ56歳とお若いそうで、映画の完成後各地に招待された時には、お母さんと一緒に旅したことも多かったとか。映画の中にお母さんは登場しませんが、撮り終えてから3年の間重ねた編集の期間、お母さん始めご家族(弟さんがいて、法曹界で活躍中とか)がいろいろバックアップしてくれたようでした。

お腹がいっぱいになったので、GKから大学、JMIへ。『わが理想の国』をご覧になった方は上の門の前で集会が開かれ、女性活動家が演説をしていたシーンを思い出されると思います。学生たちを鎮圧するために警察が入り、その後コロナ禍が襲ったので、CAAに対する抗議活動は終熄せざるを得なかったのですが、それでも今もJMIは警察の監視下に置かれているようで、警察のチェックポストがあったり、たくさんある門のうち一部しか通れないようになっていたりと、かなり神経をとがらせての監視がなされているようでした。車で学内に入ることはできるのですが、その入った門からしか出られないようになっています。でも、広い学内なので、彼女の車に乗せてもらっての移動は、とっても助かりました。

車を停めたところに4,5人の人がいたのですが、ノウシーン・ハーン監督の先生というか、テレビ局で指導をしてくれた人とかだったようで、監督はみんなとの再会に嬉しそうでした。この後も、会う先生方や事務系の職員の人がみんな監督に嬉しそうに声をかけ、人気者だったんだなあ、と感心しました。学部の教室を案内してもらった時の監督です。

また別の教室には、みんながそれぞれグループになって作った作品のポスターも掲げてあり、下のものが監督が他の4人と一緒に作った作品のポスターです。JMIには演技コースもあるため、その人たちに出演を依頼して作品が作れるそうで、ポスターまで作らされるとは本格的ですね。

またそこには、卒業生で名の知られた人の一覧もありました。『タイガー 伝説のスパイ』(2012)のカビール・カーン監督や、アーミル・カーンの元妻で『ドービーガート』(2011)の監督でもあるキラン・ラーオなどの顔が見えます。

あと、昨年日本公開されたドキュメンタリー映画『燃えあがる女性記者たち』のリントゥ・トーマス監督とスシュミト・ゴーシュ監督の写真も。いい映画作家たちを輩出してますね、JMI。

その他、JMIは大学放送局も持っているのですが、そこの担当の先生方お二人(下写真)とか、学科の図書室の先生とか、いろんな方にご挨拶しました。皆さん監督の訪問を喜んでいらして、在学中の監督の活躍ぶりがわかる思いでした。

監督は、今度デリーのインターナショナル・センターで開催されるアジア女性映画祭(下はそのポスター。旦匡子さんのXから拝借)で『我が理想の国』が上映されるため、先生方に「ぜひ来て下さい」と誘っていました。デリー在住でご興味のある方は、ぜひ行ってみてくださいね。公式サイトはこちらです。

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そんな風に、キャンパスをあちこち見学させてくれたのですが、キャンパスにはまだ2019年の反CAA闘争時の爪痕が生々しく残っています。そのうちの2つほどの前で、監督に立ってもらいパチリ。

「警官がキャンパスに乱入してきて、ラティー・チャージ(日本の警棒の3倍ぐらいある長い警棒で殴ること)を容赦なくやったのよ。学生たちは逃げるのが精一杯で、あの向こうの塀を乗り越えたりして逃げたの」と、いろいろ現地で説明してもらいましたが、今は清潔できれいなこのキャンパスが、と思うと、悪夢でしかありません。

監督にはその後、学内のキャンティーンでもまたいろいろ語ってもらいました。なぜ、自分のモノローグを重ねたのか、などの興味深いお話をうかがったのですが、そのほか、デリー在住のムスリムの人たちの現状についてもこれまで知らなかったことを教えてもらい、ちょっと驚きました。あと、近々あの映画に登場してくれたデリーの女性たち向けの特別上映をやることなどを、嬉しそうに話してくれました。「短いクリップは映画の完成前に見てもらっているんだけど、作品としてはまだ見せていないので、見てもらえるのが嬉しい」とのこと。きちんとそれぞれに当該映像を見せて了承を得ているのね、とこれまた感心しました。

帰りにはこちらのキャンパスから上の門を出て、道路を隔てた反対側にある総合図書館もチラと見学。警官隊が図書館を荒らす様子は映画に出てきますが、下の写真、ちょっと見にくいですけど、こんなかわいい図書館だったのでした。

JMIはその名を冠したメトロの駅もあります。その駅の入り口には、ガーンディーを始め、この大学の創設に関わった偉人たちを描いた学生の絵が飾られています。もともと、アリーガル・ムスリム大学が英国の援助を受けて創設されたのですが、反英闘争の高まりで英国との結びつきを嫌った人たちがJMIを創設、ガーンディーが土地を提供したりして、今のような大学ができたそうです。

長い間来てみたかったJMIを、最高の案内人に案内してもらえてとてもラッキーでした。『わが理想の国』が日本でも公開されるといいのですが、まだ決まってはいないようです。香港のドキュメンタリー映画『理大囲城』(2020)を思い出させるようなこの作品ですが、反CAA闘争は日本では知っている人がほとんどいないため、公開に当たってはいろいろ解説が必要かも知れません。でも、デリーの女性たちがいかに聡明でパワフルでかつ繊細な心を持っているか、というのがよくわかる作品なので、ぜひ上映してほしいと思います。

最後に、私とのツーショットをキャンパスにいた女子学生に頼んで撮ってもらったのですが、私は基本、自分の顔を載せない(スミマセン;;)ため、監督と現役JMI生のツーショットをどうぞ。ノウシーン・ハーン監督、長時間にわたり、ありがとうございました!

 


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