稲荷神社の御眷属はどうしてキツネなのか?
このことが長らく気になり続けてきた。
「稲荷神社」に「お狐様」の「狛犬」。
「お狐様」が御眷属でいらっしゃるのも、もうずいぶん長いことになっているし、もともとそういうものだと思っている。
しかしながら( ・ิω・ิ)b
「狛犬」として「お狐様」が文字通りに表においでになったのは江戸時代も1760年以降のことと考えられていて、現存する「お狐様の狛犬」のもっとも古いものは東京の「吹上稲荷神社」にあるとか(*‘ω‘ *)
仮にこれをもって、日本最古の「お狐様の狛犬」とするなら、僕が想像していたよりもだいぶ新しい意匠、ということになる。
なんとなく、もっと古くから「お狐様」とご一緒しているものかと、勝手に思っておりましたので(^ω^ゞ
「稲荷神社」に「お狐様の狛犬」、僕らにはお馴染みの「あたりまえの風景」はだいたい250〜260年前に現れはじめた、比較的「新しい風景」だったと言える。
「お稲荷さん」の主祭神は「宇迦之御魂大神」。
ウカノミタマ。
古事記では「須佐之男(スサノオ)」と「神大市姫(カムオオイチヒメ)」の間にお生まれになった「姫さま」。「大年神」の妹にあたられる。
ちなみに「大年神」はお正月に皆さんがお迎えになる「年神様」のこと( ・ิω・ิ)b
母上の「神大市姫」が「大山祇命」、「大山津見神」の娘さんであることは、ちょっと問題含みなところがある。
「大山祇命」の娘と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「木花咲耶姫命」や「岩長姫命」。特に「木花咲耶姫」と言えば「浅間神社」の主祭神。
「稲荷神社」くらいメジャーな神社のご祭神「宇迦之御魂大神」について、「スサノオ」「神大市姫」の娘さんにして「大山祇命」のお孫さんであるところを意識している人はそう多くはない気がする。その辺りの話は、あまり声高に伝えられていないような。だいぶ控え目な感じ(*‘ω‘ *)
「大山祇命」の系譜を辿ると、いわゆる「出雲系」と目される大社、神社のあまりの多さにまずは驚いてしまうのだが、「宇迦之御魂大神」をお祀りする「稲荷神社」のことを「出雲系」とする考え方に出会ったことはない。
僕にしても、あらためて考えてみて、これはとっても不思議なことだなぁと。
その辺りの詳しい事情はよくわからないのだけれど、「日本書紀」にあっては、「宇迦之御魂大神」は「倉稲魂」として「伊邪那岐」「伊邪那美」によって生み出されたとされている。
「古事記」では「大山津見神」と父娘の関係にあったはずだが、「日本書紀」では兄妹神の関係になっているとも言える。
「スサノオ」よりも先、つまりは「天照大御神」よりも先に生み出されていることにもなるので、「古事記」と「日本書紀」では「宇迦之御魂大神」のお立場はかなり違う。
「宇迦之御魂大神」について、ここにあからさまな「謎」が置かれている。
また、「宇迦之御魂大神」を「豊受大神」と同じとする説のラインがさらに謎を深めている。
伊勢神道(度会神道)によれば、「豊受大神」とは「天之御中主神」「国常立尊」と同一神であるとの由。「神道五部書」を主な論拠として、「豊受大神」の立ち位置を大きく変える論陣を張り、「豊受大神」の概念そのものがにわかに拡大する。
もっとも、「神道五部書」は曰く付きで、江戸時代、国学者にして神職であった吉見幸和によって「鎌倉時代の偽書」として断じられることになるのだが。
伊勢の外宮の「豊受大神」が「宇迦之御魂大神」と同一神であるとするなら、それはかの有名な元伊勢籠神社の奥宮「真名井神社」とも繋がることを明確に示している。「丹波の国の比治の真名井に坐す、我が御饌都神、等由気大神を我許もが」と、雄略天皇の夢で「真名井神社」の「等由気大神」を名指しで呼び寄せるよう訴えたのは、ほかならぬ「天照大御神」。
ということは、ほとんどダイレクトに「真名井神社」の神様と「稲荷神社」の神様は同一神であると???
