見出し画像

しーさるの鉄日記

札幌市交通資料館へ

札幌に到着したのは11時25分、地下街を通って地下鉄南北線ホームへ向かう。11時36分の真駒内行に乗車、52分に終点真駒内の1駅前の自衛隊前に着いた。高架沿いに数分程歩くと札幌市交通資料館にたどり着く。

札幌市交通資料館は今年5月にリニューアル改築した。以前は地下鉄高架下の一角を利用して広さは290平米となっていたが、2017年に休館して7年かけて工事を行なった。新しい交通資料館は道路と地下鉄高架のスペースに2階建ての建物を新築して、1階が交通資料館に、2階はその他交通局関係施設とした。新しい建物の交通資料館部分は471平米と、高架下の時より6割ほど増床した。営業時間も5~9月の平日と夏休みの10時から16時だったのが、4月~10月15日で休みは水曜だけ、9時半から16時半に拡大している。夏休み以外も土休日の利用が可能になったのは大きい。新しい建物ができたといはいえ、入場料無料というのは維持している。市営なので公園のような位置づけになるけど、横浜市電保存館は財団法人が運営しているためか入場料を徴収している。ただ、有料にしたら屋内展示場と屋外展示場を柵で仕切り、間の道路を通ることができなくなる。

資料館に入ると、右手に札幌の公共交通の歴史、真ん中に地下鉄車両の模型、左手には市電の系統板や停留場板などを展示した収蔵品展示コーナーや地下鉄の先頭車を模した記念撮影用のコーナーがある。1909年(明治42年)に現在の南区石山から西11丁目の間で馬車軌道の営業を開始、1918年(大正7年)には市電が3路線で営業を始めた。パネルに案内はなかったが、札幌駅は官営幌内鉄道の駅として1880年に小樽に近い手宮駅開業していた。市電が営業を始めた1918年時点では函館から厚岸までは倶知安、滝川経由で繋がっていたものの、宗谷本線は浜頓別まで、石北本線は遠軽から網走間のみ、室蘭本線の長万部から東室蘭間は開通してなかった。ちなみに、ゴールデンカムイの舞台となったのは1907年で、馬車軌道が旅客輸送を始める前だった。市電は路線数を増やしていったが、1971年にオリンピックに合わせて地下鉄が整備されると、今の区間を残して廃止となった。その先に展示している22号車両は初の路面電車の車両として、1918年に名古屋電気鉄道から譲渡、1936年まで活躍した。そのあと円山動物園などに保存、1960年にイベント用として復活したが、引退して資料館に保存されていた。工事に先駆けて、2014年に名古屋に里帰り、明治村に6年保存したのち、改装した資料館に戻ってきた。収蔵品展示コーナーは棚を開けると、昔のきっぷや路線図が出てくるけど、見る時間はなかった。

さらに進むと左側には「市営交通おと図鑑」という、路線図のボタンを押すと駅での放送が流れるものがあった。個人的には接近時のチュンチュン音が札幌地下鉄らしいと思うのだけど。その近くには、地下鉄南北線開業時に使用されていた自動改札機が置いてあった。札幌地下鉄は1971年の開業時から自動改札が投入され、初の全駅に自動改札が投入された鉄道会社となった。その横には地下鉄職員の仕事内容を仕事に使う道具とともに展示していた。一番奥にある『札幌地下鉄ライド』は模型を使ったトレインシミュレーター、東豊線の7000形の運転台で、東西線8000形の模型を運転する。模型はHOだが、3両と短いだけでなく、車体もBトレみたいにデフォルメされている。電車が外から見えるのは、大通駅の地下を再現している部分だけ、あとはカメラで地下鉄区間を見る形だ。模型で再現しているのは大通駅の地下だけで地上部分は航空写真となっている。ビルも再現して、市電の運転もできるようにすれば面白いけど、スペース的に厳しいのだろう。それでも大通公園の植樹と周辺のビルだけ再現してもいいと思うのだけど。

資料館の裏の方の高架下には、1967年から1969年まで第4次試験車として使われた『すずかけ』が展示してあった。試験車といっても、営業車に程遠い運転席と無蓋貨車という構成で、ゴムタイヤのせいで地下鉄というより工事現場で使う大型重機のようなものになっていた。

資料館の駅側入り口と逆方向から外に出ると、道路を越えたところに第一展示場がある。第一展示場では路面電車の車両を展示している。
615号は1950年に製造、暖房が初めて装備された。既存の単車の倍の輸送力で札幌の発展を支えてきたが、市電の縮小とともに1971年に廃車となっている
。321号は1957年に製造、前面は3枚窓で方向幕の上に前照灯がある。これも1973年に一条線が廃止になったことで廃車となった。

M101形は1961年製造、前照灯は2つになり、中扉も初めて設置された。Tc1形はM100形に連結する付随車として同時にデビュー、M100形と連結する姿は親子電車と呼ばれる。正面の前照灯の間には連結車というマークが付いている。Tc1形は単独で動けず、ラッシュのたびに分割併合する必要が出てきて、車両同士の通り抜けもできない。その使い勝手の悪さから、Tc1形だけ1971年に引退し、1975年の資料館のオープン時から静態保存されている。一方、M100形は廃車から部品を調達するなどして生きながらえて、引退は2021年10月と子供のTc1形より50年も長く営業運転を行っていた。そのため、親子ともに揃って保管されるようになったのは、資料館のリニューアル後となった。

