りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

足柄小舟の足柄杉

2011-01-29 08:43:14 | 阿豆麻波夜
万葉集にも歌われていた足柄杉。足柄神社周囲にある杉は大きなものでは250年~300年ほどの樹齢ではないか?と言われています。
古代杉というわけではないのだけれど、いにしえを偲ばせるには十分で、こうした杉の木を絶やさずに育て続けてきたのですね。足柄小舟はこういった杉でたくさん造られていたのでは?という想像には耐えられるほどの大きさを持っています。古代の足柄の山にどれほどの杉の森があったのかについては発掘調査などの結果から想像するしかないのですが、縄文中期、ふるい言い方だと沖積世の第三紀には足柄平野は海の底。海岸線は現在の山北町のあたりにまでひいていたはずなのです。足柄のあたりにもそのころの海べの生物の化石(なかには珊瑚まであります)が眠っていたりするので、亜熱帯の杉の森を当時の姿として想像しても間違っていないように思います。古事記編纂当時も、語り継がれてきた伝説、神話を精査していたはず。つまりは、編纂当時から見ても「古代」と呼ぶべき神話世界を取り扱っているはずなので、実は考古学資料だけでなく、地学的資料との突き合わせが「神話的事実」の解明の王道になるはずです。そのあたり、専門家はすでにある種の結論を得ているはずなのですけど。。。カタチになってあらわれるにはまだ時がいたっていないということなのでしょうか?

ちょっと初出不明の数字なんですけど、日本にある森林でいわゆる原生林というのは全体の1%ほどしか残されていないのだそうです。これだけたくさんの自然が残されている国というのは珍しいそうですけど、ただ残されたんじゃなくて、森林資源が枯渇しないような工夫が常になされてきた。
ひょっとしたら数字自体にはある種の誇張があるかもしれないけどね。それにしたって99%の森林に「人の手」が介在していたっていうのはあらためて驚くべきことなんじゃないかと思います。僕らが顔をあげてぱっと見渡す、「ああ、自然がいっぱいだ」とか思う。でも、そこに見える風景っていうのは、自然に出来上がったものじゃなくて先人が造り上げてきた遺産なのだということ。都市や里山だけでなく、森林までが遺産なのです。
明治神宮などを訪れると、そこに広がる森が「人の手」によっているだなんて微塵も思わないのだけど。。。明治天皇の大御心により「葉一枚たりとも持ち出しを禁ず」という徹底ぶりで育て上げられた森であることを知れば、環境問題で取りざたされているほとんどのことを解決するノウハウはすでに日本にあるような気がして仕方ないのだけれど。。。それはさておき。


足柄小舟は万葉の時代には一世を風靡したいわば足柄ブランド。
足柄杉の小さな舟をやっとの思いで手に入れて、意気揚々と漕ぎだしていった人たちがいたことを想像するのは、なかなか楽しいです。


阿豆麻波夜 足柄の範囲
阿豆麻波夜 足柄神社



















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