とまぁ、このように。追いかけようとすると、次から次へと不思議なくらい数多くの謎に絡みつかれる。「稲荷神社」が一筋縄ではいかない存在であることを示す端的な例。
一般に神社の御祭神は数柱の神様でユニットを組まれていらっしゃるので、ユニット構成を見ていくと面白さ倍増なんだが、中には「宇迦之御魂大神」をお祀りしていない「稲荷神社」も存在する。大変に興味深いが、この面白さは別の話。
「宇迦之御魂大神」に焦点を当てると、ふと思うことがある。
「宇迦之御魂大神」は「宇迦御魂」、「倉稲御神」、「豊受大神」、「御饌津神」、「御食神」、「三狐神」と様々なバリエーションで呼ばれている。大宜都比売命と同じだとか、他にも諸説があって全体がなかなか見通せないのだけど、全体として食物神としてのお立場に変わりはない様子。
で、ようやく「お狐様」の話。
「お狐様」が「稲荷神社」の御眷属である理由は「宇迦之御魂大神」の別名「御饌津神」の読み(みけつ)が「三狐」(みけつ)と同じであるから、と聞いている。
そのことが囁かれるようになったのは、平安時代からだとか。
長らく抱いていた疑問、「なぜ御眷属がキツネなのか?」について、連想ゲームのような、自分が思っていたのと違う答えが現れて、呆気にとられたことを思い出す(*´ω`*)
「御饌津」はともかく、「三狐」はなぜ「三」にまつわることになっているのか?今度はこれが気になってくるのだが、なぜそうなのかについては未だに僕はわかっていない。
だが、ここに両部神道の影響が被さるとどうなるのか?
そこに「狐」のイメージが具体化していく必然性を見ることはできないか。
仏教の管理下に置かれた神道は、本地垂迹説に則り、隅々まで神仏習合の二重化が理論的に進められていった。
「稲荷神」を「荼枳尼天」と習合したのは空海だったという話は聞くが、「荼枳尼天」が「白狐」に跨る姿がそのまま「稲荷神社」の「御眷属」として下りてきたとすると、理解としてはすんなりすぎるほど、すんなりいく。
平安時代に徹底された神仏習合により、「御眷属」の偶像化も進んだ。これが公家の間で「獅子狛犬」がもてはやされた頃と時期を同じくしているように見えるのには必然性があるように見える。
だが、「宇迦之御魂大神」の本質は「神仏習合」によって変質したようには思われない。
「御饌津」の「饌」の字。
「御神饌」などと言うように、神様が召し上がる食物のことをさして「饌」としているのだが、この偏と旁をそのまま分けると「食」と「巽」になる。
「巽」、すなわち「辰巳」。
「辰」は「龍」であり、「巳」は「蛇」である。
「饌」とは「龍蛇」が召し上がる「食物」のことを言うのか?
という以上に、「御神饌」とは、もともと「龍蛇神」の召し上がる食物をそう呼んでいたのではないか?
「龍」「蛇」へと連絡する「御饌津」。そういう連想が働くと、ずっと気になっていたことに迷いなくつながる。
「宇迦之御魂大神」「宇迦御魂」のお名前は、その音からして直接的に「宇賀神」を思い起こさせる。
神奈川県民としては、「銭洗弁財天宇賀福神社」を思い出せずにはいられない(^o^;)
「銭洗弁財天」のご祭神は「市杵島姫」であるのだが、奥宮は弁財天「宇賀神」をお祀りしている。「市杵島姫」は「瀬織津姫」へと連絡するお名前であるし、「宇賀神」は「弁財天」でありながら人頭蛇身の「蛇神」のお姿であらわされる。
いずれの道を辿っても、「龍蛇信仰」へと連絡していることには間違いがないのである。
「豊受大神」の「受」も「宇迦」と同じ意味だとするならば、両者を同一神とする見立てはますます正しいように思えてくる。そうなると「古事記」にあるように、「大山祇命」「神大市姫」「スサノオ」の流れに連なる「龍蛇神」としての「宇迦之御魂大神」の姿が見えてくるようでもある。
「御饌津」=「三狐」のイメージには、同じ「音」であるという見かけの裏に、「意味」の変換が隠されていると見るべきではないか?
