自分のブログなのに、あんまり自由な感じがしないと言うか、いろいろを素直に書けないのはなんでかな?と思うことがある。
書くことの中で自主規制などという醜い行為は間違ってもしたくはないので、ここに上げられないことは、別のフィールドのものとして、自分の中では切り分けているのだけど、「気ままな日記」とか称しつつ、言うほど「気まま」には書けていないよなぁ( ´Д`)=3と思うことが増えると、「日記」は本来的な「書き物」として、紙と鉛筆の次元に並行的に書きつけるほうが自然というか、「気まま」なんじゃ?と思ったりする(*‘ω‘ *)
誰というわけではないけど、誰かに見られることが前提の日記には、独特なスタイルというか、求められる態度というのが暗黙にある。
一方で、だいぶ長いこと使ってきたので、このブログのスタイルというのにずいぶん馴染んできた、ということもある。
ここに書いてあることを読んで、「なるほど!そうですか!」と。わが妻、さっちゃんの理解がはやくなったり、深くなったりということにおいては、抜群に貢献してくれている。
さっちゃんがご自分の感想や応答をコメントに書いてくれたことはいままでただの一度もないのだが、読むと口頭で、速攻にリアクションを示してくれるのだから、夫婦間のコミュニケーション・ツールとしては、いちおうインタラクティブにはなってる((*‘ω‘ *)?)のかな〜と(^o^;)
ただ、長く続いたことによる連続性がどこか窮屈に感じられたり、ブログが持ってしまった何某かの傾向が、実は今の自分にはそぐわないんじゃないか?と思ったりすることもある。
別にアカウントを用意して、書いておきたいことを分けておくことも考えた。
しかしねぇ(´ε`;)
複数のブログを並行させるとか、そもそも僕にそれほどの時間的ゆとりがあるわけでもないんだよね〜(´ε`;)
何度か「お引越し」を考えたこともある。
もっとも、その際、「ブログ」にこだわることもなかろうということで、他の方法も考えたりもしたのだけど。。。
プライバシーは守りつつ、もっと気軽に、もっと自分にあったやり方はないものだろうか?
この「ブログ」をやめるということではなくて、別の窓を開くっていう意味で。
YouTubeに代わる、新しいプラットフォームがそろそろ現れてくれても良いんじゃないかな〜っていうのは、社会的要請としてあると思う。
わたくし個人としても、それがあるのなら今すぐ飛びつきたいっていうモチベーションは十分にあるのだけど(*‘ω‘ *)
大きな世の中の変わり目には、新しいメディアの登場というのは必須の条件だと思うのだけど、来たるべきメディアがいまだ現れないっていうのはなんでなんだろう?と。
今は時代の変わり目。
このことはさんざん聞かされているのだけど、決定打だけが足りていないというところは、素朴に不思議に思うところである(*‘ω‘ *)
書くことの中で自主規制などという醜い行為は間違ってもしたくはないので、ここに上げられないことは、別のフィールドのものとして、自分の中では切り分けているのだけど、「気ままな日記」とか称しつつ、言うほど「気まま」には書けていないよなぁ( ´Д`)=3と思うことが増えると、「日記」は本来的な「書き物」として、紙と鉛筆の次元に並行的に書きつけるほうが自然というか、「気まま」なんじゃ?と思ったりする(*‘ω‘ *)
誰というわけではないけど、誰かに見られることが前提の日記には、独特なスタイルというか、求められる態度というのが暗黙にある。
一方で、だいぶ長いこと使ってきたので、このブログのスタイルというのにずいぶん馴染んできた、ということもある。
ここに書いてあることを読んで、「なるほど!そうですか!」と。わが妻、さっちゃんの理解がはやくなったり、深くなったりということにおいては、抜群に貢献してくれている。
さっちゃんがご自分の感想や応答をコメントに書いてくれたことはいままでただの一度もないのだが、読むと口頭で、速攻にリアクションを示してくれるのだから、夫婦間のコミュニケーション・ツールとしては、いちおうインタラクティブにはなってる((*‘ω‘ *)?)のかな〜と(^o^;)
ただ、長く続いたことによる連続性がどこか窮屈に感じられたり、ブログが持ってしまった何某かの傾向が、実は今の自分にはそぐわないんじゃないか?と思ったりすることもある。
別にアカウントを用意して、書いておきたいことを分けておくことも考えた。
しかしねぇ(´ε`;)
複数のブログを並行させるとか、そもそも僕にそれほどの時間的ゆとりがあるわけでもないんだよね〜(´ε`;)
何度か「お引越し」を考えたこともある。
もっとも、その際、「ブログ」にこだわることもなかろうということで、他の方法も考えたりもしたのだけど。。。
プライバシーは守りつつ、もっと気軽に、もっと自分にあったやり方はないものだろうか?
この「ブログ」をやめるということではなくて、別の窓を開くっていう意味で。
YouTubeに代わる、新しいプラットフォームがそろそろ現れてくれても良いんじゃないかな〜っていうのは、社会的要請としてあると思う。
わたくし個人としても、それがあるのなら今すぐ飛びつきたいっていうモチベーションは十分にあるのだけど(*‘ω‘ *)
大きな世の中の変わり目には、新しいメディアの登場というのは必須の条件だと思うのだけど、来たるべきメディアがいまだ現れないっていうのはなんでなんだろう?と。
今は時代の変わり目。
このことはさんざん聞かされているのだけど、決定打だけが足りていないというところは、素朴に不思議に思うところである(*‘ω‘ *)