古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ
芭蕉の言葉なのだそうだが、僕はこの言葉を芭蕉の原典にあたって読んだのではなく、またネット上で、なにかのついでに見つけたというわけでもない。
「音楽」のことを書いたバルトルト・クイケン氏の本の、最初のページに掲げられたエピグラフとして読んだ。
「楽譜から音楽へ バロック音楽の演奏法」
タイトル訳がシンプルかつ秀逸で、訳者の心意気がそこから読み取れる。が、軽々に語りたくはないので、今回はこれ以上触れない。いずれ、ガマンできずになにか言いたくなるとは思うけど(^o^;)
クイケン氏については。。。クイケン氏と言っても、兄弟3人がいずれも著名な音楽家なので、知っている人にはあまりにも有名な、知らない人にはまったくわからない世界の話ということにはなるだろうけど、僕ごときが語れることではないので、ご興味のある方にはご自分で調べていただくのが一番かと(^o^;)
もう、やたらとすごい方!とだけ、言っておきます(^ω^ゞ
その著作の最初のページに「芭蕉」の言葉が掲げられていることに、わたくし、驚きとともに膝を打ったのであります( ・ิω・ิ)g
「古楽」を聴きながら、この一行を考えることは、「音楽」の核心に迫る話でありながら、「音楽」にとどまる話ではないと。いかなる分野であっても、何事かの核心へと迫る唯一の道なのではないかと。専門的なアプローチこそあれ、分野や棲み分けなどといった区別は、「古人の求めたるところ」を求める心には問題ではない。
仮に「読書」という営為について、「芭蕉」のこの言葉を通して考えてみることには、絶大な意味がある。「楽譜」を読むことと「演奏」との間に、いかなる交感を求めるか。その交感の場に、真摯に臨む音楽家の姿。
クイケン氏の思いが芭蕉のこの言葉にぴったりと寄り添うものであることを知り、本文を読む前に感動に打ち震えるという、わが身にあっては初めてといって良い、衝撃的な体験をした。
内容については、わたくしがなにかを言うよりも、読んでいただくことが一番。翻訳がまた本当に良い!
久々に、良い本を読ませていただきました(≧∇≦)b