「隠す」ことが神仏習合の本来的な目的なのだとすれば、空海による神仏習合の業が天才的という以上に神がかり的に見えてくる。
もし、そうであるならば( ・ิω・ิ)b
「三狐」の正体は、「龍蛇神の御使い」あるいは「龍蛇神」そのものということになりかねない。
僕らは「狐」に化かされていたのではなく、「蛇」に、「龍」に化かされていたっていうことになるのかもしれない(*^ω^)b
このことが長らく気になり続けてきた。
「稲荷神社」に「お狐様」の「狛犬」。
「お狐様」が御眷属でいらっしゃるのも、もうずいぶん長いことになっているし、もともとそういうものだと思っている。
しかしながら( ・ิω・ิ)b
「狛犬」として「お狐様」が文字通りに表においでになったのは江戸時代も1760年以降のことと考えられていて、現存する「お狐様の狛犬」のもっとも古いものは東京の「吹上稲荷神社」にあるとか(*‘ω‘ *)
仮にこれをもって、日本最古の「お狐様の狛犬」とするなら、僕が想像していたよりもだいぶ新しい意匠、ということになる。
なんとなく、もっと古くから「お狐様」とご一緒しているものかと、勝手に思っておりましたので(^ω^ゞ
「稲荷神社」に「お狐様の狛犬」、僕らにはお馴染みの「あたりまえの風景」はだいたい250〜260年前に現れはじめた、比較的「新しい風景」だったと言える。
「お稲荷さん」の主祭神は「宇迦之御魂大神」。
ウカノミタマ。
古事記では「須佐之男(スサノオ)」と「神大市姫(カムオオイチヒメ)」の間にお生まれになった「姫さま」。「大年神」の妹にあたられる。
ちなみに「大年神」はお正月に皆さんがお迎えになる「年神様」のこと( ・ิω・ิ)b
母上の「神大市姫」が「大山祇命」、「大山津見神」の娘さんであることは、ちょっと問題含みなところがある。
「大山祇命」の娘と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「木花咲耶姫命」や「岩長姫命」。特に「木花咲耶姫」と言えば「浅間神社」の主祭神。
「稲荷神社」くらいメジャーな神社のご祭神「宇迦之御魂大神」について、「スサノオ」「神大市姫」の娘さんにして「大山祇命」のお孫さんであるところを意識している人はそう多くはない気がする。その辺りの話は、あまり声高に伝えられていないような。だいぶ控え目な感じ(*‘ω‘ *)
「大山祇命」の系譜を辿ると、いわゆる「出雲系」と目される大社、神社のあまりの多さにまずは驚いてしまうのだが、「宇迦之御魂大神」をお祀りする「稲荷神社」のことを「出雲系」とする考え方に出会ったことはない。
僕にしても、あらためて考えてみて、これはとっても不思議なことだなぁと。
その辺りの詳しい事情はよくわからないのだけれど、「日本書紀」にあっては、「宇迦之御魂大神」は「倉稲魂」として「伊邪那岐」「伊邪那美」によって生み出されたとされている。
「古事記」では「大山津見神」と父娘の関係にあったはずだが、「日本書紀」では兄妹神の関係になっているとも言える。
「スサノオ」よりも先、つまりは「天照大御神」よりも先に生み出されていることにもなるので、「古事記」と「日本書紀」では「宇迦之御魂大神」のお立場はかなり違う。
「宇迦之御魂大神」について、ここにあからさまな「謎」が置かれている。
また、「宇迦之御魂大神」を「豊受大神」と同じとする説のラインがさらに謎を深めている。
伊勢神道(度会神道)によれば、「豊受大神」とは「天之御中主神」「国常立尊」と同一神であるとの由。「神道五部書」を主な論拠として、「豊受大神」の立ち位置を大きく変える論陣を張り、「豊受大神」の概念そのものがにわかに拡大する。
もっとも、「神道五部書」は曰く付きで、江戸時代、国学者にして神職であった吉見幸和によって「鎌倉時代の偽書」として断じられることになるのだが。
伊勢の外宮の「豊受大神」が「宇迦之御魂大神」と同一神であるとするなら、それはかの有名な元伊勢籠神社の奥宮「真名井神社」とも繋がることを明確に示している。「丹波の国の比治の真名井に坐す、我が御饌都神、等由気大神を我許もが」と、雄略天皇の夢で「真名井神社」の「等由気大神」を名指しで呼び寄せるよう訴えたのは、ほかならぬ「天照大御神」。
ということは、ほとんどダイレクトに「真名井神社」の神様と「稲荷神社」の神様は同一神であると???
