個人的な思い込みというか、それこそ感覚的直感が最初からちょっと違っていたというか。
僕にとって、「ミケランジェロ」は長らく偉大なる敵の名前に思えて仕方なかった。
傑作のダビデ像やピエタ像に感嘆した目で、ミケランジェロの絵画を見ると、これがどうにもしっくりこない。。。
ミケランジェロの絵に対して、それは確かに凄いのかもしれないのだが、なんだか腑に落ちないものをずっと感じていて、
「これはいったい何を描こうとしているのか?」と。
いや、わからないままで感動してしまうことはよくあって、
というか、わからないのになぜ感動してしまうのか?という畏れにも似た心の動きは感動の大部分を占める重要な要素であるとさえ思うのだけど、
その不思議の質というのが、例えばダ・ビンチの不思議とはかなり違うように思えて。
まったく別種の質。。。
どこか、ミケランジェロが僕のことをバカにしているような気がして仕方なかったのだ。
なので、「ミケランジェロの暗号」という本を読んだときに、ミケランジェロのやろうとしていたことをほとんどまったくと言っていいほどわからないままでいた自分を思い知らされてしまって。
理解までに至らないとしても、これを誤解したままではいけない!と。
ただ、ミケランジェロの作品に隠されていた暗号とも、悪意とも言えるようなメッセージは、
なにかの雰囲気を醸し出すことに成功していたことだけは間違いない。
その意図は理解できなかったとしても、僕にでさえどこか感じる違和感というか、腑に落ちないなにかは十分に伝わっていたとは言えるからである。
ミケランジェロの意図が間違いなくこの本の指摘通りだったとしたら(おそらく間違いないのだが)、
ミケランジェロははじめっから、僕らの敵ではなかった、ということになる。
さて。
誤解を山ほど積み上げてしまった僕としては、ミケランジェロに最大の敬意を払って、
もう一度その作品群を見つめ直す必要がある。
というか、ミケランジェロの戦法は大いに参考になる。