一枚目の”キッチンぶーる”は友人のMくんに誘われて一度入ったことがあります。もう30年以上前ですが。
二枚目はラーメン屋の三徳の元の店舗跡です。ランプ屋と三徳、後に大正庵が加わって、この通りはラーメン通りといわれました。おでんに味噌をかけて食べるのは三店共通でした。この日は駅の南側にできている新しくなった三徳に行って30年ぶりくらいに三徳のラーメンと味噌おでんを食することができました。
三枚目は駅前通りのお店ですが、右側が不自然に見え、いかに隣の建物と密接していたが想像できます。
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この日の行橋の写真はここまでです。見ていただいた方はありがとうございました。明日からまた散歩での鳥撮り写真に戻ります。
駅前通りに昔ながらのお店がありました。横の水路とそれに沿う道は幼いころの記憶があります。母に連れられて中町から神田町の母の実家へ歩くときに通りました。途中の森本病院も病気になると行きました。昔は生活排水が流れて汚れてましたが、今はきれいな水になってます。
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正八幡神社です。七五三に来てる人がいました。
神社は変わってませんが、行橋駅の高架化により線路沿いの道や家はずいぶん変わりました。
屋根に物干しがあるお宅がありました。私の生家でも屋根に物干しがあり、そこから続く屋根は遊び場でした。建物が密接していたので隣の屋根にも行けたような記憶があります。小説”ノルウェー”の森でも商店街にあった緑ちゃんの家から物干し場に出るシーンがありました。’70年ごろは屋根に物干し場のあるお宅が多かったようです。
おそらく’67年ごろまでは駅前通りの貸店舗二軒の二階にはいとこの家族が住んでいました。この建物と、向かいにあった花屋だったと思います。
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忠霊塔と呼んでいた中学校に隣接する公園があります。上は公園の中学校側から中学校を撮ってます。40年前は木造の講堂があった場所は鉄筋コンクリートの建物になっていました。
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この建物が生家です。11歳くらいまでいました。お店の二階に住居部分がありました。元々は二階の通りに面しているところまで住居でしたが、半世紀前に改装したときに通り側は店舗を拡大し、住居部分は奥の方だけとなりました。レンガ風のタイルはそのときのものだと思います。
お店の前から西側を見たところです。三叉路になっており、正面は電器店でした。左側の角は布団屋さんがありましたが、更地になってます。ここの角に古い石の道しるべがあったのですが、撤去されたようです。左に行くと豊津方面、手前の方向は今井方面になります。おそらく戦前の話ですが、今井の祇園さんに行く人がこの道を通ってにぎやかだったそうです。
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