とまぁ、このように。追いかけようとすると、次から次へと不思議なくらい数多くの謎に絡みつかれる。「稲荷神社」が一筋縄ではいかない存在であることを示す端的な例。
一般に神社の御祭神は数柱の神様でユニットを組まれていらっしゃるので、ユニット構成を見ていくと面白さ倍増なんだが、中には「宇迦之御魂大神」をお祀りしていない「稲荷神社」も存在する。大変に興味深いが、この面白さは別の話。
「宇迦之御魂大神」に焦点を当てると、ふと思うことがある。
「宇迦之御魂大神」は「宇迦御魂」、「倉稲御神」、「豊受大神」、「御饌津神」、「御食神」、「三狐神」と様々なバリエーションで呼ばれている。大宜都比売命と同じだとか、他にも諸説があって全体がなかなか見通せないのだけど、全体として食物神としてのお立場に変わりはない様子。
で、ようやく「お狐様」の話。
「お狐様」が「稲荷神社」の御眷属である理由は「宇迦之御魂大神」の別名「御饌津神」の読み(みけつ)が「三狐」(みけつ)と同じであるから、と聞いている。
そのことが囁かれるようになったのは、平安時代からだとか。
長らく抱いていた疑問、「なぜ御眷属がキツネなのか?」について、連想ゲームのような、自分が思っていたのと違う答えが現れて、呆気にとられたことを思い出す(*´ω`*)
「御饌津」はともかく、「三狐」はなぜ「三」にまつわることになっているのか?今度はこれが気になってくるのだが、なぜそうなのかについては未だに僕はわかっていない。
だが、ここに両部神道の影響が被さるとどうなるのか?
そこに「狐」のイメージが具体化していく必然性を見ることはできないか。
仏教の管理下に置かれた神道は、本地垂迹説に則り、隅々まで神仏習合の二重化が理論的に進められていった。
「稲荷神」を「荼枳尼天」と習合したのは空海だったという話は聞くが、「荼枳尼天」が「白狐」に跨る姿がそのまま「稲荷神社」の「御眷属」として下りてきたとすると、理解としてはすんなりすぎるほど、すんなりいく。
平安時代に徹底された神仏習合により、「御眷属」の偶像化も進んだ。これが公家の間で「獅子狛犬」がもてはやされた頃と時期を同じくしているように見えるのには必然性があるように見える。
だが、「宇迦之御魂大神」の本質は「神仏習合」によって変質したようには思われない。
「御饌津」の「饌」の字。
「御神饌」などと言うように、神様が召し上がる食物のことをさして「饌」としているのだが、この偏と旁をそのまま分けると「食」と「巽」になる。
「巽」、すなわち「辰巳」。
「辰」は「龍」であり、「巳」は「蛇」である。
「饌」とは「龍蛇」が召し上がる「食物」のことを言うのか?
という以上に、「御神饌」とは、もともと「龍蛇神」の召し上がる食物をそう呼んでいたのではないか?
「龍」「蛇」へと連絡する「御饌津」。そういう連想が働くと、ずっと気になっていたことに迷いなくつながる。
「宇迦之御魂大神」「宇迦御魂」のお名前は、その音からして直接的に「宇賀神」を思い起こさせる。
神奈川県民としては、「銭洗弁財天宇賀福神社」を思い出せずにはいられない(^o^;)
「銭洗弁財天」のご祭神は「市杵島姫」であるのだが、奥宮は弁財天「宇賀神」をお祀りしている。「市杵島姫」は「瀬織津姫」へと連絡するお名前であるし、「宇賀神」は「弁財天」でありながら人頭蛇身の「蛇神」のお姿であらわされる。
いずれの道を辿っても、「龍蛇信仰」へと連絡していることには間違いがないのである。
「豊受大神」の「受」も「宇迦」と同じ意味だとするならば、両者を同一神とする見立てはますます正しいように思えてくる。そうなると「古事記」にあるように、「大山祇命」「神大市姫」「スサノオ」の流れに連なる「龍蛇神」としての「宇迦之御魂大神」の姿が見えてくるようでもある。
「御饌津」=「三狐」のイメージには、同じ「音」であるという見かけの裏に、「意味」の変換が隠されていると見るべきではないか?
「隠す」ことが神仏習合の本来的な目的なのだとすれば、空海による神仏習合の業が天才的という以上に神がかり的に見えてくる。
もし、そうであるならば( ・ิω・ิ)b
「三狐」の正体は、「龍蛇神の御使い」あるいは「龍蛇神」そのものということになりかねない。
僕らは「狐」に化かされていたのではなく、「蛇」に、「龍」に化かされていたっていうことになるのかもしれない(*^ω^)b