アジア映画巡礼

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張國榮(レスリー・チャン)を思い出す日

2012-04-01 | 香港映画

今日、4月1日は張國榮(レスリー・チャン)のお命日です。

 

何かにつけて思い出す人ですが、4月1日は特に思い出されます。1956年9月12日に香港で生まれ、歌手、俳優として活躍し、『さらば、わが愛 覇王別姫』 (1993)や『君さえいれば 金枝玉葉』 (1994)等多くの映画に出演。絶大な人気を誇りながら、2003年4月1日、SARS禍の香港で自ら命を絶ったレスリー・チャン。46年と6ヶ月という若さでした。すべて運命とはいえ、1997年香港返還の影響の波がたどり着いた先が、レスリーの死だったと思います。

SARS(重症急性呼吸器症候群)という病気も、今から思うと突然変異のように現れた不思議な病気でした。2003年春に香港を中心に大流行して大騒ぎになりましたが、それ以降患者は数人出ているだけです。その時の香港は、閉塞、沈鬱、恐怖、絶望といった負の雰囲気に支配されていました。健康な人でさえ、ともすれば心が萎える思いを味わっていたのですから、精神的、肉体的に弱い人はどんなにつらかったことでしょう。ポッキリと心が折れてしまっても、誰も責めることはできません。レスリーの心が折れたのが、4月1日の夕方だったのです。

それでも、私たちファンは今でも彼が残した作品の数々を楽しませてもらえています。上の写真は、1989年12月21日から1990年1月22日まで開かれた<張國榮告別樂壇演唱會>で撮ったものです。この衣裳で歌った、「寂寞夜晩」(私の好きな台湾の作曲家&歌手、周治平の作曲)と「側面」(これも私の好きな香港の作詞家、林夕の作詞)の画像をどうぞ。あまり画質がよくありませんが、「側面」の方ではダンサーが多数登場する、当時の香港らしいステージングが見られます。

あの頃はよかった、というと愚痴になりますが、香港の人たちもそう思っているらしく、ここ2、3年、「昔の名前で出ています」的歌手のコンサートが増えています。今回の香港でも、區端強(アルバート・オウ)のコンサートの広告を見かけました。レスリーも懐メロ歌手でもいいから生きていてほしかった、と思ってしまいますが、そうはできない人だったので死を選んでしまったのでしょうね。そんなことをあれこれ考えている、4月1日の夕方なのでした....。

 

 


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7 コメント

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哥哥を偲ぶ… (浪花のしゃあるっく)
2012-04-03 11:58:38
もう10年もたったのですね。
いつのまにか彼の生きた時間を越えてしまった自分に気付きました。
あの時はまさかの訃報に信じられず受け入れられずただただ号泣してしまった…。

「男たちの挽歌」で初めて彼を知り、その時は發仔に夢中で印象は正直薄かったのですが「覇王別姫」を今は無き大阪の三越劇場へ独りで観にいき、感動してしばらく席を立てなかったほど胸を鷲摑みにされて以来、ずっとずっと大ファンです。

ジャパンツアーのMCで彼がファンに約束してくれた「今日のライブチケットの半券を持って僕の珈琲ショップに来てくれたら珈琲か紅茶、もしくは僕をタダでプレゼントするよ」とのおちゃめな言葉を信じ香港のお店に行きました。

店内のショウケースには例の深紅のハイヒールが飾られていて、もちろん彼はいなかったのですが思い切ってウエイターさんに「彼と日本で約束した!」とブロークン広東語で伝えると彼が何処やかに電話をかけ、数分後「OK!彼は貴方が選んだものをサーブしなさいといってます」とのお返事!!

電話の相手がレスリーだったかは定かでないけれど私は彼にご馳走になった(…と信じている)あのほろ苦い紅茶の味が忘れらない思い出です。

昨年あたりからやっと彼の歌や映画のDVDを観られるようになってきました。
もっともっと彼の姿をスクリーンで観たかったですね。映画の中の彼は老いる事も無くずっと輝き続け…。それもせつないな…。

長くなってごめんなさい!
レスリーLOVEのcinetamaさんにちょっと聴いてほしくて…。え~ん!やっぱ哀しいです!

