山口団地ー8田野畑ー7島越ー10白井海岸ー9普代ー12野田玉川ー11堀内ー13十府ヶ浦海岸(歩)14陸中野田ー久慈ー陸中宇部
山口団地は海側片面、出口は小さいのが久慈寄りにある。出口では同じレベルの土地でもすぐに上がるので、久慈寄りはトンネルになっている。
島越は山側に片面ホームと大きい駅舎のある構造、以前は海側に洋風の駅舎があったが、周囲の民家とともに津波で流され、階段の一部だけが残った。
その跡地は記念公園になっており、慰霊碑などもあった。新しくなった駅舎の中には震災前と震災後の町の比較、震災前のジオラマにはそこに住んでいた人々、想い出のコメントがメモとして刺さっていた。
田野畑は島式、海側の駅舎とは盛寄りの構内踏切、地下通路の2種類ある変わった構造になっている。駅舎は大きい民家調で桜の花びらが散りばめられていた。中は土産物屋のようだが、早朝なので入れなかった。駅の近くには三陸鉄道の車両を模した水門があった。
普代は築堤の上にある島式、久慈寄りで山側に保守車両用側線が分岐している。山側の駅舎とは盛寄りの地下通路で結ばれている。駅舎は平屋建て、土産物屋を兼ねているが朝早いので入ることができなかった。その前には広場が整備、クルマなどが乗り入れられるようになっている。また団体ツアーのバスもここに停まって列車からの客を乗せる。
白井海岸は山側片面、出口はほぼ久慈寄りにある。海岸と駅名にあるが、山奥にあり駅からは海岸が見えない。駅の案内では3分で海岸に着く感じだが、5分間急坂を降りて、ようやく海が見えるくらいだ。
堀内は山側片面、あまちゃんの袖ヶ浜駅としてロケに使われたので、その駅名標もある。出口はホーム真ん中の待合室横、国道の方へ上がる階段2つと下り坂の地下道経由で海の方に抜ける道路があるが、どちらとも勾配はきつくなっている。
野田玉川は相対式、出口は山側にあり、海側ホームへは別出口から構内踏切を経由することになる。また、海側ホームだけの出口もある。
十府ヶ浦海岸は海側片面、出口は久慈寄で階段出口と小さな坂道の出口に分かれいる。北側にある米田高台団地のために2年前に新設された請願駅である。
陸中野田は島式、山側駅舎とは地下通路で結ばれている。駅待合室は道の駅のだの一角にあり、窓口はソフトクリーム屋を兼ねている。
陸中宇部は山のふもとにある山側片面、ホーム中ほどの石段を降りて外に出る。この辺になると久慈の市街地だ。
午後からは、去年の夏休みに大雨で中止になった八戸線の駅降りをすることになった。
まず、角の浜は山側片面、出口は八戸寄りのシンプルな構造だ。角の浜からは階上までは40分ほど歩いて進んだ。その途中、岩手県と青森県の県境があった。
階上は山側に待合室駅舎のある相対式、両ホームは久慈寄りの構内踏切で結ばれている。待合室駅舎は新しいもので、パソコン作業に適した机と椅子もあった。JR最後まで腕木式信号機が使われた駅で、その時に使われたのが駅前広場に飾られている。町の中心からは離れているので、民家が密集しているものの、人は少なく静かだ。
久慈行に乗って平内へ向かう。平内は山側に片面ホームがあり、その真ん中に出口がある。40分ほど、南を歩いて種市へ向かう。
種市は、相対式だったが、山側の線路が撤去され、海側片面になった。駅舎は国鉄時代からの平屋の鉄筋コンクリート造、鮫から久慈間で唯一の有人駅で新幹線の指定券などの販売を行っているが、15時には閉まる。洋野町の玄関口で駅前広場にはバスが乗り入れる。
八戸線は、これで全駅の駅降りが完了した。
八戸ではやぶさに乗り継いで、東京へ帰った。
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