D1041形は1964年に製造された路面電車形ディーゼルカー、方向幕の上にベンチレーター、側窓は大きな固定窓の上に小窓があるのが特徴だ。1963年に鉄北線の北27条~麻生町間が変電所を増やさないために非電化で開業、D1041形はその増発用に投入された。路面電車形ディーゼルカー自体は延伸の5年前から電化区間でD1001形を運用していた。初期不良もあったものの、その後15両の路面電車形ディーゼルカーが製造された。D1041形投入の3年後にはの1967年に全線電化、ほどんどのディーゼルカーは車体などを他の車両に転用したが、D1041形は1971年に廃車となった。電化された鉄北線も1974年に全線廃止となっている。

A800形は1963年製造の初の連接車、2年前に導入した親子電車と違って、車両間の通り抜けができるようになった。連接車で輸送力が増強されるだけでなく、中間扉を拡大することで乗降しやすくなっている。このあと、1965年のA830形まで連接車を製造するが、A800形は1972年に休車、残りの車両も1977年までに休車か廃車となっている。830形3編成は名鉄に譲渡され美濃町線で運用されてきたが、2005年に廃止に、その先頭部のカットモデルが美濃駅跡に残すだけとなった。

旅客車両以外に雪8、雪11、雪DSB1の除雪車3両を展示している。国内で路面電車用の除雪車を展示しているのは国内でここだけだと思われる。1951年製造の雪8、1958年製造の雪11ともに旅客車を改造したもの、雪8は45度の角度でロータリーブルームをつけているが、雪11は鉄製の羽をつけたプラウ式となっている。1961年製造の黄色と黒の縞模様のDSB1形は、ディーゼルカーなので非電化区間の除雪も可能だ。雪8とDSB1形は1971年に、雪11は1974年に廃車となった。

第3展示場は地下鉄車両を展示している。保存されているのは1000形の1次試作車と第3次試験車の『はるにれ』となっている。1000形は1970年製造の地下鉄初めての車両、2両固定でデビューしたものの、2両運用は少なく、4両と増結、2000形に編入後も6両、8両と増結している。そのため、狭い運転台は中間に組み込まれ、使われることは少なかった。ついには中間車改造もされたので、保存した時は他の車両から部品を流用している。積雪時にチェーンを巻けるように座席の一部が高くなっていたが、量産車と同じくこれはなくなり、固定窓も開閉可能となった。その後、1985年に他の2000形より先に引退、3000形で置き換えられた。平日だが夏休みなので、車内に入ることはできたが、運転席ドアからなので少し狭かった。車両間は特徴的な円形、シートは少し埃がかぶっていた。窓には今と同じく最終電車の時刻が貼ってあった。

その真駒内寄りにあるのが、第3次試験車の『はるにれ』、先ほど見た『すずかけ』の2年前に製造された車両で、バスのような外観は『すずかけ』より旅客向けだが、車体長は半分以下だ。両扉ドアが片側のみ設置、高い場所にあるので車内がどうなっているかはわからなかった。それ以外に資料館の建物の駅側入り口付近の高架下にバス4台が展示してあるが、養生に囲まれて見ることができなかった。

自衛隊前発12時26分の麻生行で札幌へ、昼食のラム肉カレーを食べた後、札幌発13時26分の特急北斗に乗り込んだ。平日の午後とはいえ、観光客を中心に利用率は高く、席は8割くらい埋まっていた。行きと違って山側の席だったので、エスコンフィールドを見ることができた。行きと同じように、コナンの映画宣伝の自動放送が3回くらい流れた。コナンタイアップは、JR西日本の米子支社の専売特許のイメージだが、車内放送は映画タイアップのJR北海道となった。映画の舞台になったことで函館への利用客が増えたことは数字として現れたし、テレビの数話より映画の効果は大きい。

札幌から3時間半で、新函館北斗には16時58分に到着、新幹線への接続時間は30分近くあったので、駅前のお土産屋で余裕で買い物することができた。新函館北斗発17時26分の『はやぶさ』は盛岡まで新青森のみ停車の最速タイプ、『こまち』との連結もないので、東京までの所要時間は3時間57分と4時間の壁を切る。17時40分には青函トンネルに入り、北海道を後にした。大宮着21時01分、乗ったはやぶさは上野を通過するので、大宮から在来線を使うことにそた。東京まで乗ると770円余計にかかるためだ。えきねっとで上野まで予約すると、大宮から上野までも新幹線の利用を勧められるが、那須塩原で追い抜いた『やまびこ』まで19分待つことになる。電光掲示板の回送という文字に釣られて、ALFA-Xを期待してしまったが、臨時スジのE7だった。

今回の6日間の北海道旅行で、釧網本線、石北本線だけでなく、留萌本線、石勝線の全駅の駅巡りが完了、JR北海道は残り62駅だったのが、函館本線12駅、室蘭本線7駅、根室本線4駅の合計23駅と1/3近くまで減少した。旭川から奥がなくなったものの、大沼~長万部近辺の本数の少なさがネックになりそうだ。函館と長万部の間のバスが廃止にならなければいいのだけど。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「その他日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事