LESLIE FOREVER!!!
彼を、映画を愛する人たちの心の中に!
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追(一追再追) (shoko)
2012-04-03 15:11:50
レスリーの素敵な写真をありがとうございます。
香港で、世界各地で、彼のことを思った人がたくさんだったことでしょう。今年は東京青山でイベントがあったので参加し、パッションを体感して、彼をまた好きになりました。
3月は大阪アジアン映画祭に通いました。「神様がくれた娘」は、映画を見る幸せを感じることができる素晴らしい作品でした。上映後のQ&Aで、タミール語監修の方が質問され、監督とヴィクラムが、英語字幕の無いところにも日本語字幕があった!と感激されていました。最終日の発表でも、ヴィクラムが笑いをとるスピーチをして、大阪の観客に受けて、とても盛り上がりました。このブログの紹介で、素晴らしい映画に出会えました。ありがとうございました。
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浪速のしゃあるっく様 (cinetama)
2012-04-03 18:11:57
素敵なエピソード、ありがとうございました。

「僕をプレゼント」なんて、ドキッとしてしまいますね。でも、「僕の好意」をプレゼントしてくれたわけで、一生の思い出ですねー。

この写真の<さよならコンサート>の時も同じような発言があり、半券2枚(2日間通ったのです)をなくさないよう握りしめた思い出があります。サービス精神も旺盛な人でした....。
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shoko様 (cinetama)
2012-04-03 18:18:57
コメント、ありがとうございました。「パッションツアー」を見るイベントに参加なさったのですね。

「神さまがくれた娘」のご報告もありがとうございました。監督とヴィクラム、客席で上映を見てたんですね~。英語字幕がちょっと変な所があったので、それにかまわず日本語字幕をつけたのですが、お叱りがなくてよかったです。
タミル語監修者のF先生が質問なさったとすれば、通訳さんは別の方だったんですね。どなただったんでしょう??
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字幕 (shoko)
2012-04-03 23:23:29
パッション上映会では、88年コンサート、89~90のさよならコンサート、96~97年の復活コンサートからも数曲ずつ上映されました。パッションツアーは、何度見ても素晴らしい!!蛍光棒も振りました。
通訳は女性で、英語の通訳でした。F先生がタミル後の監修をしましたと言うと、じゃあタミル語で質問して!とねだり、それじゃ会場の人がわかりませんから、、とすこしタミル語で挨拶されたら、大阪でタミル語が聞けるとは!と大喜びでした。映画では、英語字幕が残され、右横に縦書きで日本語字幕でした。(マレーシア映画では、マレー語、中国語、英語の三段横字幕プラス日本語縦字幕でした。)素直に映画の世界に浸り、笑って泣いて、大感動できたのは、字幕の力も大きいと思いました。名翻訳が、ABC賞やグランプリにも貢献したと思います。
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通訳 (shoko)
2012-04-03 23:30:53
何度もすみません。
映画のQ&Aのときは、インド人の女性が通訳でした。授賞式のスピーチは、ヴィクラムが英語でして、別の女性が通訳をされました。
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shoko様 (cinetama)
2012-04-04 10:33:44
詳しいご報告のコメント、ありがとうございました!

大阪アジアン映画祭「神さまがくれた娘」のゲスト、男優ヴィクラムの通訳さんに関しては、shokoさんの詳細なご報告で事情がとってもよくわかりました。映画の上映時だけでなく、授賞式にもいらしたのですね。うらやましいです~。
以前maikoさんのコメントにあった、タミル語の「ラーヴァナン」を勧めた通訳さん、というのは、shokoさんのご報告中のインド人女性かも知れませんね。
私の字幕は前にも書いたように、監修をして下さったF先生や、字幕制作会社アテネフランセ文化センターの担当者の方がいろいろ直して下さってあれだけのものになったので、”名翻訳”などと言って下さると汗が出てきます。私が最初に提出した段階では、”迷翻訳”というところですかねー。

パッション上映会のご報告もありがとうございました。88年コンサートも見に行ったので、懐かしいです。ビデオもすり切れるぐらい見たし...。レスリーは本当に、いっぱいプレゼントを残していってくれてますね。あらためて天国に、”ありがとう”を言いたいです。
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