りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

「新しさ」の感覚(*‘ω‘ *)

2024-12-02 22:13:11 |  日 記 
実に久しぶりに、二人で電車に乗った(*‘ω‘ *)
前に二人で電車に乗ったのは、いつだったかな?
「うーんとですねー。。。
 なんか、わかりませんね。。。」
ふむ(*‘ω‘ *)
二人でお出かけ。そういうことなら、なにげにやっている。
それを「おでけけ」とか、気安く言えない今年。
用事のいちいちが深刻だったりした。
こうして、楽しみにしていることに向かって、二人で電車に乗っているというのは、本当に久しぶりなのだ。
「そういえば、松濤美術館に行って以来、かな?」
あ(*‘ω‘ *)!
松濤美術館での杉本博司展に行った(*‘ω‘ *)!
そうか、あれ以来か(*‘ω‘ *)
そんなに前の話ではなかったはずなのだが、ずいぶん昔のことのように思い出される。。。
う〜む(^ω^;)
あの頃は、あれでいろいろたいへんな頃ではあった。
なんだか遠い景色。
しかもたいへんにお気楽な雰囲気に感じられる。なにか「たいへん」なことがあったはずだが、もはや「たいへん」ではなくなってしまっている。
過ぎてしまったからではなく、「たいへん」の定義が変わってしまっているのだ。
あたりまえだが、質が、まったく異なる。
こうして今、電車に乗れているということは、少なくとも深刻で、危機的で、「たいへん」な事態が、僕らの暮らしから少しだけ遠のいてくれたことの証左でもある。

いろいろが遠のいた。
そして、新しいいろいろが現れる。
どこか、この新しさを当然のものと思っている。
新しさにいちいち驚いていられないほど、日々、新しいことに直面する。
こうなることを知っていた?というと語弊はある。
だが、ひとつひとつを確かめながら歩むことに、このごろ楽しささえ見いだしてしまっているのだから、「新しさ」は「たいへん」なこととはちょっと違うんだな。


この日は、実に久しぶりに銀座を歩いた。「銀ブラ」なんて世代でもないのだけど、かつてご縁のあったギャラリーに顔を出すのには、ドンピシャのタイミング。この際、会いたい方のお顔を見に行こうということで、久しぶりの「おでけけ」は銀座になったのだ。
得るものは大きかった。
こちらのギャラリーには今まで二つの意味でご縁があったわけなのだが、ギャラリーの方では、経営が新体制になられていて、外目には同じ環境に見えていても、中身は驚くほどにフレッシュになっていた。このことは別にあらためて書くことになるだろうな。

それから、場所を変えて、実に久しぶりに懐かしの南青山を歩いた。
どこもかしこもいろいろ様変わりしているものの、懐かしい風景の「懐かしさ」そのものは早々消えるものではないらしい。
「初めてアンジェリカに行ったとき、この階段を降りていったんだよね♪」とか。階段を、この日はのぼりながら、なんだか嬉しそうにさっちゃんが言う。かつて文字通りに通った道の、妙に細かいところが思い出される。そう、あの時は、僕がさっちゃんの一言で急に不機嫌になり、この階段をプリプリ、怒りながら乱暴に降っていった。そんなことまで思い出す。

この日は期せずして、南青山の「アンジェリカ」へ向かうコースを、ゴールからスタートまでを逆さまになぞるように辿っていた。
ふと、なにかが折りたたまれて、完結したかのような。。。妙に予定調和的な感覚を覚えた。
なんだか出来すぎなくらい、スッキリと。

きっと、その感覚は正しい。
日々の「新しさ」をあたりまえに思えているのは、そんな感覚を得ているからではないか?くらいには、僕の中では納得している。





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